第033話 壊滅

『圧倒的な暴力がもたらしたもの』


 張り出した廊下に上からの強烈な衝撃が加わり、瓦礫と粉塵をまき散らして建物の一部が崩壊したが、時間の経過とともに瓦礫の崩落は止まり、それからさらに時間が経過して粉塵は風に運ばれて大気中に散り、その濃度は希釈されていった。

 エリスの治癒キュアの魔法でようやく持ち堪えている右腕で拾った剣を胸前で構えた冒険王ジョージは、瓦礫の山となった廊下場所が信じ難いの風景になっている事に絶句していた。

「そっ…、そんなっ…」

冒険王ジョージは悪寒に襲われて全身が冷や汗だらけだった。思わず眼を見開いてその光景を凝視し、ポキリと折れそうな心を折れないように維持するのがやっとだった。

 痛みと疲労で片膝を床に付いていたエリスはあふれる涙を止める事ができず、悲鳴を上げないように口を手で押さえて耐えていた。

 瓦礫の中には廊下や天井の崩落に巻き込まれた筈のが何事もなかったように佇んで立っていた。石造の天井や壁がの頭上から降り注いだ筈なのに、負傷するどころか傷一つ見えなかった。奇跡的に瓦礫がを避けたように落ちたという事はなく、足元には無数の瓦礫が散乱していた。の妖しく赤く光る眼は2人の方に向けられているようで、その迫力はまるでドラゴンを思い起こさせた。

 そしての背後には上位龍エルダードラゴンがまるでに付き従うように座っていた。崩れ去ったバルコニーよりも高い3階部分に顔があり、と同じ赤い眼光で2人を上から睨みつけていた。万物の霊長のドラゴンの中でも上位種である上位龍エルダードラゴンと、冒険王ジョージの攻撃を受け付けずに建物の崩壊に巻き込まれても物ともしないは人間とは別次元の怪物モンスターであり、人間が太刀打ちできる存在ではなかった。2体の怪物モンスターから鋭い眼光で睨みつけられているというこの状況はもはや死亡しているのと同義だった。

 冒険王ジョージはガタガタと震えていた。彼は剣士として多くの戦場を駆け回り、多くの死地を乗り越えた経験があり、死を覚悟した上で戦闘に臨んでいるので、生命が惜しくて震える事はなかった。身体が大きく震えているのは達とのとてつもない実力の差に本能が呼応して、身体が戦闘を拒絶しているからだった。

 エリスは片膝をついたまま、声を殺して泣いていた。声を漏らさないように左手で口を強く押さえていた。その昔彼女は横にいる冒険王ジョージ魔王レヴィスター達と一緒に大陸をくまなく冒険した経験があり、これまで絶望的な状況を何度となく経験していた。その当時の編隊パーティーの中でも前向きな発言や行動ができる女性で、どんなに絶望的でも仲間を鼓舞する事が多かった。そんな彼女の眼から涙がとめどなく溢れてくるのは彼女が持ち合わせる前向きな心の許容範囲さえも、眼の前の絶望が凌駕している事を示していた。

 静かにが左手を2人の方に向けて持ち上げた。それから聞き取れない言葉を呟き出した。恐らく呪文を詠唱しているようだった。その動きを見たエリスは本能的に反応して絶望感から離脱して、防御の為の呪文を唱え出した。冒険王ジョージを守るという一心からの行動だった。

「絶大な御力のうちの僅かな恩恵を敬虔な申し子にもたらし給え。聖域形成セイクレド

よりも先に呪文を唱え終えると冒険王ジョージは薄くて白い球体の光に包まれた。冒険王ジョージにはこの魔法に見覚えがあった。エリスが仲間を危険から守る為に張ってくれる防御魔法で、物理攻撃にも魔法攻撃にも効果があった。エリスの白き神への帰依の強さと比例していて、その効果はとても大きかった。しかし聖域形成セクレイドの魔法は他者に付与する魔法であり、術者に付与されるものではなかった。それは例え術者のすぐ側に被付与者がいたとしても術者が守られる事はない。術者自らを犠牲にする分だけ強固な防御が約束される魔法であり、上級者だけが使用できるもののひとつとされる神官魔法プリーストルーンだった。

 冒険王ジョージは若かりし頃に一緒に冒険していた時もこうやって助けて貰った事を思い出し、すると不思議と身体の震えが消えていた。の呪文らしき詠唱が終わった時、冒険王ジョージとエリスを直線で結んだ線上に立ちはだかった。どんな攻撃魔法が飛んでくるか全くわからなかったが、エリスからは逃げるように言われたが、無意識に身体がその行動を取らせていた。エリスはそれを見て叫んだ。

「何をしてるのっ!!」

 そしてが左手を2人の方に向けてかざし、手のひらから赤黒くて強い光が冒険王ジョージに放たれた。


 膠着状態でほとんど動かなかった下位龍レッサードラゴン達が突如として暴れ出してから、戦況は一気に悪化してしまった。東城門から龍息吹ドラゴンブレスを撒き散らしながら、家屋をその巨軀で踏み潰すように破壊して王城方面へ進んでいた。彼らの通った後は瓦礫の道と化し、元々どのような建物があったか判別することは出来ない程だった。龍息吹ドラゴンブレスが引き起こした炎の為に各所で火事が発生し、木造建築が多い下町は大きな火災に発展していた。火災が引き起こす温度上昇による上昇気流で火の粉が周辺に拡大し、それによって新たな火事が周辺で発生して、さらに火災が広範囲に拡大していた。

 この状況になると王都軍は下位龍レッサードラゴンと戦闘出来る状況ではなく、王都からの避難を優先せざるを得なかった。

「退却の鐘を鳴らせ…」

苦虫を噛み潰したような表情で軍事卿のルードスは王都軍司令部の士官に指示を出した。王都軍は懸命の防衛で市民の脱出作戦を完遂させていたが、その後の市街地や王城の防衛はドラゴンの圧倒的な攻撃能力と硬い鱗等の強固な防御力で敗走を重ねていた。王城から東側の市街地はほぼ壊滅で、風向きと火災の勢いを考慮すると東半分は駄目だと思われた。

 合図の鐘に従った王都軍が北城門から退却を始め、順調に場外への脱出に成功していった。それは下位龍レッサードラゴンが軍隊を追撃せずに王城を目指して進んで行ったからだった。東側の王城門やその周辺の柵を薙ぎ倒して進み、3体の下位龍レッサードラゴンは庭の木々や草花を踏み潰して王城の建屋に近づいた。

 その時、建屋の中から赤黒光がレーザー光線のように王城を突き抜けて、その光を中心に2階部分等を含む円形の大穴が開き、その円形部分が瓦礫となって王城前の庭園に飛び散った。その破壊力は火山が爆発したかのような強さで、王城一帯で地震が発生したように地面が揺れた。上位龍エルダードラゴンの巨大な龍息吹ドラゴンブレスによって分断された王城はその東側に大きな穴が開き、石造の城はその自重に耐えきれずに穴を中心にして崩壊していった。大きな穴の付近からひび割れを起こして崩れ出すと、そのひびを起因としてさらに穴の外側が崩壊していく事をループのように繰り返し、大きな音と振動を発生させた。徐々に崩壊していく王城東側の建屋は粉塵を次々と巻き起こし、市街部へ向けて粉塵の波を何度も作り出した。王国の象徴であるライイングたわる女神ゴッデスはほんの少しの時間でその2/3程を一気に失われてしまった。

 崩壊していく王城東側から黒い影が飛び出した。落下してくる瓦礫や舞い上がる粉塵を物ともせず、翼を羽ばたかせた上位龍エルダードラゴンが飛び出してくる姿だった。ただ、その速度はかなりゆっくりとしたもので、王城の崩壊から緊急避難で飛び出したものではなかった。硬い鱗を有するドラゴンにとってこの程度の衝撃は気にするようなものではなく、優雅と思える程にのんびりとした移動だった。下位龍レッサードラゴン3体の前に悠然と舞い降りた上位龍エルダードラゴンは1体ずつ見渡してから、背中の翼を羽ばたかせて頭上に向けて真っ直ぐにゆっくりと上昇した。飛べない下位龍レッサードラゴン達は後脚と尾で身体を支えて上昇していく上位龍エルダードラゴンを見上げ、その挙動を逐一見守っているようだった。3体の下位龍レッサードラゴンが見つめる先には悠然と背中の両翼を羽ばたかせて上昇を続ける上位龍エルダードラゴンがいて、その大きな身体が犬程度の大きさに見えるまで上昇していった時に、空を飛ぶドラゴンは上昇を止めた。大きな翼を羽ばたかせて所謂ホバリングして高度を維持しながら、全身の神経を集中して身体をこわばらせていった。それを見た地を這うドラゴン達は上空を見上げる体勢をバタバタと解除して、空を飛ぶドラゴンが向いている西方面と反対側の東方面に向かって、慌てふためきながら逃走を始めた。その姿はもはや冷静さを欠いていて、万物の霊長である彼らを見た他の生物達が逃げ惑う姿に酷似していた。上位龍エルダードラゴンは精神を集中して凝縮した体内のエネルギーを大きく開いた口蓋から雷の塊として王都グランシャインの西側の街を向かって放射した。それは王城を破壊した龍息吹ドラゴンブレスとは違って広範囲に放射され、下位龍レッサードラゴンに破壊されなかった西側の街のほとんどを吹き飛ばした。


 ドラゴンの襲来から始まった長い夜は、王城の西側部分となる建物の1/3を除く王都グランシャインのほとんどが一夜にして壊滅した悪夢の夜となった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る