第032話 崩落

『絶望的な攻防に希望を求めて抗う者達』


 銀色の柱のような強い光の束は1本の糸のように王城の1か所から空に向かって直線的に立ち上り、天と地上が一瞬だけ光の線でつながった。この銀光柱は音もなく一瞬だけとても細く光った為に周囲の人々に気付かれる事はなかった。


 廊下に響き渡った金属音は周辺で反響して1階の廊下を彷徨った後、崩壊した王城中央部の方へ抜けていった。鈍い金属音は反響する間にその濁りが消えて澄んだ音になっていた。もしも平和な状況で聞いたのなら優雅な気持ちにさせてもらえたかもしれない。

 冒険王ジョージの打ち込んだ剣はの首の左側でピタリと止まっていた。その剣は純白王国フェイティー王に代々引き継がれる由緒正しき宝剣で、『白神顕現エクソサイズ』と呼ばれていた。王の剣はの皮膚の硬さと筋肉の柔らかさでその剣撃を吸収されて、には少しもダメージを与えていなかった。金属音は剣と皮膚のぶつかり合った時に発生したもので、皮膚は金属並みに硬いと思われた。そして皮下の筋肉は王国でも随一の剣士の剣撃を吸収する柔軟性と、強力な衝撃をものともしない強靭さを兼ね備えていた。

 冒険王ジョージは思わず剣を引いてすぐに後ろに飛んでと距離を取った。自分の攻撃が効果がないどころかという状況に恐怖したが、これまでの経験と訓練で反撃を受ける前に間合いを取ったのだった。

 は呪文を唱えているような姿勢を崩す事なく続けていて、銀色の発光はずっと変わらずに輝き続けていた。呪文を唱える音は聞こえず、手をかざしているだけだったが、しばらくしてかざした手を下ろすと発光も止まった。

 冒険王ジョージとエリスはその間もずっとそれぞれの武器を構え、臨戦態勢を崩さなかった。冒険王ジョージの攻撃を意に介さない程の脅威の存在を眼の前にして、反撃に備えるのがやっとだったが、2人ともに気付かれないようにして少しずつ距離を遠ざけていた。『敵わない相手からは逃げる』という生存の大原則に基づいた準備を進めていたのだが、普段の2人からするとその動きは非常に鈍かった。眼の前の圧倒的な脅威に対して身体が萎縮していて、思うように動けなかったのだった。冒険王ジョージはエリスの方に下がっていたのだが、2人の後退の速度が同調しておらず、冒険王ジョージがエリスに接近していた。冒険王ジョージから眼を離す事が出来ずに後方へ注意を払えず、エリスは恐怖でから視線を外せず、周りが見えていなかった。

 と2人の距離は次第に遠ざかり、すぐに攻撃できる間合いではなくなっていた。は光っていた石床を見つめたまま動かず、冒険王ジョージから攻撃を受けた事を分かっていないかのようだった。

 もう少し距離を取れたら逃走体勢に入れる距離まで来た所で、冒険王ジョージの右足の踵がエリスの左足の爪先を踏んでしまった。2人とも思わず一瞬だけ視線を合わせた。冒険王ジョージは一度後方に首を振っただけで、エリスは視線を少し左前にずらしただけだった。しかし、視線を戻すと眼前にが左手を振りかぶりながら飛び込んで来ていた。瞬間移動の魔法でも使ったのではないかと思うほどに速く、床を走ったり踏み切ったような音もなかった為、2人は完全に不意をつかれた。その左手の動きはとても速くて異常に力強く、剣を構えていたにもかかわらず冒険王ジョージを身体ごと後方へ吹き飛ばし、エリスもこれに巻き込まれて吹き飛んでしまった。

「きゃあっ!」

エリスは珍しく悲鳴を上げた。壁まで吹き飛ばされた衝撃で全身を強く打ち、背中の辺りに激痛が走った。骨が折れた気がしていて、衝撃と激痛で身体が思うように動かせなかった。

 冒険王ジョージは飛ばされてエリスを巻き込んでしまったが、更に彼女を巻き込まない為に身体を捻って方向を変えたので、エリスの少し横の壁に激突した。エリスを巻き込まない事には成功したが、その為に自分はうまく受け身を取れず、右肩を中心にして壁にぶつかってしまった。そのせいで握っていた王剣を手放してしまった為に、剣は石床で跳ねてカラカラと乾いた音を立てて、身体2つ分程離れた所まで遠のいた。冒険王ジョージは右肩と頸椎を痛めてしまい、全身が痺れて動けなくなっていた。

 2人とも壁に打ち付けられた体勢から動けず、戦闘できる状態ではなかった。は2人が元々立っていた場所に入れ替わるように立ち、壁に縫い付けられたように動けない2人を見下ろしているようだった。先程の攻撃能力を考えると動けない2人を追撃で仕留めることはとても簡単に思われたが、は2人に興味を示していなかった。そしてまた聞いた事のない言語らしき音をブツブツと発してから、感情を読み取る事ができない顔を天井に向けた。

 するとゴゴゴォと言う大きな風音が屋外から響き、窓や壁が大きく振動した後、膨らんだ廊下の天井が突如として崩れ落ちた。石造の壁や天井、鉄枠の窓が一瞬にして瓦礫となって降り注いだ。

 壁に張り付いていた2人は若干の距離があったので難を逃れたが、は建物の崩壊を直撃で受けた。その惨劇はとても生命が生存できる状況ではなかった。


 至る所でガラガラと壁や天井が崩れた音がして、舞い上がった非常に大量の粉塵は視界を全て灰色にして、自分の腕さえ見えない程に視野を覆い尽くした。かなりの時間が経過して次第に粉塵が風に運ばれて屋外へ排出され、少しずつ視界が回復してきた。

 冒険王ジョージは薄目で少し涙を流しながら粉塵がもたらした痛みに耐えつつ、からの攻撃に備えようとしたが、身体が思うように動かなかった。出来るだけ早く剣を取り戻したくて焦っていたので、身体が動かない事にとてもイラついていた。身体の指揮命令系統を取り戻そうと全身に力を込めた。右半身を下に向けて倒れていたが、右肩を打った影響で右腕が動かさなかったので、何とか動かせるようになった左手を床につき、頭を床から離した。しかし右肩が少し浮く程度までしか身体を起こすことが出来ず、左腕の力では体勢を維持出来ずに右肩と頭はまた床に落ちた。身体が思うように動かせない無念と、「このままでは何も出来ずに死んでしまう訳にはいかない」という思いでもう一度左手を床について起きあがろうとした時、背後に気配を感じた。

 それは神官プリースト用の魔法の杖を支えにして全身の痛みに耐えながら右足を引き摺るエリスが近づいて来ていたからだった。

「大丈夫?」

とエリスは声をかけた。どう見てもエリス本人が大丈夫ではなさそうだったが、彼女の性格では他人が優先であり、目の前にいるが最優先だった。

「ああ、何とかな…」

と返事をした冒険王ジョージはエリスが近くにいる事に安心感を覚えたのか、少し身体の力強さが戻った。左手を石床について身体を少し浮かせてから右肩を石床と平行になるように、左腕1本での腕立て伏せの態勢になった。それから両足を曲げて足裏で地面を捉えたら、すぐに立ち上がって見せた。首は痛みで右側に動かしにくく、右腕は言う事を聞かなかった。

「エリスは大丈夫か?」

お互いに無事ではないことは明白だったが、それでも冒険王ジョージはそう質問した。それは励まし合う意味合いが強かった。

「私も何とかね…」

エリスは痛む背中を庇いながら猫背で答えた。

「右腕が動かないのね」

冒険王ジョージの右腕の異変に気付いたエリスはすぐに冒険王ジョージの右腕に自らの右手をかざし、呪文を唱え始めた。

「絶対帰依を誓いし御身の御子たる敬虔な信者の為、偉大なる御力の一部を今ここに顕現せよ、治癒キュア

エリスの右手から白い光が火種程の小さな規模で発光してからその光は次第に大きくなり、手のひらを収まりきれなくなった頃に冒険王ジョージの右腕に移った。移った白光は右腕全体に拡大していき、腕にまとわりついた後、腕に吸収されるように消えてしまった。すると冒険王ジョージの右腕は彼の意の通りに動くようになった。痛みや疲労感は残ったままだったが。

 それとほぼ同時にエリスはガクッと崩れ落ちて、右膝と右手を石床に付いてしゃがみ込んだ。精神の過度な集中を必要とする呪文を負傷した状態で詠唱した反動だった。

 冒険王ジョージはすぐにエリスの左上腕を優しく掴んで立ち上がるのを補助しようとしたが、エリスは冒険王ジョージが触れるか触れないかというタイミングでその助けを断った。

「貴方は今逃げる事を考えて!その為に剣をすぐに拾って!」

声は小声だったが、その迫力は鬼気迫るものがあった。まだドラゴンが近くにいる可能性がある為、エリスは身を挺して冒険王ジョージを最優先する覚悟だった。それを察した冒険王ジョージは差し伸べた手を引いて真後ろに振り返り、手放してしまった宝剣の元へ歩いた。全身の痛みや疲労感は続いていたが、足を引き摺るようにして剣の元まで何とか辿り着いて、重い身体に鞭を打ってそれを拾い上げた。


 その時になってようやく粉塵が塞いでいた視界が明瞭となったが、それは絶望の光景だった。

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