第030話 出発

『大きくなる不安を胸に秘め決意を固める』


 食堂の長方形の食卓ダイニングテーブルには薄い水色のテーブルクロスが一つの皺もない程に綺麗に敷かれ、その上にはレヴィスターとクウィムとティスタが丹精を込めて調理した美味しそうな料理の数々が銀製の大皿に盛りつけられていた。入浴を終えたエドワードやカルドも配膳を手伝った。食卓ダイニングテーブルには両長辺に4人ずつ分の椅子が配置され、最大で8人が会食出来るようだった。椅子は木製で背もたれと肘置きがあり、座面はクッション性のある綿入りのものだった。木目部分は細かい装飾が彫り込まれていて、高度な技術を持つ職人の手によるもののようだった。取り皿として銀製の小皿が椅子の前に数枚重ねてあり(小皿は汚れたら使用していた皿を一番下へ移動させて2枚目の小皿を使用するシステム)、両脇にはナイフ・フォーク・スプーンが数本配置されていた。小皿の奥にはガラス製のグラスが置かれ、葡萄酒ワイン(クウィムは果物果汁フルーツジュース)が注がれていた。配席はレヴィスターとクウィムが一方の長辺側で、反対側に純白王国フェイティーの3人となった。

 全員が席に付いてエドワードがおもむろに立ち上がって御礼を言った。

「レヴィスターとクウィム。我々に風呂と食事を与えてくれてありがとう。樹海を彷徨っていた頃を考えると夢のようだ」

エドワードは眼の前の小皿に顔が付きそうになる位に深々と頭を下げた。

「客人として出迎えているのだから当然のもてなしだ。何も気にする事はない。それにお前達も調理や配膳を手伝っているのだから、一方的に恩義を感じるものではない」

魔王レヴィスターは冷静な表情で淡々とそう言ってエドワードの礼は過度である事を諭した。

「せっかくの食事が不味くなる。堅苦しい挨拶は抜きだ」

そう言って全員に対して料理に手を付けるように促した。

 料理はとても豪華なもので、エドワードが治めていた宗教都市リガオンで年に1度開催していた純白教エスナウ幹部との晩餐会並みの出来栄えだった。ティスタが調理の高度な技術を持っているのは知っていたが、レヴィスターとクウィムの料理の腕もなかなかのものだった。これまで生死の狭間を彷徨うような冒険の日々だったので、この豪華な食事には感動すら覚えた。素材の質の高さや熟練の味付けはとても素晴らしく、分量も非常に多かった。ほとんど住人がいない(と思われる)樹海の中でこのような食事にありつけるのはとても不思議だった。

「レヴィスター、とても美味しいよ。本当にありがとう。この料理はあなたとクウィムが作ったのだろう?」

「ああ、そうだ」

「いつも料理をしているのか?」

「ああ、そうだ」

「味も最高だが、この量は凄いな」

エドワードの言葉に魔王レヴィスターが返した。

「明日にはここを出て、貴国に向かう。食料を腐らせるのは勿体ないから、全て料理して出しただけだ。おかげでパーティーのようになってしまったがな…」

エドワードは「それでこんなに多いのか」と呟いた。

「これからこんな食事は出来ないかもしれない。せっかくだからじゅうぶん味わって食べておく事だな」

魔王レヴィスターはそう言ってから水差しに入った葡萄酒ワインをエドワードのグラスに注いだ。エドワードは左手でグラスをもってそれを受けた。純白王国フェイティーで左手は聖なる手とされていて、敬意を示す時には使用するのが習わしだった。

「確かに、そうかもしれないな。せっかくだから味わって頂くよ。明日ここを出発出来るのはとてもありがたい」

真剣な表情で答えたエドワードに対して

「貴国で状況が落ち着いたら贅沢な料理をたらふく食べさせてもらうからな。この料理のは10倍にして返せ」

魔王レヴィスターはそう返して微笑んだ。エドワードが子供の頃に見た事のある懐かしい表情だった。


 翌朝はまだ夜が明けきらないうちから魔王レヴィスターの館全体が慌ただしくなっていた。純白王国フェイティーの3人は昨晩の食後に済ませた大量の洗濯物を取り込んで畳んでから、魔王レヴィスターから提供された携帯食を取捨選択し、大きなバックパックに詰め込んだ。武器や防具の簡易的な手入れをして、の危機との遭遇に備えた。それから充てがわれていた部屋の掃除や整理整頓をして、自分たちが使用する前と同じ状態に整えた。2人部屋のエドワードとカルドが部屋を出たのと時を同じく1人部屋のティスタも扉を開けた。3人は大きな荷物を背中に抱え、それぞれの武器や防具を携えて、昨日最初に通された応接室へ向かった。3人は母国への早期帰還を決意した締まった表情をしていた。


 応接室の扉を開けるとクウィムが1人で自身の荷物をバックパックに詰め込もうとしているところだった。何故この状況になったかは良く分からなかったが、どうやら彼女は自分の部屋ではなくここで荷造りをしているようだった。ざっと見てその荷物の量が多すぎるようで、彼女のバックパックには到底収まりそうもなかった。それは彼女も分かっているようで困り果てた表情をしていて、それを見かねたティスタが優しく声を掛けた。

「クウィム、荷物が多いようだね。私で良ければ手伝おうか?」

ティスタの助け船にクウィムはときめいた様な表情で答えた。

「本当っ!?それってとても助かる!ありがとう!!」

嬉しさを爆発させるようにして少し飛び上がって見せた。3人は彼女の反応に思わず微笑んだ。

ティスタの手伝いもあって荷物の詰め込みは順調に進んだ。

「クウィムは旅に出た事はあるの?」

荷物の準備の仕方からおそらく旅をした事はないように思われた。

「行った事ないよ。今回初めてなんだ。だから何を詰めたらいいか良く分かんなくて、色々と部屋から持って来過ぎちゃったのかも」

ちょっとだけ困ったような顔をして、チラッと舌を出してから

「大陸に行くって聞いてて、樹海ここを出るのが初めてだから、楽しみにしてるんだ」

と言って爽やかな笑顔を作ってから、長い髪を束ねてうなじの付近でひとまとめにして紐で結んだ。額から汗が滲み出ていたので暑かったのだろう。

 ティスタはクウィムの笑顔に朗らかな気持ちにさせられた。クウィムの周囲を明るく和らげる独特の雰囲気はティスタを完全に魅了していたが、ティスタは髪をひとまとめにした彼女のに何か引っかかるものを感じていた。ただそれが何かは分からなかった。


 ティスタの補助を受けながらクウィムが荷物をバックパックに詰め終わった頃に魔王レヴィスターが応接室に入って来た。彼も大きなバックパックを携えていて、それをソファーに重そうに降ろした。先に準備を整えていた4人の顔をゆっくり見渡してから

「遅れてすまなかった。馬車の用意に少し手間取った」

と言って集合順が最後になった事を詫びた。

「えっ、馬車があるのか?」

すぐに反応したカルドの声に魔王レヴィスターは小さく頷いた。

「絶壁まではそれで行く。そこからは命懸けの登壁クライミングだ」

カルドが呆れたような声を出した。

「馬車が通れる道が樹海にあるのか?」

「勿論だ。お前達はそれを知らずに獣道を来たのかもしれないが…だが、貴国の街道のように整備されてはいないぞ」

魔王レヴィスターは冷静に回答した。

「今日はその道にある中継地点まで進む。時間的にそれ以上進むのは危険が大きいからな」

そう付け加えた魔王レヴィスターの台詞に王子が質問を返した。

「歩程は状況によって変化するとは思うが、目安として我が国の領内にどの位で入れるのか教えてくれないか?」

魔王レヴィスターはカルドから王子へ視線を移して

「絶壁までに2日だが、そこから先は登壁クライミング次第だ。まぁ、鍛え方がモノを言うだろうけど」


 完全に夜が明けた頃、魔王の館の城壁の門が重たい音を立てて閉まった。門の先には2頭引きの大きな荷馬車があり、幌付きの荷車は5人が乗るにはじゅうぶんな広さがあった。全員が大きな荷物を荷台に乗せてから、カルドが御者席に座って、エドワード・ティスタ・クウィムが荷台に乗り込んだ。魔王レヴィスターは門の前に立って両手を門に向けて真っ直ぐ伸ばし、精神を集中して呪文を唱えた。

「太古の叡智に基づき我と共にある尊き大地の精霊達に命ず。我と新たなる契約を結び、我が住まいをとこしえに守護せよ。守護神壁ガーディアン

 魔王レヴィスターの呪文の詠唱が終わると、館の城壁が銀色の光に包まれ、魔法障壁が発動した。館を含む城壁は1つの村程の大きさがあるが、それを包み込んでしまった。魔術師ルーンマスターのティスタには魔王レヴィスターが発動させた魔法が非常に恐ろしかった。それは魔法を駆使する範囲が広大過ぎたからだ。おそらくは純白王国フェイティーの全ての魔術師ルーンマスターが総出で取り掛かってもこの広い範囲への魔法障壁の敷設は不可能だ。銀髪の漆黒ダークエルフが持っている能力に畏怖の念さえ感じていた。


 魔王レヴィスターは何事もなかったように馬車の方へ振り返り、冷静に一言だけ発した。

「さあ、出発だ」

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