第028話 受諾

『小さくても歯車は回転を始める』


 あまりに唐突な返答だったので、エドワードは状況をうまく飲み込めなかった。

「えっ…⁉︎受け入れる⁉︎」

間が抜けた声でそう言った。僧兵ムンクのカルドも魔術師ルーンマスターのティスタもほとんど同じような反応で、大きく眼を見開いて愕然として、思わずお互いの顔を見合わせた。王子は魔王レヴィスターの受諾に謝辞を発しなければならなかったが、想定外の展開に二の句を継げる事が出来ないでいた。

「どうした?不満か?」

魔王レヴィスターは戸惑って凝固したようになっている王子に向かってそう言った。その台詞のおかげでが溶けたエドワードは思い出したように

「ありがとう、レヴィスター」

と咄嗟に本音を口にした。それは素直な感情からくる言葉だったが、国使としては儀礼を欠いていた。それに気づいた王子はすぐに儀礼に則った挨拶のために、左膝を立てて右膝を床につけて屈んだ。それから右手で作った拳を垂直に立てた左の手のひらに合わせて胸の前に掲げて、やや首を垂れて視線を落とした。そして先程よりも大きな声量とはっきりとした口調で

「レヴィスター様。此度のご返答は大変光栄です。わたくしエドワード・ルークは我が純白王国フェイティー国王ジョージ・ルークになり代わり御礼申し上げます」

と奏上した。その表情は程よい緊張感を持っていて、凛々しく爽やかな印象を与える、王子として理想的なものだった。付き従うカルドとティスタが思わず見惚れてしまう程だった。

 魔王レヴィスターは少しだけ頷いてエドワードの謝辞を受け止めてから、すぐに視線を少女に戻した。視線の先の少女は引き続き眼を閉じたままの苦しそうな表情で、胸の辺りを押さえて悶え、相変わらず息が荒かった。ベッドに運ばれてからも症状が改善しそうには見えなかった。魔王レヴィスターは少女を見つめたまま

「済まないが、クウィムが落ち着くまで応接室で待っていてくれ。さほど時間はかからずに落ち着く筈だから」

と言って3人を応接室へといざなった。

 3人は素直にそれに従ったが、魔術師ルーンマスターのティスタは少女の容体が特に気になったようで、少女の部屋を出る時にベッドの方を振り返って、手伝える事がないかと魔王レヴィスターに尋ねようとした。しかし魔王レヴィスターが真剣な表情で少女を介抱している様子を見て、何も言わずに前を行く2人の後に続いて退室した。

 

 応接室の扉は普通に手で動いたので、3人は困る事なく再入室する事が出来た。そしてさっきまで座っていたソファまで戻って、先程と同じ配置で腰をかけた。少女が落として砕けたガラスのコップの破片が散乱していて、カルドはそれを1つずつ丁寧に拾い上げた。ティスタはポケットに入っていた布で飛び散っていたコップの中身のジュースを拭き取り、羊の皮で出来た携帯用の水筒に中身を絞り出した。2人のおかげで少女が落としてしまったコップはほぼ綺麗に後始末された。

 2人のが終わったちょうどその頃に応接室の扉が静かに開き、魔王レヴィスターが入って来た。ソファまで真っ直ぐに歩いて先程と同じ場所に座ろうとした時に、後始末がなされていることに気付き、3人に向かってお礼を言った。

「クウィムを運ぶ助勢だけでなく、ここの後始末までしてもらって、感謝する」

表情には感情が薄くて冷たい印象はあったが、しっかりとお詫びとお礼を言った。カルドとティスタはその姿に少しだけ魔王レヴィスターへの印象が変化した。

「彼女は落ち着いたのか?」

エドワードが少女の状態を尋ねた。自分の気持ちに一呼吸を入れてくれて、迷いを吹き飛ばしてくれた彼女が心配だった。魔王レヴィスターはひとまずソファに座ってから、エドワードの質問に答えた。

「ひとまず落ち着いた。もう大丈夫のはずだ。ただ、俺が想像していたよりも落ち着くまでに時間がかかったが…。」

魔王レヴィスターは先程まで手を付けていなかったコップのジュースを一口飲んだ。それに合わせたように純白王国フェイティーの3人もそれぞれジュースを飲んだ。3人はこの館に入ってから水分を摂取していなかった事もあって、ジュースはとても美味しく、身体の隅々まで浸透していった。エドワードは大きく息を吐いて一息を入れて聞いた。

「落ち着いたのは良かった。突然の事なのでとてもびっくりしたが…一人で部屋に寝かせておいても大丈夫なのか?」

「ああ、それは心配ない。いったん落ち着いてしまえば大丈夫だ。いずれ何事もなかったかのように起きてくると思う」

魔王レヴィスターはエドワードの質問にすばやく回答した。

 その反応を見ると、少女の今回の症状は初めてではないように思われた。何かしらの持病があるのかもしれないが、それ以上の質問ははばかられた。そこでエドワードは恐縮しながらも自分達の都合を優先させるための話を始めた。

「このような状況で申し訳ないが、我々には時間がない。少しでも早く王国に戻り、状況の改善に全力を尽くしたい。だから、こちらの都合で恐縮だが、一刻でも早くここを出発したいんだ」

エドワードには焦りがあった。出来るだけ早く王国に戻って状況を把握し、暗黒帝国ブレイクへ対抗しなければならなかったからだ。現状では商業都市コームサルが蹂躙され、王都グランシャインが陥落したと聞いていて、王国の3大都市のうちの2都市が敵の手に落ちた事になっていた。エドワードが領主を務めていた宗教都市リガオンから王都グランシャインに向かっている道中で連絡を受けて、進軍を諦めて軍隊を宗教都市リガオンを撤退させて、今いる魔王の樹海までやって来た。その為に王国の状況が確認できず、暗黒帝国ブレイク軍がどの程度進軍しているのか分からない為に、宗教都市リガオンさえ占領されるのではないかと危惧していた。

「お前の気持ちはよく分かる。ここから離れた遠い地で仲間が敵の侵攻に晒されている思うと、そうやって焦ってしまうだろうな」

魔王レヴィスターは若き王子の気持ちに理解を示した上で、

「でも、準備が必要なことを理解してほしい。突然の訪問でこちらは何の準備も出来ていない。少しでも希望に沿えるように支度するが、少なくとも今すぐにここを発つ《たつ》事は無理だ」

現実的で冷静な判断の答えを返し、焦燥感にかられている王子をやんわりと諭した。

 エドワードが自分の焦りに気付いた時、僧兵ムンクのカルドが割り込んできた。

「レヴィスター殿、貴殿のお話はその通りだ。我々は焦りがあって、配慮を欠いていた。それは改めてお詫び申し上げる。ただ、それでも少しでも早く王国に戻りたい。我儘かもしれないが、我々はそれだけ追い込まれているのだ」

真剣な表情で魔王レヴィスターに真っ直ぐに向き合ってそう言った。その顔には焦りと苦悩の色が滲み出ていた。国王への忠誠度が強い彼にとって今の状況は耐えがたいものだったに違いなかった。

 カルドが喋った事で同行していたティスタも思わず口を開いていた。

「我々はここに来るまでに多くの仲間を失った。その仲間達に報いるために、そして、多くの市民の生命と安全を守るために使命を果たしたい。その為に貴方の助力がどうしても必要なのです。どうかお力を貸して下さい。お願いします」

ティスタはソファから立ち上がりその場で深々と頭を下げた。それに合わせてカルドも立ち上がって頭を下げた。

 2人が揃って頭を下げている光景に魔王レヴィスターはバツが悪かった。

「揃えて頭を下げなくていい。座ってくれ。お前たちの要望は受け入れた。出発も出来る限り急いで対応する」

最大限の誠意を見せる魔王レヴィスターに王子と2人の従者は安堵の表情を浮かべた。


 その時応接室の扉が開いて少女が入って来て、全員の視線がそちらに誘導された。少女は先程まで苦しんでいたとは思えないほど健康的な足取りでソファまで歩き、魔王レヴィスターの横に何もなかったように座った。純白王国フェイティーの3人は少し前まで意識を失っていた少女を目の当たりにしていたので、少女が意識を失う前と何ら変わず元気だった事が信じ難かった。呆気にとられている3人を尻目に少女は自分のペースを保って続けた。

「あっ、私の事は気にしないで。どうぞ続けて」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る