第027話 変化

『変化は突然だが確実に訪れる』


 応接室の扉をノックする音が部屋に響いた。それはエドワードが絶望的な存在の介入に気付かされてからすぐの出来事で部屋が静まり返っていたために、さほど強く叩かれた訳ではないにもかかわらず部屋の隅々まで音が良く伝わった。ノックをされた側の室内から誰も返事はしなかったが、速やかに扉は開かれて、少女がトレーを両手に持って入ってきた。

 トレーの上には薄い青色の陶器で出来た水差しと濃い青色のガラスのコップが伏せた状態で乗せられ、さらに干しブドウが積まれた陶器の白い丸皿も乗せられていた。純白王国フェイティーでは取り急ぎで来客をもてなすためのごく一般的な作法だった。水差しには数種類の果実を絞ったブレンドのジュースが入っていて、純白王国フェイティーではお目にかかることができない非常に珍しい飲み物だった。

 少女はエドワード達が話の流れの中でのを尻目にトレーを応接の間の中央にあるテーブルに置き、ガラスのコップに果実のジュースを注いで、各人の前にテキパキと置いていった。水差しにはまだジュースが残っていたのでトレーからテーブルに移し、干しブドウの白皿を水差しの脇に置いた。その動きには無駄がなかった。それから少女は自分の分となるガラスのコップにもジュースを注いで、周囲の緊迫した雰囲気をものともせず、レヴィスターの横に静かに着席した。

 はるばる純白王国フェイティーからやってきた3人はあっけにとられ、思わず口を開けてぽかんとしながら少女をただ見つめていたが、少女はその沈黙を一方的に破ってしまった。

「あっ、私の事は気にしないで。どうぞ続けて」

そう言って、3人に笑顔を返した。彼らの身分など意に介していないのか、彼らが誰なのかを分かっていないのか、それは読み取る事が出来なかったが、天真爛漫な笑顔はそれまでの重苦しい雰囲気を吹き飛ばしてしまった。

 エドワードは少女の笑顔につられて不意に吹き出してしまった。気難しい顔をしていた僧兵ムンクのカルドも、悲壮な顔色だった魔術師ルーンマスターのティスタも王子の緊張がほぐれたのに合わせたように表情が緩んだ。そんな中でもレヴィスターだけは氷のような表情を崩さなかったが…


 エドワードは王国存亡の危機的な状況を打破するためには眼の前の『氷の魔王』に協力してもらう以外に道はないと信じて対話を続けていたが、現状を把握するための情報が非常に乏しいために思うように対話が進展せずに、時間だけが刻々と過ぎている感覚が強くあって、時間と共に焦燥感が増していくだけだった。

 そんな悲壮な王子を見かねた魔王レヴィスターは彼の状況を見透かして現状を分析する思考法へ導いてくれていたのかもしれない。

 純白王国フェイティーの王子は気を取り直して、魔王レヴィスターに改めて対峙した。

ドラゴンが人間の争いに介入する事はありえないはずだ!」

強い気持ちを取り戻して、その気持ちを前面に押し出した話し方で続けた。

「でも、ドラゴン暗黒帝国ブレイク陣営に操られるとは到底思えない」

魔術師ルーンマスターのティスタはその発言に無言で頷いていた。

「人類を歯牙にも掛けない神のような存在がドラゴンだ。それを人類が従える事など不可能!」

僧兵ムンクのカルドも大きく頷いていた。

「だとすれば、何らかの人外の強大なチカラが働いているのだと思う」

エドワードはレヴィスターを真剣な眼差しで見つめて、

「僕の敵はそのチカラを持つ暗黒帝国ブレイクだ」

座ったままで前のめりになりながら、やっと辿り着いた自分なりの結論を魔王レヴィスターにぶつけた。

 眉一つ動かさずに王子の熱弁を聞いていた魔王レヴィスターは1回だけ深く瞬きをしてから、ぶつけられた王子なりの回答に反応を見せた。ソファの背もたれに預けていた身体をゆっくりと起こして、両肘を自分の両膝に立てるようにして、左手で顎の付近を触った。それから凍りつくような視線を王子に向けてから左手を顎から離し、少しはにかんだようにも見える表情をしながら口を開いた。

「貴国の誇る戦力や体制とジョージの伝言を重ねると恐らくはその辺りが現実的な解だろう。そうなるとこれは通常の戦争とは異なり、これまでの常識が通用しないと考えるのが妥当だ。特に破壊力と速度において対処するのがとても難しいはずだ」

淡々と落ち着いた雰囲気で語られる魔王レヴィスターの話は、純白王国フェイティーの重鎮であるエドワード達にとっては重苦しいものだったが、その暗い内容に気持ちまで染められる事はなかった。少女の登場をきっかけに取り戻した強い気持ちを持ち続けたままエドワードは言葉を返した。

「確かにとても絶望的な状況だ。それは認めざるを得ない。でも、僕らはまだ滅んだわけでもないし、降伏したわけでもない。この苦境をひっくり返すために僕はここに来ている。なぜなら貴方がその切り札だからだ」

燃えるような眼差しで突き刺すような視線を魔王レヴィスターに向けたエドワードはこれまで表に出した事がなかった感情が剝き出しになったようだった。エドワードは市民の安全を第一に考えつつ、存亡の危機に瀕する王国の状況を盛り返すために必死だった。自分の肩に数十万の命がのしかかっている事が彼を突き動かしていた。

 レヴィスターはそんな彼を見て珍しく感慨に耽っていた。親友である冒険王ジョージの第1子として誕生した時には祝いに駆けつけたし、機会を設けて出向いては成長している姿をつぶさに見てきた。あの幼かった王子が自国の民を思って語る姿がとても立派に見えた。エルフとしては非常に珍しい感情であり、レヴィスターは自分でも自分の感情に驚いていた。それでも人間の争いに興味は湧かなかったが…

「俺を切り札と考えるのは勝手だが、さっきも言ったように、人間共の醜い争いに興味はない」

 エドワードはどれだけ熱を押し込んでも動かす事が出来ない魔王レヴィスターに対してガッカリしそうになった。と言う思いに駆り立てられている彼に折れる気はなかったが、堂々巡りが続くのではないかという心配はあった。


 しかし急激に変化が起こった。

 魔王レヴィスターの横に座っていた少女がジュースの入ったガラスのコップを手から落とし、コップが砕けて割れる音が部屋中に大きく響き渡った。ソファに座ったまま血の気が引いた表情で顔には大粒の汗をかき、胸の辺りを両手で抑えるようにして苦しみ、魔王レヴィスターにもたれかかってしまった。目を開けていられない程に苦しみ、呼吸も大きく乱れていた。押し黙って耐えているようだったが、もしかすると声を出せないのもしれなかった。

 あまりに突然の事でエドワードを始め純白王国フェイティーの使者達は面食らって何も出来ずにいた。先程まで自分達の会話を全く気にする事なく機嫌良さそうにジュースを堪能していた幼な気な少女が、唐突に苦悶の表情を浮かべてうずくまってしまったのだから無理もなかった。

 もたれかかられていた魔王レヴィスターはそんな緊急事態に動揺など全く見せず、先程までと変わらない落ち着きだった。それどころか少女を心配しているように見えなかったために文字通りに『氷の魔王』に見えた。

心配などしていないように見えた魔王レヴィスターだったが、少女の顔を覗き込んで

「クウィム、大丈夫か…?」

と声を掛けた。その顔には少女を心配する感情が表れていた。

 少女は苦しんだままで返事ができる状況ではなさそうだった。

 魔王レヴィスターが少女を急いで抱えて応接室の出口に向かって歩き出したため、魔術師ルーンマスターのティスタが先導するように扉を開きに向かった。エドワードと僧兵ムンクのカルドは魔王レヴィスターをいつでも支える事ができるようにすぐ側に付き従った。実際には魔王レヴィスターが軽々と抱える程に少女は軽かったので、介助は必要ではなかったのだが…

 魔王レヴィスターが応接室の扉の前で「開扉せよ」を命令を出すと扉はひとりでに開き、魔王レヴィスターは付き従ってきた純白王国フェイティーの3人と一緒に廊下を建物奥へと進んで行き、少女にあてがわれていた部屋の扉の前で止まった。そして魔王レヴィスターが「代わって、開扉を命ず」と言うと扉が静かにかつひとりでに開いた。

 扉と対面の壁の中央には少女のための天蓋のついたの大きめのシングルベッドがあり、衣装用のクローゼットと、身だしなみを整えるためのドレッサーがベッドの両脇に配置されていた。大きく開かれた窓からは眩しい光が差し込み、開放感のある明るい部屋を演出していた。窓と対面には一面に渡って壁面収納が並び、その半分は引き戸で目隠しされたクローゼットで、残り半分は書棚だった。とても整頓された部屋で清潔感があった。その部屋が与える印象から考えると少女というよりはもう少し大人びている感じがした。

 魔王レヴィスターは少女を抱えたままベッドまでまっすぐに進み、そこへ寝かそうとしたので、ティスタがベッドにかけてあったブランケットをずらして、少女を寝かしやすくした。少女を横たえてから靴を脱がせ、ずらしたブランケットを少女にかけた。

「手伝ってくれてありがとう」

素直にお礼を言ったレヴィスターは少女のベッドからスッと離れて、3人に頭を下げた。

3人は『氷の魔王』の豹変ともいえる対応に戸惑っていた。そんな3人の反応を尻目に魔王レヴィスターは突然エドワードに向かって言い放った。


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