第021話 絶望

『絶望の闇は徐々にその暗さを濃くしていく』


大陸ガーデンと呼ばれる大地は実は高地であり、そこから巨大な絶壁に隔てられた下の半島に魔王の樹海と呼ばれる森がある。大陸を二つに分かつ大河ライヴァーは大陸の端で絶壁から流れ落ちる大瀑布となるが、その絶壁の高さのせいで大河ライヴァーは水としての形態を維持できず、半島に辿り着く頃には霧と化していた。それでもその水分は地下へと吸収されて半島を潤し、広大な魔王の樹海を下支えしていた。樹海では多くの湧水が小川を発生させて、多種多様な動植物の生態系の源となっていた。


小川のいくつかが流れ込んで形成された薄緑色の水の湖のほとりに佇む小城で、純白王国フェイティーの第一王子であるエドワードは銀色の美しい長髪が印象的な漆黒ダークエルフと対峙していた。『敵をどう捉えているのか?』という質問に対して彼の思考回路からは『漆黒帝国ブレイク』という回答しか浮かばなかった。しかしそれをそのまま答えることはなかった。魔王と称される程高い知性を有する眼前のエルフがそんな当たり前の事を要求していると思えなかったからだ。エドワードは頭脳をフル回転させて考えたが前出の回答以外は思い浮かばず、一か八かで逆質問を試みた。

「今の私にその質問をするのは酷というもの。恐れ多くも伺うが、貴方はどう捉えているのですか?」

決意を込めた王子の眼はエルフを射抜こうとする勢いがあったが、その強烈な視線を受け流したエルフは冷静そのもので対応した。

「確かに貴国の誰に聞いてもほぼ全ての者が同一の答えをするだろうな」

至極冷酷な分析を披露して

「それは間違っていない。殆ど正解だ」

と、ほぼ抑揚のない言い回しで続けた。

一国の王族であるエドワードが自国の存亡の危機と市民の安全を気遣うのは当然であり、その危機を作り出している暗黒帝国ブレイクを敵視するのも当然だった。そんな当たり前と思える質問を天才と称される眼前のエルフが問いかけてくる事に強烈な違和感があった。

「まずは暗黒神の勢力を押し戻す事が先決だろうな」

レヴィスターはエドワードの逆質問を受け流したようだった。エドワードはを言いかけたがと思ってその言葉を飲み込んだ。

「あなたのおっしゃる通りで、それが出来ない事には、我が国に平和が訪れることはない」

エドワードは彼の言葉に追従した。それは話を合わせるという事ではなく、本心からそう答えていた。但し、現在の自国の状況が全く分からないため、どのような方法を用いて、どこから手を付ければ良いのかが微塵も見えなかった。

逡巡している王子に対して「魔王」は表情を全く変えずに問いかけた。

「ジョージが俺を『魔王』と呼ぶ事を、お前にどのように伝えていたか良く思い出してみろ。そしたら少しは対処方法が見えてくるんじゃないのか?」

その表情とは裏腹のようにエドワードに助け船を出しているようだった。

国王・ジョージが親友をあえて「魔王」と呼ぶ事はどういった意味を持っているのか…エドワードは頭の中を整理しながら、焦りと屈辱で暴走しそうになる心を落ち着かせながら、父の言葉を必死に思い出していた。

「お前達の敵は確かに漆黒帝国ブレイクだろう。だが、そんなに簡単に侵略されるほど、お前達は彼らへの警戒を怠っていたのか?」

レヴィスターの問いによってエドワードは深い思慮の世界に入っていった。

『奇跡の時代』と呼ばれた友好的な10年ではあったが、有史以来、記録されている期間だけでも千年以上と言われるほどの長い間、常にいがみ合ってきたのが両国であり、心を許すという事ができる間柄ではなかった。だからこそ国境警備は厳重に厳重を重ねていて、3大都市のうちの2都市である商業都市コームサル王都グランシャインが2か月ほどの期間で陥落するのはありえない事だった。純白王国フェイティーには屈強で辛抱強く戦うことができる軍人が多く、そう簡単に征服される軍隊ではなかった。この惨憺たる状況は有史以来初の出来事なのだ。この状況を漆黒帝国ブレイク軍が作り出すためには余程強力な、それこそ人類の限界を超える戦力を整える必要があるはずだ。これまでの歴史を踏まえると敵国がそんなに強力な戦力を整える国力があるとは思えない。

『人外の戦力』

漆黒帝国ブレイクは暗黒神の教義を信仰する宗教国家であり、純白王国フェイティーの市民があまり接触を好まない怪物モンスターの類と付き合いがあるという。彼等の中には人類が及ばない程の凄まじい戦闘能力を有する種族が多数存在し、白の軍隊を凌駕する戦力になり得る可能性を充分に持っている。その手先として想像できるだけでもコボルト・ゴブリン・オークなどの暗黒神の影響下に落ちた小鬼インプ達がいて、その圧倒的な数にものをいわせる戦い方で襲撃すれば大きな戦力となる筈だ。さらにもっと上位種の怪物モンスターを付き従えることが出来ているならば、その戦力は計り知れない程強力なものになるだろう。

「暗黒神に魅入られた小鬼インプ達が漆黒帝国ブレイクに協力して大挙押し寄せたとしたら、我が軍が不利な状況に陥ったのかも…」

エドワード王子は独り言に近いレベルの語気と声量でそう言った。それは側に座る僧兵ムンクのカルドと魔術師ルーンマスターのティスタにははっきりと届いていた。それを聞いた2人は思わず頷いていた。彼らには軍隊にかなりの部下が多くいるので、軍の能力や実力を理解・把握していた。

「ジョージの兵はそんなにショボいのか?」

3人の同じ見解を共有する空気をバッサリと斬ったのはレヴィスターだった。自分の部下が多く所属する軍を侮辱されたと感じたカルドは鋭い眼光でエルフを睨み、多くの市民が犠牲になっている事に責任を感じているティスタも険しい視線をエルフへ投げた。

レヴィスターはその2人の迫力に一瞥もくれず、純白王国フェイティーの第一王子にさらに問いかけた。

小鬼インプ達やもしかして隻眼巨人サイクロプスあたりが大挙して押し寄せたとして、強固な城壁と強靭な軍隊がこの短期間に敗れるとでも思っているのか?」

その問いにエドワードは愕然とした。レヴィスターの言う通りに強固な城壁と強靭な軍隊を有する自国の最前線の拠点と首都という国内で最も防衛力のある陣容を有する2都市を、この短期間に陥落させる戦力を整える事は不可能の筈だ。そもそもそんな災害級の壊滅的な破壊力を発揮できる戦力を漆黒帝国ブレイクが整備できる筈がない。そんな戦力を有するのはもはや神であって、人外だけが為せる領域だった。

しかしそれほどの強大な戦力が戦闘に投入された結果、純白王国フェイティーは窮地に追い込まれているのは事実で、神かそれに近い能力を有する存在がこの戦争に絡んでいるのは事実だった。

「…、あっ……」

そしてエドワードはその戦力を発揮でき得る唯一の種族を思い出した。その種族の名を口にしようとするだけで全ての内臓が凍り付いたように感じた。大きく唾を飲み込みながら、

「まさか、ドラゴンが…」

自ら発したその一言で全身が凍結した気がした。ドラゴンの介在以外に考えられない状況だとすると、今の状況は不利ではなく絶望に思われた。

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