第020話 返答

『危機が生み出す緊張は焦燥を作り出す』


「魔王の樹海」と呼ばれる多種多様な植物が鬱蒼と生い茂る森の中に乳白色がかった薄い緑色の水を蓄える湖があり、その湖畔に無機質だが立派な小城が聳えていた。その城はこの樹海を実質的な支配下に置き、人々から魔王と恐れられる魔法剣士シルヴァーのレヴァスター・ガイクスの居城だった。魑魅魍魎が跋扈するこの森は人類が生存できる環境ではなく、怪物モンスター達が弱肉強食の基本原則の中で凌ぎを削り合いながら生活する場で、ここを訪れる物はいなかった。そんな絶望の樹海の中で王子の「説得」は続いていた。


純白王国フェイティー第一王子エドワードは魔王と呼ばれるエルフの返答を待っていた。相対して目の前に座っている魔王は伏せていた視線をゆっくりと上げて、立ち上がって援助を求める王子の顔を見て

「そうか、ジョージの意図は分かった」

と呟いた。その呟きはエドワードに向けたものではないと思われ、まさしく呟いたという感じで、エドワードはどのように反応して良いか分からなかった。「氷の魔法使い」という異名で呼ばれる事もある銀髪のエルフの視線はその名の通りに冷たく感じられ、その目力に体温を奪われたような錯覚に陥った。いや、実際にエドワードの身体は一瞬震えたので、エルフは本当に体温を奪っていたのかもしれない。

「父の意図…⁉︎」

無意識の反応でそう呟いた王子は自身の台詞で父王の意図とは何かを考え始めた。目の前のエルフと父王は若かりし頃にパーティーを組んで大陸各地を冒険した「戦友」であり、その父が信頼するエルフを「魔王」と呼ぶのは強烈な違和感があった。あえて「魔王」と呼んだのは何らかの意味があり、そう呼んだ時の行動を自分に指示していた事に大きな意味があるはずだった。しかし彼にはその意味に思い当たる節はなかった。子供の頃に何度か会った事のあるエルフに「魔王」という印象はなく、世の人々が彼に抱いている畏怖の念はズレている感覚さえあったからだ。彼の「魔王」たる所以はその強大な魔力である事は疑いがないが、それを目の当たりにした事がないエドワードにそのイメージが湧かない。

レヴィスターはこの部屋ではない何処かを見つめるような眼でエドワードに視線を送っていた。

「いよいよ…、か…」

誰に向けて発した言葉なのか、そもそも誰かに向けて発した言葉なのか。それは分からなかったが、そう言ってからほんの少しだけ眼を閉じた。その後一つだけ大きめの息を吐いてからゆっくりと開かれた眼に遠くの何処かを見つめる様な雰囲気はなくなり、眼前の懇願する王子を冷えるような視線で見つめていた。


エルフという種族は元来他の種族に無関心であり、彼の発言は一般的なエルフのそれだった。また同種族内であってもあまり他人に興味を示さず、人間からすると自分勝手で冷たい印象さえあった。人間と比較するとやや小柄で身体は細く、若干虚弱な体質ではあるが、人間を遥かに凌駕する知性と強い魔力を持ち、精霊との結びつきが強いとされている。人類と亜人類の全言語を操り、独自の魔法を有し、一部は龍語ドラゴンロアーをはじめとした怪物モンスターの言語を駆使出来る者もいると言われていた。大陸各地に残る超高度文明の遺跡や宝物はエルフが勢力を誇った遠い過去に由来するとされ、それは現代の文明では到底精製できないレベルの代物だった。

 そんな至高の種族である彼らが大陸の覇者となっていないのはひとえに生殖能力の低さであり、が旺盛な人類と比較して多勢に無勢であるためでった。もし彼らが同程度の人口を有していれば、大陸の覇権を握っていたであろうとする学者はかなりの数存在した。人類は低い文化と知能を強い繁殖能力と多大な人口で補っているのが実情だった。

 精霊との結び付きを重視するために禁忌となる金属類は身に付けず、武器や防具は非金属製を好む者が多い。しかし魔法付与エンチャントマジックされた金属製武器や防具を所持する者も多く、意図するしないに関わらず、戦闘の際には強力な戦力となる。


「人間共の醜い争いに興味はない」

エルフとして当然の回答をしたレヴィスターは迫力のあるが凍りつくような視線を投げかけていた。

「ジョージとは共に冒険をした仲だが、それはもう20年ほど前の話だ。それを根拠に助勢を求められても、それに応える義務はない」

冷気を帯びた視線のまま続け様にそう言った。彼から滲み出る強烈な威圧感は『魔王』という呼び名に相応しいものに思えた。

エドワードの右隣に座っていた僧兵長ムンクマスターのカルドは敵対的な雰囲気に反発するように身体の奥底から力を振り絞って抗議の声を上げた。

「貴様はジョージ王様を侮辱するのかっ!!ジョージ王様から受けた恩を忘れたのかっ!!」

彼の顔は真っ赤に紅潮していた。それは発作を起こしてしまいそうな程だった。

「その冒険で貴様は国王様から何度も命を救われたであろう!その国王様のご子息が直接依頼に来ているのだっ!相応の応接で応えるのが礼儀であろう!」

彼は自国の王族を侮辱されたと感じていて、かなり感情的になっていた。そして現在自国が敵国に侵略を受け、その戦況が厳しい状況である事が焦りを生んでいた。

エドワード王子がカルドを制する前にレヴィスターが口を開いた。

「俺達の旅に同行していない僧兵ムンク如きに何が分かる」

声色自体は比較的穏やかな響きであったが、僧兵長ムンクマスターを萎縮させるのに十分な迫力が込められていた。

「それはジョージがそう言ったのか?それが本当なら俺はアイツを買い被っていた事になるが…」

更に語気を強めた。

「それは俺達の命懸けの冒険を馬鹿にしている」

銀髪のエルフは屈強な僧兵ムンクをきつく睨みつけた。

その迫力に歴戦の強者であるカルドはたじろいだ。まるで「蛇に睨まれた蛙」のようだった。背筋は凍ったように冷たく感じ、全身から冷や汗が湧き出てきた。

もはや交渉の場という雰囲気ではなくなってしまっていたが、第一王子であるエドワードは焦りそうになる気持ちを落ち着かせながら2人の間に割って入った。

「レヴィスター。彼が貴方の機嫌を損ねる物言いをした事は陳謝する。大変申し訳ない」

エドワードはソファから静かに降りて右膝を立てて左膝を床に付け、純白王国フェイティーの礼儀に倣って敬礼の姿勢になった。カルドと魔術師のティスタは王族が敬礼の姿勢をとった事にたじろいだが、王子はそれを気にする事なく続けた。

「我が国は今侵略を受け国土や都市を蹂躙され、建国以来の危機に瀕している。国のまつりごとを担う者の一人としてこの状況を憂慮しているけれど、現状は勢いに屈していて、打開策を見出せないままにジリ貧の状態が続いている。強い焦燥感があり、部下はとっさに感情的になってしまったのだと思う」

敬礼の姿勢から視線だけをレヴィスターに向けて上げて続けた。

「貴方の気持ちを損ねた事は陳謝する」

エルフの眼をしっかりと見つめてからそう言った後、王子はこうべを垂れて懇願の姿勢となった。

「レヴィスター殿に申し上げ奉る。貴殿がお持ちの勇敢な武を弊国にお貸し頂きたい。市民と我が国を明るい未来へとお導き下さい。そのために小生は生命を賭して貴方に尽くします」

これは王族が発する言葉遣いではなかった。それだけエドワードが切羽詰まっている事の現れだった。

レヴィスターは市民や国を思う健気な王子をソファに座したまま見下ろしていた。その表情や眼元から感情が揺れ動いた感じはなかった。そしてじっくりと王子を見つめた後で無表情のままで口を開いた。

「エドワード王子よ。お前がをどう捉えているか聞かせてくれ」

レヴィスターは悩める王子にこう問いかけた。

エドワードはこの問いへの返答が運命を大きく変える事にまだ気づいていなかった。

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