第015話 任務

『絶望の中にあるかすかな希望の糸は少しずつ紡がれていく』


「ヴェスっ!!?」

 エリスは大きな声を上げながら倒れたままの隠密の身体を大きく揺らした。通常ではあり得ない極秘の地下室の使用という一大事が彼女の冷静さを奪っていた。そのため横たわっていて息絶えているように見えたのだった。エリスは大声を発しながら涙を流して隠密に呼びかけ続けた。

「うるさいなぁ…そんなに叫ばなくても聞こえてるって…」

 ヴェスと呼ばれた女性は取り乱しているエリスに向かって冷静に回答した。驚き過ぎたエリスは文字通りひっくり返り、尻もちをついてその勢いのまま後頭部を強く床に打ち付けてしまった。

「あっはははっ!!もう、何やってんのよ…」

 ヴェスはエリスの滑稽な動きに腹を抱えて笑ってしまった。特に大神官ハイプリーストの正装を纏っているエリスのあられもない姿はギャップとして十分だった。

「死んでないって。早とちりする変な真面目さは相変わらずだねぇ。でも本当にエリスなの?」

 ヴェスの台詞で我に返ったエリスは自分が滑稽な体勢になっている事に気付き、立ち上がって取り繕うように尻のあたりの埃を払った。顔は真っ赤になり、視線は泳いでいた。この様な姿を他の誰かに見られなくて良かったという安心はあったが、恥ずかしさは隠せなかった。

「生きていたなら安心だね。取り乱して悪かったわ。もちろん私よ。」

 そう言ってエリスはようやく落ち着きを取り戻した。それからは普段の真面目な大神官ハイプリーストとしてのに戻っていった。教会関係者でもなく王族でもないヴェスが歪曲門ディストーションゲートを使用してこの極秘の部屋にいる現状を正確に把握する必要があった。考えられる1つ目の可能性はヴェスが盗賊として魔法の宝物を手に入れていたというものだ。もう1つはレヴィスターがヴェスに導因インデュースの魔法の宝物を渡していて、それを稼働させたという可能性だ。果たしてヴェスはこの事態をどこまでを把握し、どこまでを語ってくれるのかという問題もあるが、これまでの彼女とのをベースに考えると何らかの話は聞けるのでは無いかという期待はあった。

「ヴェス。本当に大丈夫なの?」

「ああ、擦り傷や頭は全身にあるが、たいしたものじゃない。エリスがいるって事はここは王都グランシャイン!?」

「ええ、王都グランシャインよ。王都の教会。ここじゃなんだから、私の部屋まで歩けるかしら?」

これからのエリスの行動を察したのか、ヴェスは一瞬だけたじろいだ表情を見せた。

「エリスの部屋で尋問か?」

ヴェスの反応を感じ取ったエリスは笑顔で優しく答えた。

「尋問じゃないわ。教えて欲しいことがあるだけよ。そんなに構えないで」

ヴェスの立場と職業を考慮すると彼女がのは当然であり、エリスはその事を分かっていた。

「ここは私しか知らない部屋だし、人目につかないルートで私の部屋まで行くから、安心してね」

ヴェスの表情から緊張の色が若干和らいだ。そしてエリスはゆっくり手を差し伸べてヴェスの身体を起こしてやった。青白い光に包まれていたせいだろうか、ヴェスの手はエリスのそれよりも温かく、ある種の心地よさを感じた。


 2人は揃って極秘の部屋を出た。周囲には誰もおらず、エリスがこの部屋に駆けつけた時と同じルートを通って教会長の部屋に戻った。ルートはのようなものであったため、2人の姿を目撃した者はいなかった。

 大神官ハイプリーストの部屋に案内されたヴェスは柔らかなソファに座るように促され、それに素直に従った。エリスはソファに備え付けられたテーブルの上からグラスを手に取って、水差しから水を注いでヴェスに手渡した。ヴェスはその水を味わうようにして飲んで、蘇った心地になった。上位龍エルダードラゴンから命からがら逃れてきて喉がカラカラだった。一心不乱に一気に飲み干して、

「はぁ、はぁ、お代わりを頂戴」

と息を切らしながらお代わりをお願いしていた。次の一杯も一気に飲み干してしまったが、それでようやく少しだけ落ち着きを取り戻した。グラスをテーブルに置いてからエリスを見て、

「私に聞きたい事って何?」

と真剣な眼差しを向けた。エリスは彼女と正対するソファに座り、真剣な眼差しを返した。

「色々とあるのだけれど、答えられる範囲で教えて欲しいの」

ヴェスの目にエリスは尋問者のように映ったが、不思議と圧力を感じさせる色はなかった。その事がヴェスの心構えを軽くし、素直な気持ちで誠実に答える姿勢へと導いてくれた。

「いいわ、何から聞きたいの?」

「じゃあ、まずは、あなたは何処から来たの?」

商業都市コームサルよ」

「えっ、商業都市コームサルの教会?」

エリスの切り返しを聞いて、ヴェスは自分の回答がずれていた事に気づいた。

「ああっ、ごめん…あの部屋に来たきっかけはセコ村の教会だった。私がいたのが商業都市コームサル王都グランシャインに向かっている途中だった」

その回答はエリスの悪い予感を増幅させるのに十分な内容だった。エリスの色白の顔がさらに白く青ざめていった。

「…、あっ、あなたが王都グランシャインへ向かうという事は『鳥』の役割を果たさなければならない事が発生したのよね…?」

そう聞かれてヴェスはエリスに向けていた視線を床に落とした。両膝の上に置いていた両手で服をきつく握りしめながら身体を小刻みに震わせて、

商業都市コームサル漆黒帝国ブレイクの侵略を受けた。私はハリー(商業都市コームサル領主・ヘンリーの愛称)の依頼で他の鳥たちと一緒に任務に就いたの」

ヴェスの震えは次第に強くなっていき、

商業都市コームサルを出た時はまだ侵略が開始されて間もなかったから、無事に任務は果たせると思っていた。でも…」

ヴェスはうなだれてしまい、震えはさらに強くなっていった。声は上ずり、涙を必死にこらえているようだった。

「私たちの前に上位龍エルダードラゴンが立ちはだかった。商業都市コームサル付近で奇跡的に私だけ生き延びて南下したけど、セコ村でまた遭遇してしまって…」

 エリスはヴェスの台詞の内容に愕然とした。伝説上の怪物モンスターとされる上位龍エルダードラゴンが存在し、しかも漆黒帝国ブレイクの侵略に手を貸しているという事がにわかには信じられなかった。しかし、ヴェスとの長年の付き合いで取り乱した彼女を見た事はなかったので、かえってそれが彼女の台詞の信憑性を高めていた。

「…。それでセコ村の教会で歪曲門ディストーションゲートを使ったの?」

エリスの問いにヴェスはうなだれたまま視線をエリスの足に向けたように見えたが、頭を上げる事はなく、

歪曲門ディストーションゲートって言うのか?」

ヴェスは呟くようにそう言ってから続けた。エリスはその呟きに頷いたが、ヴェスには見えていなかっただろう。

「村は壊滅していて、おそらく誰も生き残っていなかった。建物もすべて破壊されて、わずかに残っていたのが教会の壁の一部だった。村で生存者がいないか探している最中にまた上位龍エルダードラゴンに遭遇して、教会の壁に隠れた。でも見つかってしまってもう死んだと思った時に指環が光って…」

「指環?」

「うん、昔レヴィスターに貰った指輪。いつか高値で売っぱらえると思いながらずっと持ってたやつ。それが青白く光って…その光に導かれて地下室に潜り込んで、それで気づいたらここにいた」

 魔法剣士シルヴァーの名前が出て、指環が導因インデュースの魔法の宝物だと分かったエリスは、この話を完全に信じる決心がついた。

「大変だったね、ヴェス。本当は身体を休めなきゃいけないのだろうけど、あなたの任務はあともう少しでしょ?私も一緒に王城に同行させてくれないかな?」

 突然の申し出にヴェスは思わずエリスの顔を見るために視線を上げた。そこには美しくて優しいエリスの笑顔があった。その笑顔はヴェスの心を溶かすのに十分な魅力を蓄えていた。

「うん、分かった。こちらこそお願い」

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