第012話 全滅

『絶望の暗闇の中に光を見つけ出すのは非常に困難である』


 ぐずついた天気が続いてくれたおかげでやりやすかった昨日までの隠密行動が、今朝から晴天になった分だけやりにくくなったのを感じていた。やはり5日前に気を失うようにして眠ってしまった分だけ次の村への到着が遅れるのは不覚だった。目立たないように林の中の木々や草をかき分けて進んでいたが、林の外からは蠢く自影が見やすくなっており、ここを住処とする魑魅魍魎が突然襲ってくる確率も高くなっていた。

 それでも遅れを取り戻すために必死に駆けていった。次の村はあと1日程度で到着できるはずで、そこで馬を手に入れる事が出来れば移動速度は格段に向上するだろう。今は次の村で馬を入手出来る事を祈りながら進む以外に出来る事はなかった。


 夕暮れ近くになったが、次の村・セコ村が見えてきた。なだらかな下り坂の先にあるその村も最初の村と同じく農業と放牧で成り立っているが、人口の規模はフィルス村のそれよりも大きくて栄えていて教会もあり、物資と馬の調達は5日前に立ち寄った村よりも期待できた。

 しかし、林を抜けて村が見渡せる小高い丘から村を見下ろした時、そのすがるような期待は完膚なきまでに叩き潰されてしまっていた。

 セコ村は漆黒帝国ブレイク軍に蹂躙されてしまったのだろうか、全体的に火が放たれて陥落していた。元の建物がかろうじて判別出来るのは石造りの教会だけで、その教会も半壊していた。まだ焦げた臭いが漂っているためここ数日の出来事であるはずだ。

 この惨状に大きな疑問を感じた。漆黒帝国ブレイク軍に先を越された事はなかったはずだ。フィルス村を出た後に眠ってしまった一夜にして追い抜かれたとは思えなかった。軍隊は行軍に時間がかかるものだ。征服した地を落ち着かせるための後処理があり、その地に駐留する隊とそこから進軍する隊に編成する。さらに進軍する隊を先遣部隊と本隊、後続の補給部隊に分け、ようやく出陣できるものだ。商業都市コームサルを秘密裏に出発してから20日が経過しているはずだが、漆黒帝国ブレイク軍がどんなに迅速に対応したとしてもようやく商業都市コームサルを出発したくらいであるはずで、が先を越すことは不可能だった。

「人間にはムリだ…」

無意識に独り言を呟いていたが、自分の言葉に思わずハッとして、最悪な経験が蘇ってきた。それは20日前に体験した災厄。その予想が正しければこのセコ村の惨状は説明が可能になる。

 上位龍エルダードラゴンによる蹂躙。もはやそれは無慈悲で強大な破壊力を持つ神であり、人間が抗う事は「天に唾を吐く」ようなものだった。あの恐怖が訓練を受けた者ではなく自国の一市民に及んだのかと思うと心臓が握り潰されるかのようだった。

 でも、もしかしたらまだ生き延びているものがあるかもしれない。一縷の望みをいだきながら小高い丘を全速力で駆け下りていった。


 燻っている火が残っているセコ村の(おそらく)メインの通りと思われる道を進んだ。左右に広がる倒壊している家屋に意識を向けながらも、上空への警戒を怠らないようにしつつ、慎重に歩みを進めた。

 500歩程歩いただろうか…村の最奥にある聖白教エスナウの教会に着いた。頑丈なはずの教会の建物はその半分が崩壊し、残っていた部分も黒く焼け焦げていた。

 奇跡の生存者という淡い期待はやはり叶わなかった。思わず涙が出た。教会に着くまでに黒く炭化してしまった人間や家畜を目撃し、これまで何とか維持していた精神のタガが緩んでしまったのかもしれない。隠密としてあるまじき行為だったが、人間としての感情を押し殺す事ができないほどの酷い惨状だったからだ。号泣をせず、声を殺して涙を流すだけだったというのが、唯一の訓練の成果だったのだろう。大勢の犠牲者の冥福をほんのひととき祈る事しか出来ないかもしれない。いや、せめてそれくらいはしてあげたい。

 そう思って両腕を交差しながら両肩に乗せた時だった。あのおぞましい翼が風を切るが聞こえたのは…


 風に乗せられた上位龍エルダードラゴンの羽ばたく音を耳が捕らえた瞬間に身体が反応し、崩壊を免れた教会の黒い壁に咄嗟に身を隠した。偶然にも音が運ばれてきた方向に残された壁があり、屋根も崩れ落ちていない部分であったのは幸運だった。うまくいけばあの恐怖の怪物モンスターに発見されずに済むかもしれない。見つからない事を白き神々に祈った。翼が風を切る音が次第に近づいてくるにつれて、このまま通り過ぎてくれと強く願った。心臓の鼓動音が体外に漏れるのではないかと思うほどに強く激しくなっていた。呼吸が荒くなり、のどの渇きがひどかったが、極度の緊張で動く事が出来なかった。

 ドラゴンの放つ音が最接近して頭上を通過していった。「これで助かる!」そう思ってこれ以上ない幸運に感謝した。

 しかし、感謝していたわずかな時間の間に、ドラゴンは大きく弧を描くようにして360度旋回してきた。そして、こちらが見える位置で羽ばたきながら浮遊した。

 発見されてしまった絶望に打ちひしがれて、足と尻と手を大地に付けたまま、(仰向けのまま四つん這いになった体勢で)教会の壁沿いに後ずさり、そのまま教会の角に辿り着いて、行き止まってしまった。もう逃げ道はなかった。

 もう死んだ。そう覚悟を決めて神に祈りを捧げようとした。その時左手に何かが当たった感触があり、ふとそこに目をやると、うっすらと青白く光っているのに気付いた。神秘的なその光は床に設置されていた金属の扉から発せられていて、温かさを感じる不思議な力を持っているようだった。


 上位龍エルダードラゴンは空中で羽ばたきながら龍息吹ドラゴンブレスを吐出した。教会の残されていた建物は全て吹き飛んだ。

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