第011話 逃走

『決死の逃走は思いがけない成果を生むかもしれない』


 焦げ臭い臭いが辺りを包んでいた。雨が降ってきたおかげで火災は鎮火していて、奇跡の雨と言って良かった。もし雨が降っていなかったならば、龍息吹ドラゴンブレスの直撃を避けた後でも絶命していただろう。神々の秘宝の一つである魔法のマント「水神リヴァイアサンクロス」を纏っていなければ、一瞬にして黒焦げになっていただろう。今まで幾度となく超えてきたどの死線よりも絶望的な状況であり、そう考えると身体の震えがずっと止まらなかった。

 一緒にいた馬は即死だった。これまで何度となく共に死線を乗り越えてきてくれた愛すべき相棒だった。今はその無残に黒く焦げ落ちた遺体に向けて鎮魂の黙祷をしてあげることしかできなかった。鼻面を触れて冥福を祈りたかったが、遺体の温度が高すぎて諦めざるを得なかったからだ。もし隠密としての訓練を受けていなければここでずっと号泣していただろう。


 それにしてもまさか林ごと焼き尽くすとは思ってもみなかった。伝説の怪物モンスターである上位龍エルダードラゴンに関する知識はあったのだが、実在すると考えたことはなかった。伝説上のものでの生物だと認識していたからだ。

 その凶暴性と破壊力はこれまでに出会った怪物モンスターと天地の差があった。1度だけ出会ったことのある下位龍レッサードラゴンでさえ赤子に思えるほどで、上位龍エルダードラゴンは人間には抗う事が出来ない天災と言って良かった。(下位龍レッサードラゴンに出会った時に下位龍レッサードラゴンとは認識せず、ドラゴンだと認識していた)


 ひとまず上位龍エルダードラゴンは飛び去ったようだ。私を仕留めたと思ってくれたようだった。それはを考えると非常に好都合だった。思わず白き神々のご加護に感謝し、右手を左肩に、左手を右肩に載せて両膝を付いて神に祈った。それは白き神々の信者が神に祈る際の姿勢だった。

 感謝の祈りを終えると魔法のマントの紐をもう一度締め直してから南方の目視できる林に向かって全速力で駆けだした。王都グランシャインへ向かうための街道沿いには多くの林が点在しているので、それを隠れ場所にしながら移動して行くつもりだった。

 商業都市コームサルから王都グランシャインまでの移動は街道を馬で駆ければ15日程度の距離であったが、それは平常時の換算であって、林に隠れながら人間の足で移動するこの状況に当てはまらない数値だった。どんなに急いでも1ヶ月(40日)ほどはかかるだろう。その間に漆黒帝国ブレイクが侵攻の準備を整えて街道を行軍してしまうと先に王都グランシャインに到達してしまう可能性も充分に考えられる。最低限の休憩(と睡眠)で走り続ける強行軍だと思うと先が思いやられるが、漆黒帝国ブレイクの侵略に上位龍エルダードラゴンが絡んでいるという最悪の状況を考えるとそうも言っていられない事は分かっていた。

 王都グランシャインまでの道のりに2つの小さな村があった。そのどちらか(出来れば手前の村)で馬を入手できれば道程は短かくなるはずだが、今はその幸運がもたらされる事を祈るしかなかった。


 商業都市コームサルからの奇跡的な脱出から15日程が経過していた。その間に漆黒帝国ブレイク軍の動きを感じたことはなかった。このまま追いつかれることなく更に引き離す勢いで移動が続けていく事を願うばかりだった。

 から降り続く豪雨のせいで足元は悪く移動できる速度自体は低下させられたが、昼間でも薄暗くて視界が悪いために発見されにくい事を考えると幸運の雨だと感じられた。これから先の移動を考えるとこのまま降り続いてほしい雨だった。

 1つ目の村フィルスで馬は調達出来なかった。人口のほとんどが農業と牧畜を営む村で牛は多くいたが馬はいなかった。旅商人の装いを怪しまれることはなかったが、「商業都市コームサルで戦闘があったので早く王都グランシャインへ避難した方が良い」と伝えて、任務を急ぐためすぐに村をたった。夕暮れに村を出たため村人からはやや不審がられてはいたが…


 疲れがピークに来ていた。15日程仮眠を繰り返しながらずっと移動していたのだから、疲労が蓄積していたのは当たり前だった。フィルス村を出てすぐの林に潜り込んだ後に大きな木の根元に這うようにして辿り着き、気を失うようにして眠り込んでしまった。

 日の出から刺す日光が瞼の上からでも強く感じられて、はっとして飛び起きた。日の高さから見ておそらく半日ほどは経過しているように思われた。自己嫌悪に襲われたが、唇を噛み締めて堪え、急いで次の村へと出発した。

 眠ってしまった焦りから周囲への観察がやや雑になっていたのに気付いていなかった事に、その後大きな後悔をする事になるとは、この時露とも思っていなかった。


 追跡の足音はすぐ近くまで近づいていた。

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