第002話 圧倒

『巨大な波も小さなさざ波から始まる』


「あなたはっ、レヴィスター・ガイクス!!」

思わず大声で叫んでいた。それは心の底からの叫びだった。

 耳の鼓膜を破ってしまい兼ねない程の大声にも関わらず、名前を呼ばれたその男は一瞥もくれずに目の前のドラゴンを凝視していた。彼の銀色の瞳から発せられる強烈な威圧感からか、ドラゴンは警戒しているかのように次の攻撃に移る気配を見せていなかった。それは精神的な大きな安定をもたらしてくれていた。

 本来であればドラゴンに向けて最大限の注意を払わなければならない状況だが、彼の立ち姿に思わず見とれてしまっていた。銀色に輝く背中まで伸びた綺麗な長髪に、やや薄い褐色の肌。吊り上がり気味の目尻に、尖った大きな耳。人間と比べると細身の身体に白を基調とした服に金と銀の糸で装飾された服。右腰に携えられたやや細身の大剣は銀色に輝く鞘に琥珀を散りばめた装飾が施され、その剣の周辺だけ殺気を帯びた冷気を纏っているようかのだった。

 彼はドラゴンを睨みつけたままゆっくりとその左手を大剣の柄にやり、摩擦音をたてることなく物静かに鞘から剣を抜き取り、赤茶色の鱗に覆われた巨躯の怪物モンスターに片手で剣の先端を向けて構えた。

「俺の庭を荒らすな!」

彼は強めの語気でそう言って剣を構えたまま一瞬だけ冷酷な印象の視線だけをこちらに向けて、すぐに前を向き直った。

「昔のえにしで今回だけは助けてやる」


 縄張りを荒らした人間を軽く排除しようとしていたところに現れた新たな人類は威圧的な空気を纏っていた。その威圧感は2度目の攻撃を躊躇させるのに十分はものだった。生態系の頂点に君臨する彼にとってそれは異常な反応だったが、生来持ち合わせている本能が防衛反応を見せていたのだった。こちらを睨みつけている眼光は冷気を帯びているかのように冷たく、それは人類が醸し出せる迫力ではないように思えた。

 先程吹き飛ばした3人はもう認識する存在として視界から消えていた。そして氷のような視線の人類を排除すべき存在と認識し、次の龍息吹ドラゴンブレスのために体内のエネルギーを凝縮する体勢に切り替えた。先程は3人に対して広範囲に息を吐く必要があったため凝縮する時間を要したが、今は1人に照準を絞っているのでさほど時間は要しなかった。早く攻撃を開始した方が良い感覚が強くなり、素早く爆発する火焔を銀髪の人類に向かって吐出した。


「俺から離れろっ!!」

レヴィスター・ガイクスはドラゴンの体勢が変わっていくのを感じ取って、隣で剣を杖の代わりとしながらようやく立っている剣士に向かって大声で叫んだ。その声は緊迫したこの状況において非常に良く通り、剣士はレヴィスターから遠ざかるように後方に大きく飛んだ。

 後方に上手く着地できた時に龍息吹ドラゴンブレスがレヴィスターを襲った。凄まじい轟音と共に大きな爆発が発生して、多量の水蒸気と共に樹木より高く土煙が上がり、銀髪の剣士は一瞬にして土煙の中に消えた。恐らく先程自分が受けた爆発の倍以上の破壊力があったのではないだろうか。魔法の力を帯びた水精霊ウンディーネのマントで何とか守られた自分が死んでしまったと思うほどのダメージを受けたものより強力な爆発を回避する術をレヴィスターが持っていたのか分からなかった。

「レヴィ…、レヴィスターっっ!!!」

先程よりもさらに大きな声を挙げて爆発に巻き込まれた男の名を叫んでいた。それは死んでしまったように思われた彼の代わりに断末魔をあげたかのような叫びだった。全身を襲う震えと悪寒を伴う大量の発汗が絶望感をさらに後押しした。

 彼の名を叫んだその刹那、強い風が黒い崖の上から吹いた。その強風はレヴィスターの周囲を取り囲んでいた水蒸気と土煙の壁を徐々に森へと運んでいき、彼の立っていた場所を少しずつに鮮明にしていった。そこには爆発に巻き込まれて横たわっているレヴィスターの黒焦げになった遺体があると思われたが、驚くことに彼は倒れてなどいなかった。

 それどころか彼は爆発前と変わらず剣を構えたままの姿で平然と立っており、龍息吹ドラゴンブレスは彼の剣先から真っ二つに切り裂かれ、その凄まじい威力の跡は剣先を頂点として左右に分かれて残されていた。あれほどの高熱の火焔だったにもかかわらず、その跡に焦げた形跡は全くなかった。何らかの魔力で強力な火力の龍息吹ドラゴンブレスを無効化したのは確かだったが、どのようにすればあれだけの強烈なエネルギーを無効化できるか謎でしかなかった。それは人類の可能な所業ではないと思われた。


 ドラゴンは強力な火焔の吐出を無効化されて警戒を強めて次の攻撃を躊躇していた。生態系の頂点にいる彼にとって非常に珍しい反応だった。

 その間にレヴィスターが意識を集中させていくと、それに応えるように左手の中の剣が呼応して銀色の輝きを増しているように見えた。剣は周囲の温度を下げ、その周辺は陽炎かげろうが発生しているようだった。陽炎かげろうで揺らいでいた剣の周辺の景色が彼の集中力の高まりとともに凍り付いていき、剣から発せられる強烈な冷気が周囲を白く染め出していた。彼の周辺だけ温度が急激に低下した結果、気圧の変化が発生して草原全体の空気が彼の元に集められていた。その地域の気象を変えるほどの魔力の高まりは人知を超えているように思われた。

 睨み合いを続けていたドラゴンは銀髪の剣士が発生させた現象に恐怖を覚えていた。それはこれまで生きてきた中で感じたことがない感情だった。剣士の剣に宿る強大な冷気は恐らく自分と縄張りである草原を一瞬にして凍結させる威力を持っているだろう。その強大な冷気から逃れる術を持たない事を悟った。そしてドラゴンは攻撃の意思を急激に失い、荒ぶる気性は一瞬にして萎えてしまっていた。

 攻撃の色を失った眼前の怪物モンスターを見て、レヴィスターも剣先を地面に向けて増大させていた冷気を一瞬で消し去った。もう戦闘の意思はないと宣言するかのようだった。

 それを確認したドラゴンは大きな身体をゆっくりと反転させて崖にある住処へと地響きをさせながら歩いて戻っていった。


 レヴィスター・ガイクスはドラゴンを威圧するだけで退却させた。それは彼の持つ能力が生態系の頂点であるドラゴンでさえ圧倒するほどものであることを物語っていた。

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