第33話 土巨人

「正直、頭の中がどうにかしそうだよ」


 視界いっぱいに広がる、黒と白だけの花畑。


 天高く輝くのは灰色の太陽。空は今にも落ちてきそうな暗灰色。雲の色だけがいつもと変わらない。


「世界に暗色しか存在しない。まるでモノクロ写真の中に迷い込んだみたいだ」


 この異常さと比べれば、中世の城砦を模しただけの三小の迷夢宮は、まだ順応しやすかった。


「そういえば、そんな怪談がこの森にはあったな。黒白の花畑に迷い込んだら、二度と現世には帰ってこれないとか」


 九谷さんも、イベント参加者の誰かから、その話を聴いていたのだろうか?


「そ、そう、それ。その噂話ってさ、この迷夢宮を見つけた人が広めたのかな?」


「いや、逆だろう。その噂話を元にこの迷夢宮ができたんだ」


「え?」


「前に言ったろ。迷夢宮は死者の想像力から生み出されたものだって」


 ルシュフが会話に割り込んでくる。


「おそらく、この迷夢宮の核になっている想遺物の持ち主が、その噂を知っていたんだろう。そのイメージを元に、この迷夢宮が形作られた」


「な、なるほど」


「大方そんなところだろうな」


 九谷さんは、俺たちと言葉を交わしながらも、迷夢宮の出入口である、例の『境界』を丹念に調べている。


「けっこう、ひび割れているね」


 俺も彼女の隣に立って、その黒扉を眺めた。


 形状自体は、三小の迷夢宮にあったものと同一であるが、こちらは痛み様がヒドイ。


「幻魔獣たちがこの扉を壊して、外に出ていったってことなのかな?」


「正確ではないが、その認識で特に問題はない」


「それにしても、この程度の破損で済んでいてやれやれだな。これなら、外に出ていけたのはマッディ・マウス程度の最下級幻魔獣だけだろう」


 ルシュフも黒扉に近づいてくる。


「破損具合から判断して、周囲への影響力もそう大きくはないだろうな。影響下にあるのは、精々この森の半分といったところか?」


 と、九谷さんは分析した。


「だが、急がないと、どんどん『境界』の破壊は進行していくぞ」


 ルシュフの警告にそぐうように、黒扉の亀裂がまた少し広がる。


「分かっている。異変がキャンプ場に達するまでに、必ずカタをつけるぞ」


 元々、仕事に対するモチベーションが高い九谷さんだったが、今日は友人一同の無事もかかっている。ややかかり気味なくらい、彼女はやる気に充ち満ちていた。


 対照的に、俺のやる気はいまいち盛り上がらない。


(やれやれ。俺をいいようにこき使った奴らを、今度は命がけで助けなければならないのか)


「いくぞ!」


 高らかに声を上げる九谷さんと、「おー……」、声に力のこもらない俺。


 走る速度もちぐはぐに、迷夢宮の探索が開始される。


 …………そして、探索はあっさりと終わった。


「な、なんだ。この迷夢宮は。狭すぎるぞ!」


 九谷さんが声を荒げる。


「……早かったね。東京ドーム法で換算して、東京ドーム一個分くらい?」


 いや、それすらも怪しい。


 わずか十数分で、迷夢宮を隅から隅まで堪能してしまった。


 アドベンチャー的な要素は全くなく、ピクニックにしてもやや物足りない。


「まあ、『体積の法則』があるからな。広くないのは見当がついていただろう」


 ルシュフの言う体積の法則とは、迷夢宮にて適用される原則の一つであった。


 端的に言うと、『迷夢宮のサイズは、ベースとなった建物の体積に依存する』というものである。


 従って、キャンピングカー内部に発生したこの迷夢宮は、一般的な建物をベースにしたものと比べて、小さくなること自体は当然なのである。


「それにしたって狭すぎる。いや、それより、この狭い空間のどこにも、宮嶋さんたちの姿が見えないのはどうした訳だ?」


 九谷さんが深刻な表情を浮かべる。


「幻魔獣に見つからないよう、どこかに身を潜めているのかも」


 この迷夢宮は狭いこそ狭いが、けして単純な地形ではない。


 岩があちこちに隆起していて死角が多く、また地面の高低差もかなりある。


「そうだな。その辺に気を配ってもう一度探してみよう」


 俺たちは、二度目の探索をはじめる。


 今度は、倍近い時間をかけて、細部まで目を通す。


「おーい、有人!」


「宮嶋さーん!」


 遭難者への呼びかけも怠らない。


 それでいながら、得られた成果は、前回と同様、皆無であった。


「一体どうなってるんだ!」


「お、俺に怒んなよ」


 ルシュフが、若干ビビって、岩陰に隠れた。


「有人がいないのもおかしいけど、幻魔獣たちも一匹も見当たらないなんて」

「いや。それは簡単に説明がつく」


 九谷さんが言うには、マッディ・マウスは水気を非常に好む幻魔獣なのだとか。


「外の豪雨の気配を感じ取って、全頭が迷夢宮からに出ていったとしてもなんら不思議はない」


「な、なるほど」


 そうなれば、異常はやはり有人と宮嶋さんの不在か。


 首を大きく旋回させて、周囲を見回す。


「?」


 首がある角度になったところで、地面の一点が光った。


(なんだ?)


 灰色の太陽光が、鏡のようなものに反射されて、俺の網膜へ入射した。


 原理自体は簡単である。


 ただ、色彩こそ狂ってはいるが、この純然たる自然の世界で、鏡の類があるなんてことを見過ごすことはできない。


 俺が、褐色の雑草が生い茂る一角に近づくと、そこには奇妙な透明ポーチが転がっていた。


 それを奇妙と感じたのは、俺の美的センスが不十分という証明であろう。


「そ、それは宮嶋さんの愛用品じゃないか!」


 九谷さんが慌てて駆け寄って来る。


「へえ。宮嶋さんってこんなの持ち歩いているんだ」


 表面が半透明のビニール張りで、どうにも安っぽい品である。


「これがカッコいいんだよ。表面が透けているから、中のものが全部外に見えてしまうだろう。宮嶋さんは持ち歩く小物一つ一つが洒落ているから、それらが美しい外観として機能するんだ」


 九谷さんは、やや興奮気味の早口である。


「私もこういうのを持ちたいんだけどな。私のオシャレりょくじゃあ、恥をかくだけだろうなあ」


 そう言って小さくため息をつく。


「おい、サキ。仕事、仕事」


「わ、分かってる。こ、これが落ちていた周辺を探してみよう」


 俺たちは這いつくばって、辺りを捜索する。


 膝の下で草がつぶれて、酸っぱい匂いが周りに立ち込めた。


「あ、あったぞ!」


 元々身体の低いルシュフが、それを発見した。


「穴だな」


 丁度マンホールでフタをできそうなサイズの穴が、地面に掘られている。穴はとても深く、まるで底が見通せない。


「ふむ?」


 九谷さんが、石を一つ穴に放り込んでみた。


 コロコロと音を立てて、石はいつまでも下に転がっていく。


「単純な縦穴じゃないみたいだな。滑り台みたいになっているのか?」


 ルシュフが、穴の中を覗き込む。


「二人はこの穴に足を滑らせたんだろうか?」


「おそらくな。少なくとも、ここが迷夢宮の深部へ通じる道と言うのは、間違いない」


「どうしてそう言い切れる?」


 と、ルシュフはいぶかしむ。


「番人が出てきたからだ」


 九谷さんが、背後を指さした。


 そこには、ゴゴゴ、と地鳴りを響かせながら、盛り上がる地面があった。


「うおっ!」


「な、何!?」


 俺とルシュフは慌てて全身を振り返らせる。


 土のみならず、岩、石ころ、樹木、周りのあらゆるものを採りこんで、隆起する大地。


 俺は首の後ろに若干の負荷を感じながら、その頂上を見上げていた。


「と、とまった」


 十メートルを多少超えた辺りで、全高の増加がストップする。


 ズズズズ


 奇妙なことに、今度は、一度膨らんだ大地が、元の形に戻ろうとしだした。


 ……いや、今の発言は撤回させてくれ。


 戻っているのではない。


 現象は加速度的に進行中である。


「あ!?」


 収縮をはじめた大地は、その姿かたちにも変化を起こす。


 ゆるやかなカーブに過ぎなかった稜線が、徐々に複雑な形状を取り出した。


 その輪郭は、いつの間にかヒトの形に似てくる。


 土と岩が高濃度に圧縮され、その全身に金属に似た光沢が浮き出た。


「ゴオオオオッ」


 出来たばかりの太い腕に天を突かせて、巨人が咆哮を上げた。


土巨人アーシィ・ゴーレムか! また厄介な奴が」


 ルシュフが危機感たっぷりの声を出す。


「……天屋くん。あいつの相手は君に任せてもいいかな?」


「あ? ええ!?」


 突然の無茶ぶりに、俺の声が裏返る。


「じ、冗談ですよね」


 ところがやはり、彼女の顔は真剣そのものだ。


「私はあっちと戦ってくるから」


 九谷さんが、土巨人とは逆方向を指さす。


「げげっ!」


 そこには、さらに驚くべき光景が広がっていた。


 先ほどの現象とまったく同じ隆起が、現在進行形で十。


 土巨人の軍勢が今にも誕生しようとしている。


「私があいつらの相手をしている間、あの個体をこっちに近づけないでくれ。さすがに挟み撃ちは厳しいからな。任せたぞ」


 俺の返事も聞かずに、九谷さんが製造中の土巨人軍団に近づいていく。


「ル、ルシュフ。き、君も手伝った方がいいんじゃあ?」


 さすがの白金の破壊者でも、加勢の必要性を感じた。


「無茶いうな。土くれに雷を落とした所で、効果は見込めん」


 確かに。雷撃で地面そのものに被害が出たという話は、寡聞ながら聞いたことがない。


「くっ。き、君って案外役に立たないな」


 さっきも雨の中では雷を発生させられなかったし。


「し、失礼なことを言うんじゃない! 雷属性は非常にデリケートな魔法なんだよ。使い手の俺とおんなじで」


 俺とルシュフが言い争う間に、土巨人が動きはじめた。


「ゴオオ!」


 短い脚を素早く前後させて、一直線に俺の方へと向かってくる。


「ぐぐっ」


 逃げたいし、逃げるのは簡単である。


 ただ、俺が道を譲ってしまえば、後は九谷さんの背中まで一直線だ。


 いかに九谷貴咲とは言え、前後を抑えられては、苦戦は必至。


「くそ! やってやる! やってやるんだからな!」


 赤銅色の剣を出現させると、固く握りしめる。


 そのまま、向かってくる敵目がけて、こちらも全速前進するのだった。

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