第29話 雷雨
「雷よ! どうかログハウスにたむろする、悪しき心の持ち主共に天罰を!」
呪いの言葉を発しながら、どしゃ降りの森を、歩き回る俺。
薄手のレインコート一枚でログハウスを追い出された立場を考えると、このくらいの呪詛を吐くくらいのことは、許されるであろう。
「くそったれめ。恋人どもは快適なログハウスでイチャイチャ。独り者の俺は、雷雨の中を安物の雨具で行進か。怠け者の色狂い共め。お前らはろくな死に方をできないぞ」
ゴオオオオオオ
大雨と言うのもまんざら悪いことばかりでもない。
どれほど悪口雑言をまくし立てても、雨音がすべてをかき消してくれる。
しかし、雨の勢いが際限なく強まっていくと、そんな呑気なことも言ってはいられない。
一際強烈な風が吹き抜け、雨が水平方向に転進する。
「うっぷ!」
白波でも打ち付けたような衝撃が、体前面に加えられた。
(こ、この雨、ヤバくないか?)
もう『バケツをひっくり返したような雨』という比喩では、例えきれなくなってきている。
下手すれば水害レベル4(全員避難)の発令もあり得るかもしれない。
「おーい、有人! 宮嶋さーん!」
俺の叫びに返事をするのは、雨粒が地面にたたきつけられる音と、強風に木々が揺らぐ音だけ。
雨霞に視界は塞がれ、触角は湿気で鈍り、嗅覚は濡れた木々の匂いで埋め尽くされる。
こんな状況では、二人の痕跡など、まるで発見できそうにない。
コポ
「ん?」
雨と雷の音に混じって、なにかが聞こえた?
(気のせいか?)
コポポポ
(違う。確かに鳴っている)
ごくわずかな音。それが鼓膜を震わせることができるのは、俺の極めて近くで発生しているからに他ならない。
俺は足元の草むらをかき分けた。
「?」
ポコポコと音を立てて、気泡が
(ガス管でも破れたか?)
浮かんだ着想は、一秒と持たずに自己否定される。
キャンプ場傍とはいえ、こんな森の中にガス管が敷設されている訳がない。
(じゃあ、これはなんなんだ?)
我ながら無防備にも、鼻先を気泡へと近づける。
コポポポポポ
気泡が、俺を待ち受ける様に、一際大きくなる。
気泡が弾けて生ずる気体は、お世辞にもいい香りとは言えなかった。
「!!?」
突然、俺の背中に、強烈な閃光が差し込まれた。
「だ、誰だ!?」
本能的に、光源の方向へと顔を向きなおる。
「ああ、よかった。ここにいたか」
その美しい声と、よく律された口調は、雨音の中にあっても鮮明に響いた。
「く、九谷さん。どうしてここに?」
俺は、泥濘から離れて、懐中電灯を抱えた、彼女に近づく。
「どうしても何もない。こんな雷雨の中を一人で捜索活動なんて、土台無理がある。まして、そんな玩具みたいな装備で」
よく見れば、九谷さんの身体を覆うのは、業務用の強靭な雨具だ。長靴も高くて分厚い。
「管理小屋を訪れて、色々借りてきた。さあ、君もこれに着替えろ」
そう言って、九谷さんは、俺の分の装備一式を手渡してくれる。
「あ、ありがとう、九谷さん」
「……礼を言われるようなことはしていない」
「いや、その、雨具もそうだけど、久しぶりに口をきいてくれたことにも……」
「ふん。今は非常事態だからな。制裁は一時解除している」
「そ、そっか……」
一時的であれなんであれ、久しぶりに九谷さんと会話ができるのは、とても喜ばしいことだった。
「いやあ、それにしても今日は楽しかったね。川下りにクライミングに豪華なバーベキュー。九谷さんもアウトドアの楽しさに目覚めてしまったんじゃないかな?」
このチャンスに、制裁解除を永続的なものにしたいと、俺はおべっかを振るう。
「君は! 私が今日一日を楽しんだと、本気で思っているのか!」
「え? ええ?」
いつもの如く、出所のよく分からない地雷を、さっそく踏んでしまった。
「なんだ! 今日の君の様は!」
「? ?」
「同級生の女子にいいようにコキ使われて」
「い、いや。あれはさ、そ、その、俺のいつもの立ち位置というか?」
「女連中が言ってたぞ。『いやあ、次のイベントにも雑用係としてあの藤原の友達を呼ぼう。大変便利だ』と。恥ずかしくないのか!」
なぜか九谷さんは、女子が俺をいいように使ったことを、やたら問題視しているようだ。彼女の基準は明確でないが、男子が俺に色々と命じたことは、特に気にしてはいないようである。
「そ、それはその、今の立場に甘んじているのは、あまり望ましくないという自覚はあります」
「だろう!」
「は、はい」
「ああ、思い出しても腹が立つ。宮嶋さんたちを見つけてログハウスに戻ったらさ。あのバカ女どもを強めに引っぱたいてやるといい」
「い、いやいや、それはマズいですって」
なんちゃってフェミニストにすぎない俺とは言え、さすがに女子に手は上げづらい。
「大丈夫。今の日本では男女平等の機運は高まっている。君の行動に理解を示す仲間も、ログハウスの中には半分くらいはいるんじゃないかな?」
「いやいや。十対零でコールドですから」
日本の男女平等なんて、遅々として進んでいないじゃないか。
大体、男女平等が仮に達成できたとしても、身体の頑丈な男性が女子に暴力をふ
るうのは、やはり認められる行為ではない。
「そ、それより九谷さん。せっかくの立派な雨具なんだけど、ここではちょっと着替えづらくて」
「む」
このどしゃ降りの下でレインコートの着替えをはじめようものなら、即、俺の全身はパンツまでずぶ濡れだろう。
「それなら、あの大樹の下で……」
バリバリバリバリ
稲光が瞬き、落雷が、空気を裂いたように轟く。
「す、すぐそばに落ちたよ」
「むう。木の下はダメだな。側撃雷の恐れがある」
側撃雷とは、木に落ちた雷が、木の内部を伝う過程で枝分かれし、傍の人間にも飛び火する現象であるとかどうとか。
雷に呼応するように、雨足も今の記録的状況から、さらに激しくなっていく。
「な、なんだ、この雨は。くそ、これではとても捜索活動どころじゃない。一旦どこかに避難しよう」
「そ、それなら丁度いいところがある」
俺は、午後のクライミングの時に、有人と一緒に見つけていた、絶好の隠れ場所へと走り出した。
(そこに有人も非難してくれていれば、話は簡単なんだが)
淡い期待を胸に、どしゃ降りの中を必死に駆ける俺は、重要なことに気が付いていなかった。
ポコココ
獲物を突け狙う速度で、件の泥濘が、臭気あふれる気泡を放ちながら、そっと俺の後を追いかけていることを――
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