第26話 手の込んだオシオキ
「こ、この声は?!!」
迷夢宮にて、突如背後から話しかけられる恐怖と言ったら。
正直、振り返る間のコンマ数秒は、生きた心地さえしなかった。
しかし、そこにあった既知の顔を見てしまえば、恐怖は、幸福にも似た安堵と交換される。
「く、九谷さん」
その者は、まごうことなき、俺の師にして、白魔封士にして、クラスメイトにして、白金の破壊者。
「無事で何より」
「……よう」
肩上のルシュフが、その愛くるしい手を挙げた。
「ふ、二人とも、来てくれたのか」
実にすばらしいタイミングで訪れてくれた。
早すぎず、遅すぎず。
「いやいや、瑠璃花町の迷夢宮から出たら、いきなり藤原君からの電話だ。正直びっくりしたぞ」
九谷さんが微笑を崩さぬまま、俺に言う。
「あ、ああ。すみません」
(ん? 九谷さんの笑顔が、いつもと若干違うような?)
軽い違和感を覚えた俺だったが、いちいち指摘するのもおかしい。
「あまりにも突然のことだったんで。有人におおまかに事情を説明して、電話番を頼みました。勝手な判断で行動して、本当に申し訳ありません」
「頭を下げる必要はない。君の行動はいたって適切だったと、むしろ私は感心しているよ。人命が危機に晒されていた以上、他のことなど些末なことだ。は、は、は」
「?」
九谷さんが、いつもより機械的な、奇妙な笑いを漏らす。
「……」
ルシュフは、なぜか顔を伏せたまま、俺と一切目を合わせようとしない。
「ところで、倉木君はどこにいるんだ?」
「あ、それは、ええと、その――」
その件に関しては、非常にややこしい説明が必要だった。
しかも、ありのままを伝えては、俺の立場が危うくなる。
黒魔封士の初代美月と密談したこともそうだし、志童が美月の弟子になったことなどは、論外も論外だ。
「――」
俺は高速で頭を回転させて、当たり障りのない、半フィクションを産みだそうとする。
思考時間は一秒未満ぎりぎり。
これ以上返事を引き延ばしては、答えを考えだしたことがモロバレだ。
(なんとか、話のさわりは出来た)
後は話しながら考えるしかない。
「――じ、実は、奇妙なことなんですが、志童はすでに迷夢宮の中には、いないみたいなんです」
「何? ……それはどういうことだ」
「た、たまたま居合わせたグレーの人が、志童を救出してくれたみたいでして」
「グレーが? どうして奴らがこの迷夢宮に?」
「く、詳しくは分かりませんが、どうもこの迷夢宮を探索していたみたいなんです。偶然に、志童の奴を発見して、外まで魔法で送り届けたと言っていました」
「……グレーが人助け? まあ、確かに迷夢宮の遭難者を救助するのは、魔封士として当然ではあるが、奴ららしからぬ行動だな」
「た、たまたま、白魔封士的な考え方をする人だったんじゃないかな?」
「ふむ……。念のため、その人物の特徴を教えてもらえるか?」
「は、はい。ええと……」
多少動揺しながらも、即興で人物像を作り上げる。
髪は短髪。目は垂れ目。鼻は日本人らしからぬほど高い。顎髭が少々。肌は真っ白で、中肉中背。
「な、なんだと!!!」
九谷さんが、突如声を張り上げた。
「ど、どうしたんですか?」
心臓をドキドキさせながら、聞き返す。
「髪は短髪。目は垂れ目。鼻は日本人らしからぬほど高い。顎髭が少々。肌は真っ白で、中肉中背。……これで間違いがないんだな」
「え、ええと……」
ぶっちゃけ、テキトーについた嘘なんて、言った直後に忘れている。
「た、多分、間違いないかと」
曖昧な言葉が、俺の口を突いた。
「ああ、なんということだ。こんなことが現実にあろうとは……」
九谷さんは、膝から崩れ落ち、そのまま石床にうずくまる。
「起きてはならないことが起こってしまった。許してくれ、倉木君。私がもう少し早く到着していれば。うおおおお」
そのまま、慟哭の叫びを上げた。
「ち、ち、ちょっと。いったいどうしたんですか?」
俺は、九谷さんの横に回って、彼女を抱き起す。
「ああ、天屋君。よく聴いてくれ。君の話が本当なら、いや、君が嘘などつくはずがないのだから、これは100%の真実なのだろう。つまらぬ前提を口にしてすまない」
「あ、い、いえ。科学的な発言に、前提条件は絶対必要ですから」
戸惑いの余り、俺も若干おかしなことを言っている。
「結論から言おう。倉木君を救出したという、そのグレーを名乗った人物は、『
「……はい!?」
「ああ、口にするのも恐ろしい。人間を生きたまま解体するのを好む、最上のサイコパス。希望にあふれた青少年を好んでターゲットにし、その毒牙にかかったものは、二桁にも及ぶと言われる」
「は、はあ……」
俺には、少し、九谷さんの発言を脳内で整理する必要があった。
「ええと、その、つまり、そのナントカ屋のジョージさんとやらが、志童を連れ去ったと、九谷さんは今お考えなわけですね」
もちろん、そうでないことは、俺には百も承知である。
もっとも、本当に連れ去った人物の危険度ば、そのジョージ氏に匹敵するのだろうが。
「天屋君。どういうことだ。君はどうしてそんなに落ち着き払っている」
九谷さんが、きつい眼差しを俺に投げてよこした。
「は? ええ?」
「友達が最悪のサイコパスにさらわれたんだぞ、少しは心配する素振りを見せたらどうなんだ!」
「あ、そ、そうですね――」
と、気の抜けた返事をしかけた俺の顔を、
バチン
九谷さんの手の平が打ち付けた。
「!!!?」
白金の破壊者の、本気度の高い一撃である。
俺の腰から下の感覚が、一瞬消失し、お尻が地面に落っこちる。
「なんだ! その態度は!」
九谷さんの顔は、俺が見たこともない程、激しい怒気をはらんでいる。
「す、す、す、すみません」
俺は生命の危機すら感じ、必死に首を下げる。
「今、倉木君がどんな状態にあると思っているんだ!?」
九谷さんが言うには、解体屋ジョーは、意外にも、人体の切断にあたって麻酔を使用するという。
「奴には、肉体的苦痛による悲鳴なんて退屈なだけなんだ。人間の身体を端から順番にそぎ落としていく。被害者が、自らが不全に陥っていく絶望の内に上げる悲鳴こそ、奴にとっては、天上の音楽なんだ。まったく、語るもおぞましい異常者だよ」
「……い、いや、その」
絶対にそのような状況にはなっていません。
今頃の志童は、最寄り駅から新幹線に乗って、『魔封士の使う結婚式ジョーク大全集』を本当に渡されている頃でしょう。
「ええい! なんだ、その緊張感のない顔は!」
胸倉をつかんで、九谷さんが、俺を無理やり立ち上がらせる。
「君は! 君はそんな人間だったのか! 自分の責任で友達が地獄を見ているんだぞ。なぜそれが分からない!」
鬼の形相が、俺の鼻先に突き付けられる。
「す、すみません。本当にごめんなさい」
喰われる。
犬歯をむき出しにした口を間近に見て、俺は本当にその恐れを抱いたのだ。
白金の破壊者。その看板に偽りなしである。
「いや、今更、君を責めても、全ては無駄か……」
九谷さんの顔に諦観が浮かんだ。
俺の胸倉をつかみ上げている手が外れる。
「すべてはもう遅い。すでにジョージは自分のお楽しみを終え、今頃は安全圏へと脱しているだろう。後に残されたのは、見るに堪えない倉木君の残骸だけ。うぐぐぐぐ」
九谷さんがむせび泣きはじめる。
(お、俺はどうすればいいんだ?)
ある意味において、この迷夢宮で、一番の難題に遭遇していると言ってもいい。
完全なる思い違いをしている彼女なのだが、それを下手に指摘すれば、おそらく俺がダメージを負う。
「その……、九谷さん、志童のことはそれほど心配することは……」
出せる限りの柔らかな声で、彼女の思い込みをやんわり指摘しようとする。
「天屋君。腹を切ろう」
「……は、はい!?」
九谷さんが、さらに突拍子もないことを言い出した。
「我々の罪はもはや生きていては贖い切れない。二人で腹を切り、この素っ首を、倉木君のご両親に差し出して、許しを乞うんだ」
「い、いやいやいや。謝り方がおかしいですって、一体いつの時代の――」
九谷さんが、人差し指と中指を立たせると、無造作に一払いする。
ギャリギャリギャリ
恐ろしい音を立てて、地面を構成する石床が、荒々しく割かれた。
「あ、ああ……」
迷夢宮を構成する石材は、かつて一体のリザードマンが五体と武器を尽くして、破壊できなかったものである。
それを、目の前の女子高生は指二本で、実際に触れもせずに、切断してのけた。
俺は、恐怖の余り、二、三歩後ずさる。
「さあ、天屋君。そこになおれ。僭越ながら、私が介錯つかまつる」
ことここに至って、もはや言葉に力はない。
俺は、彼女に背を向け、この場を全力で逃げ出した。
「こら、逃げるな。それでも白魔封士か!」
顔に凶鬼の形相を浮かべ、左手に手刀を。
今の九谷さんと比べたら、包丁を装備した山姥だって、可憐の分類である。
「違うんです。九谷さんは大変な思い違いをしているんです」
「何を言う! 私が何を勘違いしていると言うんだ! 説明しろ!」
九谷さんが右拳を突かせた。
そのタイミングに合わせて、俺は首を引っ込める。
ボコン!
拳のはるか先の石材が一つ、突如はじけ飛んだ。
「ぜ、全部。全部間違っているんです。ナントカジョージとかいう人は関係ありません。俺には九谷さんが誤解していることを完璧に説明できるんです」
「だったら、今すぐしてみせろ」
「時間が必要なんです。十秒、いや、二十秒ください! 必ず、必ずあなたの納得のいく説明を考えて見せます」
「考えるとはどういう意味だ!」
九谷さんが指刀を振るうと、四方の壁に切り傷が、無数に刻み込まれるのだった。
「ひ、ひええええ」
俺の走る速度は、自身の限界を超えて、なお高まる。
「あほくさ」
そう言って、ルシュフが、九谷さんの肩から降りたのを、俺は気づかない。
そのまま奴は、俺と九谷さんのバカげた追いかけっこを、冷めた目で見ていたらしい。
……一応言っておくが、解体屋ジョージなる人物は、実在しない。
すべては九谷さんの仕掛けなのだ。
彼女は、俺が気づく以前にこの場にたどり着き、美月たちとの会話を一部始終聞いていたのだという。
憤まんやらかたない彼女は、どうにか俺に一泡ふかせてやりたいと、一計をめぐらした。
これが、現状の正しい説明である。
俺がもうちょっと冷静だったら、この手の込んだ制裁に気づけたのかもしれない。
ただ、この時の俺は、自分を騙す側の人間だと錯誤していたのである。
その前提上で考えている内は、自分が騙されているなんて、夢にも思えない。
「九谷さん。どうか俺に説明の猶予を与えてくれ」
「ええい、うるさい、うるさい」
四角い石の間を、丸く使って、走り回る俺たち。
「くああぁ」
ルシュフは一つ欠伸をすると、その場に丸まって、すやすやと寝息を立てはじめるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます