第25話 灰色

「説明しろ。今のは一体どういう意味なんだ!?」


 入学式の出会い以来、俺はこの台詞を、何度こいつに繰り返しただろうか?


「いやいや、その質問はいたく的外れだよ。僕にこのプレゼントを思いつかせたのは、他ならぬ良星なんだから」

「は?」

「だって君言ったじゃないか?」


 毎度の不思議そうな顔で、志童は俺を見てくる。


 それがいつも腹立たしい。


『一か月前に迷夢宮に迷い込んだ。その時九谷さんに弟子入り志願し、このひと月を、魔封士の修行に費やした』


「……いいか、志童、有人がこの場にいないから、俺が代わりに言うことにする」


 俺たちの知能レベルに合わせろ。お前が合わせたと思ったところから、さらに二段階ほどチューニングを落とせ。


「相変わらず、情けないことを言っているな」


 美月が嘆かわしそうに、眉根を寄せた。


「だって、しょうがないだろ、志童の言うことは本当に意味不明で――」

「私には意味が分かったよ」

「え! え?!」


 そんな! 昔は美月も、俺と同じく志童に翻弄される側だったのに。


「失礼なことを言うな」と、美月は顔をしかめた。


「それに、今回に限っては明らかにリョウに非がある。言い方がバカ正直すぎだ。『一か月前に迷夢宮に迷い込んで、その後、二、三週間ほど修行をした』とでも言っておけば、志童のバカに、腹の内を探られることもなかったろうに」

「は? え?」

「ああ、そうだね。そういう言い方をすれば、僕も真相に気付けたかどうか」

「?」

「いいか、良星。――」


 志童が、出来の悪い生徒を指導する、教師の冷たさをもって話しはじめる。


「魔封士と言うのはいわば魔法使いだよ。魔法と言う強大すぎる力を行使しているんだ。そんな力を他人に伝えるなんて重大事、短期間で決定できるわけがない」


 志童は、「今日日アルバイトの採用だって、一週間は時間をかけるだろうに」と、付け加えた。


「あ」


 ようやく、二人の言っていることが分かった。


 『一か月前に知って、この一か月間修行をした』


 この表現だと、間が抜けているのだ。


 魔封士になるための準備期間がない。


「い、一か月前にはいろいろなことがあったからあ。てっきり、俺の隠れた適性を九谷さんが見抜いて、即決してくれたものだと――」

「「そんな訳があるか!!」」


 美月と志童の声がハーモニーを奏でるのは、一種の珍事とも言える。


「ご、ごめんなさい」


 二人に迫力負けして、とりあえず頭を下げた。


「はあ。その無駄にポジティブなところも、本当に昔のまんまだな」


 美月が、呆れ眼で俺を見る。


「天屋さんって、けっこうドジっ子なんですね。でも、大丈夫、私も昔はそうでした」


 アリエッタさんの発言は、果たして慰めになっているのか?


「た、確かに、今にして思うと、何の試験もなかったのは、おかしな話だとは思うけどさ……」


 魔法ってのは、本当にとんでもない力だ。


 実際に習得してみて、つくづく実感した。


 平凡な高1だった俺に、たったひと月で、怪物と五分以上に渡り合えるに戦える力を授けてくれたんだから。


 伝授に当たり、最低限の思想調査と身辺調査ぐらいは、当然だったかもしれない。


「気づくのが遅いよ、まったく」


 志童がさらに呆れた顔になる。


「で、でもさあ!」


 その表情が腹立たしくて、俺は、せめてもの抵抗を試みた。


「現実に、俺は九谷さんの即断即決で魔法を教わっているんだ。その事実は変えようがないだろう」

「ふむ。その前に一つ確認がしたい」

「なんだ?」

「魔法と言う大きすぎる力を持つ魔封士たち。彼ら彼女らは、この力を他の人になるべく伝えたいか、そうではないか?」

「そ、それは、……まあ、普通に考えたら、教えたくないだろうさ」


 魔法っていうのは、言うなれば、魔封士だけの既得権益だろう。


 そういうものは、利益を得る人間が少なければ少ない程、得をするようにできている。


「だね。ああ、よかった。君の口から既得権益なんて難しい言葉が出てくれて」

 と、志童は明らかに俺をからかった。


「ふむ。きちんと勉強はしていたようだな」

「ほっとしました」


 美月とアリエッタさんの反応も、ものすごく失礼である。


「それでここからが重要だ。通常、君の懇願は、いともたやすく拒絶されなければならなかった。なのに、九谷さんは、なぜか君に魔法を教授している。普通ならありえないことが、どうして起こりえたか?」

「回りくどい言い方をせずに、さっさと話を進めろ」


 焦れた様子で、美月が口を出す。


「ああ、なんて喜びだ。彼女が僕の推理にきちんと耳を傾けてくれるだなんて。おおい、おいおい」

「いいから早く!」

「はいはい。では、気を取り直して。……ここで問題になるのは、魔封士たちの普通ではない事情についてだ」

 この世界に魔封士と魔法以外のものがなければ、おそらくは普通に、九谷さんは君の請願を袖にしただろう」


 俺は無言でうなずく。


「そうならなかった理由は、いたってシンプルと思われる。何か普通ではない事情があったから。そして、魔封士と魔法以上に普通ではないものといったら、該当するのは迷夢宮しかない」

「それは、……そうか」


 ややシンプルすぎるきらいがあるが、説得力はあった。


「死者の念が生み出す、時空の構造すら破壊するダンジョン。こんなとんでもないものの存在があれば、魔封士たちもおちおち秘密主義に耽ってはいられやしないだろう」

「つまり、こういうことか? 迷夢宮に対抗する頭数を増やすために、魔封士の選考基準を緩やかにしていると?」

「いわゆる売り手市場だね。もちろん、最低限の人物審査くらいはするだろうし、そういう意味では、君は九谷さんのお眼鏡に叶ったわけだ」

「ふん、九谷のことだ。思い切り私情を挟んだ可能性があるがな」

「ん?」

「どうでもいい。志童、続き」

「承知しました、ミヅちゃん。おほん。現在の地球上の人口は増加の一途を辿っている。そうなれば死者数も当たり前に増加する。迷夢宮の発生メカニズムを僕は正確には知らないが、迷夢宮の発生数も、人口に比例して増加しているんじゃないだろうか?」

「その点は認める。確かに、21世紀現在の迷夢宮の数は、過去最高を毎年更新し続けている」

「な、なるほど、慢性的な人手不足なら、俺程度の人材でも、魔封士になることができたわけか。……ん? あれ?」


 ある矛盾に気付いてしまった。


「ちょっとおかしくないか、志童」

「どこがだい?」

「いやさ。九谷さんが俺を甘い基準でスカウトする理由は分かった。でも、それとお前が美月の弟子になることとは、まったく関係が無いだろう」


 九谷さんは白魔封士。迷夢宮と戦う組織に属しているのだから、そういう発想にもなる。


「でも、美月は黒魔封士だ」


 自由と強欲を謳歌する集団である。


 迷夢宮が増えたって、正直我関せずの姿勢を貫きそうなものである。


 美月が一瞬、痛いところを突かれたように、顔を歪めた。


「おお、意外に鋭い! そうだね。ミヅちゃんには本来関係がないことだ。でも、世の中はそうそう簡単でない」

「あ?!」


 ものすごい上から目線で言われると、さすがの俺でもキツい声が出る。


「昨日言っただろ。黒魔封士たちには、白連のように全体を統括する組織がないんだ!」


 彼らは、個人行動を好み、全体的にも、構成員数十人の組織が散見されるだけ。


「つまり、ペナルティの設定のしようがないんだぞ!」


 ただでさえ欲望に忠実な黒魔封士たちが、自発的に世界全体のことを考えるとはとうてい思われない。


「おお、良星。実にいいよ。僕に対する対抗心が君の脳細胞を活発化させているね。やはり人間にとって、適度の敵対者の存在は、有益なものらしい。ははは」

「で、どうなんだ! 俺の言うことを認めるのか?!」

「それはできない。非常に残念だけど、君の意見はもう一ひねり足りなかった」

「……ぐっ!!」


 許されるなら、美月に代わって、俺が蹴りつけてやりたい。


「黒魔封士内部に、彼らに制御をかけられる存在はない。その点は認めよう。ただし、それができる存在が外部に一つだけあるだろう?」

「……白連な訳はないよな?」

「それはもちろん」

「じゃあ他になにが?」


 俺は、消去法にて、その答えに自力でたどり着く。


 白でも黒でもない。となれば――


灰色グレーか!?」


「ご名答」


 志童が小さく手を叩いた。


「で、でもグレーってそんなに力のある集団じゃないだろう」


 俺も詳しくは知らないが、白魔封士でも黒魔封士でもない、中立的な立場で魔法を使う人たちのことを、そう呼ぶ。


 当然、俺が知らないということは、志童も知らないということである。


「しかし、推測は可能だ。士農工商って知ってるよね?」

「さすがにな」


 またバカにして。小学校の歴史の範ちゅうだぞ。


「この職業分類は現在でも通用するものだ。魔封士たちの世界でも同様にね。白魔封士や黒魔封士は、その戦う性質上、『士』に該当する。おサムライだね」

「それはまあ」

「そして、『農』に該当する人たちはいない。これもいいよね」

「そりゃそうだろう。魔封士だって、食べ物が専用な訳がない」

「残るは『工商』。僕はこの二つが、グレーの人たちが従事している職業だと思っている」

「ちっ!」


 志童の推論に、美月が忌々し気に舌打ちをした。


 それはすなわち、正解と言うことを遠回しに表している。


「『工』と『商』。つまり、技術者と商人か?」

「そう。具体的なことは分からないが、彼らは自分たちで作ったもので、白と黒の両方を相手に取引してるんじゃないかな?」

「それはまあ、灰色と名乗ってるくらいだからな」


 敵対する白と黒の両方に商品を売る。


 さぞかしウハウハな商売だろう。


「はあああ~~」


 心底嫌そうに、美月が重く長い息を吐いた。


「そのバカの言う通りだ。グレーの連中は、ドロップアイテムを加工して、魔封具を作り、白魔封士と黒魔封士の両方に売りつけている」

「「魔封具?」」


 俺が知らない単語は、当然志童も知りようがない。


「簡単に言うと、魔法を封じ込めた道具です。使用することで、封じ込められた魔法と同じ効力を得ることが出来ます」

「そんな便利なものがあるんですか!?」


 俺は、九谷さんから、なぜか、その存在を一切教えてもらっていない。


「魔封具は、迷夢宮で手に入るドロップアイテムを材料に作られます。攻撃、防御、その他諸々。近年の迷夢宮探索においては、なくてはならないものです」


 しかも、アリエッタさんが言うには、グレーの商売は魔封具作成だけではないという。


「属性強化。迷夢宮発見。探索補助。悪魔との契約仲介。新魔法の開発設計。魔法アカデミーの開設。祝属性による治療。もう兎にも角にも。魔法と迷夢宮に関することには、幅広く手を伸ばしています」

「あいつらこそ真に強欲と呼ぶにふさわしい連中だよ。死の商人と呼ぶ奴までいる」

「まあ、敵対する勢力の両方に武器を卸していたら、その呼び名は適切だろうねえ」


 志童は、感心した様に丸いアゴをさする。


「そ、それはそうとして、そのグレーがどうして黒魔封士に制御をかけようとするんだよ」

「それは仕方がないんです。ここ十数年の迷夢宮の増加と言うのは、本当に尋常じゃなくって。いくら白魔封士を増やしても、白連だけではもう手に負えないところまで来ているんです」

「グレーの奴らは商人だからな。ある程度は世の中が混乱するのはありがたいだろうが、世界が存亡の危機に立たされるような状況は望んでいないんだよ。自分たちの商売どころじゃなくなるから」

「なるほど。それで黒魔封士にも協力を要請したわけか」


 俺は何度も頷く。


「おかげで、私も趣味以外でも迷夢宮に潜らされる毎日さ。やれやれ」

「ん? でもさ、グレーの人たちは、どうやって黒魔封士に影響力を行使しているんだい?」


 彼らの立場は分かったが、それを黒魔封士サイドが気にするかどうかは別問題である。


「影響力は簡単にかけられるさ。商人だからね。商品の値上げをすると脅しをかければいい」

「ふううう」


 志童のコメントに、美月が、また疲れたようにため息をついた。


「ね、ねえ、美月ちゃん。この倉木さんって人。本当にここまで全部自分で考えたの? 誰かに教えてもらったんじゃなくて?」

「残念ながら、こいつの頭の中身は本物だよ。その点だけは保証できる。人間性に関しては、最低保証すら付けられないがな」

「そんな、ミヅちゃん」


 美月が背負った鞄から、紙切れが一枚取り出された。


 一度ぐしゃぐしゃに丸められた形跡がある、A4コピー用紙。


『一定の条件を満たさない黒魔封士に対する800%値上げの通告』


「は、800%!?」


 俺は声を裏返しながら、その文章を凝視した。


 灰色商工会という名義で発行されたらしいその文章には、迷夢宮の討伐に非協力的な黒魔封士に対して、今後すべての商品・サービスの値上げをする旨が記されている。


「肝心の条件は、……これか」


 別欄に、十の条件が、箇条書きされていた。


 そのうちの九つは、雑な二重線で消去されている。


 残った項目はただ一つ、『弟子の取得』というものだけだ。


「ミヅちゃんも頑張ったんです。十個の内、九つまではどうにか条件を満たしたんですけど、『黒紅の暴君』の通り名が響いて、弟子志願者だけは見つけることができませんでした」


 アリエッタが自分のことのように落ち込む。


「まあ、そりゃそうですよ」


 何を好き好んで、わざわざ暴君の下につかなくてはならないのか。


「白金の破壊者に弟子入りしたお前が言うことか!」

「うぐ……」


 美月の発言は、あまりにも的を射ていて、俺は肩をすぼめるしかない。


「ま、まあ、これでようやく分かったよ。どうして志童がこんな提案したのか」


 その提案をどうして美月が検討しているのかも。


「それで、どうするの?」


 アリエッタが、おずおずと美月を見上げる。

「さっきも言ったけど、私は悪い話じゃないと思う」

「……」


 美月は腕組みをしたまま、目をつむる。


「グレーの件はもちろんだけども、それが無くても、ウチは慢性的な人手不足だったじゃない。幸い、この倉木さんも魔封士としての適性は高そうだし。せ、性格的な相性は私にはよく分からないけど。私は弟子にしても大きな問題は無いと思う」

「素晴らしいアドバイスだ。さすがはミヅちゃんのパートナー」


 志童が、熱烈な投げキッスをアリエッタさんに放ると、

「ひえええええ」

 彼女は、おぞましい顔を浮かべて部屋中を逃げ回る。


「そ、それに理由は他にもあるの」


 恐る恐る、こちらに戻って来ながら、アリエッタさんは美月の説得をつづけた。


「美月ちゃんには絶対に叶えたい望みがあるじゃない。ここでグレーとの関係が絶たれてしまったら、それだって台無しになってしまう」

「……」

「このままじゃあ、美月ちゃんのお母さんが――」

「アリエッタ!」


 美月が、片目だけ開いて、諫言したアリエッタさんをにらみつける。


「ご、ごめんなさい。私また出過ぎたことを……」

「……いや、いいんだ。お前の言う通りだ」


 美月が、優しく、アリエッタの美しいウロコをさすった。

 アリエッタさんは気持ちよさそうに、なすがままになっている。


(美月の母親だって?)


 そう言えば、一月前にも、そんな話題が出ていたか?


 美月の母親は、娘に似て、威勢の良い肝っ玉母さんだったことをよく覚えている。


 愛娘には珍しい善良な友人として、俺は随分と可愛がってもらった。


(おばさんに何かあったのか?)


 本来なら軽い口調でそう訊ねたいところだったが、残念ながら俺にも、最低限空気を読む能力は実装されている。


 部外者が下手に口を挟めない、厳粛な空気。


 美月が今まとっているものは、間違いなくそれである。


「……」


 知りたがりの志童ですら、不承不承、ここは口をつぐむ。


 奴にも、猫の尻尾と虎の尾の違いは、きちんと分かるんだ。


「おい、志童」

「はい、ミヅちゃん」


 志童がわざとらしく敬礼を捧げる。


「私はお前を弟子にすることにした。光栄に思え」

「ああ、あああ。やっっったあああああ!!」


 志童が、子供返りしたみたいに、鳥カゴの中ではしゃぎまわった。


(こいつ、覚えているかな?)


 いや、喜びのあまり、多分忘れている。


 この後極めて高確率で起こる、美月の定例行事のことを。


「しかし、私の弟子になったからには、覚悟してもらうぞ。はっきり言って、私はお前に優しい指導をするつもりはない」

「ああ、もちろんだとも。君の傍にいられるのなら、僕はどんな苦難にだって耐えてみせる」

「よく言った! なら、まずは早速、黒砂の迷夢宮に潜ってもらおう」

「く、黒砂?」


 志童が俺を見るが、もちろん俺に心当たりはない。


「アリエッタさん?」


 俺はその質問をスルーパスした。


「く、黒砂の迷夢宮。黒魔封士が秘密裏に管理している迷夢宮の中でも、屈指の難易度を誇ります」


 黒い砂粒で構成された、どこまでも続く漆黒の砂漠。


 昼夜が存在し、日中の気温は60度を超え、反対に、夜はダイヤモンドダストすら観測される。


「その過酷な環境もさることながら、生息する幻魔獣も一筋縄ではいきません」


 人間が大好物で、空中を時速100キロで泳ぐ、スカイピラニア。


 わずかな砂の振動も感知し、地中から襲いくる、巨大なサンド・サーペント。


 三秒見ただけで、人間を死に至らしめる魔法毒を持つ、デスフェイス・スコーピオ。


「「ごくり」」


 アリエッタさんの口から語られる余りの内容に、俺と志童は唾をのんだ。


「さあ、急ぐか。まあ、あそこは名うての黒魔封士でも敬遠するところだから、混雑の心配はいらないけどな」

「ち、ちょっと待って、ミヅちゃん。い、今からって言った?」

「もちろん」

「ぼ、僕は精の使い方も魔法も、何一つ教わっていないんだけど」

「私は実践主義者だ。戦いに必要なことは、実際に戦って覚えることが一番手っ取り早い」

「む、無理過ぎるって! 迷夢宮だよ。球技じゃないんだからさ」

「大丈夫。お前ならできる。私は信じているよ。信じあう力こそ、この世でもっとも大きな力を生む」


 言うまでもないことだが、このバカに、志童を本気で育成する気はさらさらない。


 彼女の動機はただ一つ、100%の意趣返しであった。


 小学校の頃から、志童に一杯食わされた直後の彼女は、仕返しをしたくて仕方がない心理状態に陥る。


 そして、自分に向けられた好意をいいことに、かぐや姫級の無理難題を要求するというのが、常とう手段であった。


「ミ、ミヅちゃん。頼む、最低限の準備期間だけは与えてくれ。そうだ! 本だ! 何か、魔封士に関する書物を僕に渡してくれ。そうすれば後は独学で何とかするから」

「ようし、分かった。『魔封士の使う結婚式ジョーク大全集』を、新幹線の中で読ませてやる」

「な、何の役にも立たない!」


 志童が絶句する。


「やかましい。師匠の言うことは絶対だ。私のいるところは、今日も封建制度が生きているのだ」

「頼む、どうか最低限の民主化を」

「【フェアリー・ステップ】」


 いきなり、美月が時空を跳躍する呪文を唱えた。


「お、おわ!?」


 虹色の竜巻に捕まりかけて、俺は慌てて後方に全力疾走する。


「あ、危ないじゃないか!」


 ひと月前には、七色竜巻に飛び込みかけた俺だったが、今ではその行為の無謀さをよく理解している。


「じ、時空属性の魔法は慎重に使え! 危うく地球上のどこかにランダムに吹っ飛ばされるとこだったろ」

「男が細かいことを気にするんじゃない!」


 ご機嫌斜めの美月は、俺の意見すら完全無視である。


「ミヅちゃん。どうか、どうかご再考を」


 志童の涙声が、風音に紛れて消えていく。


「天屋さん。また今度お会いしましょう。次は、ぜひルシュちゃんも一緒に連れてきてください」


 アリエッタさんの呑気な声を最後に、天空まで伸びた七色竜巻が、光放ちながら解けた。


「……行っちまったか」


 魔法の仕様通り、渦の内側にいた者たちは、影も形もない。


「……」


 俺は、しばし、その場で放心状態にあった。


 嵐のように現れ、嵐のように消えていった初代美月の、強烈な余韻を引きずっている。


(これでよかったのか?)


 疑問が、空っぽになった頭に、ぽかんと浮かぶ。


(よくはない、な)


 できることなら、五年間失踪していた理由や、魔封士になった事情まで聞き出したかった。


 しかし、美月とここで会ったこと自体、あまりにイレギュラーである。


(そもそも、一度会っただけで、解決できるほど簡単な案件でもないしな)


 最低限、言いたいことは言ってやった。


 連絡手段も一応、渡した。


 本来の目的である志童救出を達成できたことを考えると、オマケまでついてきたと喜ぶべきことかもしれない。


(いいや、そう思うことにしよう)


 もっとも、志童の命はこの直後に尽きるかもしれないが、それは本人の責任である。


(俺だって、他人の心配をしていられる余裕はないしな……)


「う、うぐっ……」


 トリカゴドリとの戦いで追った打撲傷が、今更うずきだしていた。


 翼で打たれて、石壁に突っ込んだ背中が、特に激しく痛む。


 今のコンディションでは、入り口までの数キロを、戦いながら移動することは不可能に近い。


「くそ、小休止するしかないか」


 精の力による身体能力強化には、自己治癒力の強化も含まれる。


 経験上、小一時間も休めば、いくらかは体調を取り戻せ――


「その必要はない」


 けして、返って来るはずのない返事に、俺は激しくうろたえる。


「こ、この声は?!!」


 痛みを押し殺して、戦闘態勢を取りながら、俺は背面を振り返った。

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