第24話 プレゼント


「あ、やっと見つけた。もう美月ちゃんたら。トリカゴドリの救難信号を聴いたら、急に走り出すんだもの」

「ん?」


 ひと月前にも見た、美麗の悪魔、確かアリエッタ……さん。


 彼女が、空中を遊泳して、俺たちのいる石の間に入ってきた。


「え、ええ!?」


 そして、俺たちの様子を見て、翡翠色の目を見張った。


 そういうリアクションを示されたこと自体は、まず当然である。


 今現在、この部屋の状況は、一見しただけでは非常に分かりにくくなっている。


 巨大な黄金の鳥かごの中に、閉じ込められた少年が一人。


「でえい! この野郎!」


 その少年に向かって、初代美月が、渾身のキックを叩き込んでいた。


 このシーンだけ見れば、反社会的組織内部での制裁、とも見受けられる。


 ただ、そう判断するには、蹴られた少年――倉木志童の反応が、若干おかしすぎた。


「ああ、この熱烈なキック。疑いようがない、君は間違いなく僕のミヅちゃんだ」


 蹴り倒された志童は、苦痛ではなく喜びの涙にむせんでいる。


「ミヅちゃん!」


 即起き上がっては、攻撃者に、目を輝かせて飛びつく。


 このシーンだけ見れば、志童が真正のマゾヒストとの誤解も招きかねない。


 しかし、彼の性癖はいたってノーマルで、異性の好みが悪趣味なだけであった。


「やかましい。私に近づくな!」


 美月は、格子の隙間から足を伸ばして、自分に触れようとした志童を、思い切り蹴り返した。


「あ、あの、すみません。確か、天屋さんでしたよね」


 アリエッタが、長い全身をくねらせて、俺の傍までやってきた。


「その、これってどういう状況なんでしょうか?」


 アリエッタさんは、この珍妙なシチュエーションを独力で理解するのを早々にあきらめたようだった。それはおそらく賢明である。


「ええと――」


 まずは人物紹介からしてあげるべきだろう。


「――あの鳥カゴの中にいる少年は、俺の友人で、倉木志童と言います」

「え! 彼があの!」


 アリエッタが、若干ひるむような驚き方をした。


「あれ? もしかして、美月から聞いてました?」

「え、ええ。美月ちゃんは昔話をほとんどしないんですけど、天屋さん、倉木さん、藤原さんのことは時々話してくれました。ちなみに、天屋さんのことを話すときなんかは、すごく楽し気な口調になるんですよ。うふふ」

「へ、へええ」


 俺は顔を赤面させる。


 本人のいないところで、自分がどのように話されているか。


 これ程正確な好感度のバロメーターもないだろう。


(あいつめ。陰口でも叩いてくれればいいのに。恥ずかしいじゃないか)


 俺の様子を楽し気に堪能した後で、アリエッタさんが話をつづける。


「それで、あの倉木さんのことを話すときなんですが――」


 彼女の表情が、にわかに曇った。


「天屋さんのことを話すのとは対照的で、かなり不愉快な様子で昔のことを語ります。具体的なことは分かりませんが、『本当にとんでもない目にあった』とか、『あいつに関わると決まってろくでもない』とか」

「……」


 俺の瞼の裏で、そう言われても仕方のない数々の惨事が、現れては消えていく。


 それと、まったくの余談だが、美月が藤原有人のことを語る時の様子は、さらに凄まじいという。


 親でも殺されたみたいに、全身から憎しみのオーラを放ちながら語る、というのが、アリエッタさんの談である。


 この件に関しては、「それが当然の反応」としか、俺には答えられない。


「ミヅちゃん、聴いてくれ。君があの爆発事故で死んだと聴いてから、僕の世界から光は完全に失われてしまった」


 聴いているだけで、背筋がぞわぞわするような内容を、志童が語りだした。


「暗黒の中をさ迷うような毎日だった。僕のこの五年間に光なんて微塵もなかった」

「そりゃそうだろう。朝から晩まで学校で寝ていて、晩から朝まで家で寝てれば、光を見る機会なんてない」


 俺が混ぜっ返すと、

「良星。僕は真剣な話をしているんだぞ」

 と、こめかみに青筋を立てて、マジギレされた。


「……相変わらず、美月のこととなると、人が変わるな」

「余計な茶々が入った。話を続けよう、ごほん。ミヅちゃん。君を失った僕を待っていたのは、深い汚泥の中をかき泳ぐような日々だった。

 僕の人生にはもう一条の光も差し込まないのか。ただ、より暗い、泥水の底へと落ちていくだけの余生が残されているだけなのか!」


 自分の感情を,激しい身振り手振りで表現する、志童。


「だが、違った。光あれ! 君という輝きは再び、僕の人生に舞い降りてくれたんだ」


 あの小柄な体から出ているとは思われない、圧倒的な声量。中堅クラスの劇団までなら、主役を張れるような熱演ではあったのだが、

「へいへい、よござんしたね」

 残念なことに、肝心なVIP席の観客の心を、揺さぶることはできなかった。


「ミヅちゃん!」

「やかましい。そのあだ名で呼ぶのもやめろ。お前は、本当に一小の入学式からまったく進歩がない」


 アリエッタが、

「一小の入学式?」

 と、俺に目で質問してくる。


「ああ、ちょっとした事件を二人が引き起こしたんだ」


 美月と志童がはじめて出会った日だ。


 あの日のことは、今でも鮮明に思い出せる。


「一言で言うと、志童が美月にプロポーズをしたんです。初対面で」

「はい? ……あの人間界ってそういう風習があったんでしょうか。私は悪魔界での研修ではそのようなことは習ってなかったんですけど」

「あるわけがないだろう!」


 美月が、蹴り足を一旦止めて、俺たちの話に混ざる。


「こいつが人間界においても異端な行動を取ったんだ。当時は校長のスピーチの真っただ中で、私とこいつは、席がたまたま隣になっただけの関係だった」


 あの一連の出来事は、今でも馬末町立第一小学校で、代々語り継がれているという。


                 〇


『~~~えー、諸問題を抱える日本、いや世界の問題を鑑みますに――』


 当時の一小の校長先生は、やたら話の長い人だった。


 おそらく新一年生にとっては、人生初の長時間耐久スピーチ。


 全員がげっそりとした表情で、体育館の床板を見ていた。


『はああ』


 美月もその例にもれず、ウンザリした様子で、ため息を吐く。


『ねえ、君、名前はなんていうの?』


 その隣に座っていた児童が、突然彼女に話しかけた。


 美月は、わずかに首を横に回す。


『は? あんた誰?』

『僕は君の名前が知りたい』

『……なんで?』

『名前が知らない人とは結婚ができないからだ』

『……はい!?』


 さすがに美月が、少年の顔を真っすぐに見た。


『いいね。真正面から見た君は、さらに美しい。僕は君に一目ぼれした。将来的に君と結婚したいと思っている。とりあえず、今日の段階では、親御さんと会って、婚約まで済ませてしまいたい』


 はじめ、俺は、ませた少年が、からかい半分にちょっかいを出しているのだと思っていた。


 周辺の新1年生たちも同じ程度の現状認識だったろう。


『~~~、えー、であるからして、新入生の皆さんは、今までとは違う心構えをもって、この伝統ある馬末町立第一――』


 だが、違った。


 校長のスピーチが結びの段に差し掛かるころには、全員がそれに気づいた。


 この少年は真剣だ。


『この出会いは運命だよ。僕が君と出会い、君が僕を知る。僕たちは巡りあうべくして出会い、そして同時に恋に落ちた』


 熱烈なセリフを、のべつ幕無しに放ちまくる。 


 小学一年生とは思えない圧巻のボキャブラリー。


 い、いや、そんなことはどうだっていい。


 俺だけが知る不穏な兆候が、美月の背面からはっきりと立ち上っている。


 このままでは、マズイ。


 俺は席を立った。


『み、美月。お、俺の後ろに隠れていろ』


 美月を守る体を取って、二人の間に身体を割り込ませ、物理的に引き離す。


『美月! ああ、なんて美しい名前だ。美しい月。確かに、君がいればもうどんな暗闇も怖くはない。君と言う輝きが、どんな暗黒にあっても、僕の心を光で満たしてくれるだろう』

『な、なんなんだ、こいつは』

『……』


 美月の身体がプルプルと震えだした。


『ダメよ、君。今は校長先生のお話中なんだからね』


 年配の女性教師が、俺が和を乱していると解釈し、排除にかかる。


『さあ、自分の席に戻ろうね。もう少しで入学式は終わるから』


 大人の力で両肩をつかまれ、俺は強引に、現在地点を動かされる。


『ダ、ダメです。い、今俺を動かしたら――』

『あとちょっとだからね』


 俺の危機意識は、誰とも共有されることはなかった。


 俺と言う障壁がなくなった瞬間、

『うおおおお!』

 美月が吼えた。


『え?』

 壇上の校長先生が、ようやくこちらの異常に気付く。


 美月は、志童の着座する椅子の足を鷲づかみにすると、そのまま力いっぱい振り回した。


『う、うわあ?』


 体育館の床板に転がり落ちる志童。


『やかましい! 訳のわからないことを、つらつらと並べたてやがって!』


 そのまま、手にした椅子を、倒れた志童の頭頂部めがけて、振り下ろした。


 ゴズン、ゴズン。


 椅子の背もたれが、斧の役割を果たす。


 志童の頭皮がたやすく裂けて、毛細血管だらけの頭部から、血が噴きあがる。


 噴きあがった血液は、真っ赤な雨となって、新一年生の頭上に降り注いだ。


『ああ、あああ』

『お、お母さん~~』

『だ、誰か助けて!』


 生じるパニック。


『この野郎! ぶち殺すぞ』


 教員に取り押さえられながらも、口撃を続ける美月。


『……あ、ああ。なんて刺激的な愛だ。さすがは僕が惚れただけのことはある』


 タンカで運ばれていく志童は、上着まで血だらけになりながらも、それはそれは満足げにほほ笑んでいた。


                  〇


 多少の記憶違いはあるかもしれないが、以上が、馬末町立第一小学校に伝わる、第99期入学式血の雨事件の一部始終である。


「……あの、人間の社会ってそういうことがよくあるんですか?」

 と、アリエッタが不思議そうに訊いてくる。


「あるわけないだろう!」


 俺の代わりに、美月が答えた。


「そんなバカげたことをするのは、このアホだけだ。まったく、あの時は顔から火が出るほどに恥ずかしかった」

「ああ、懐かしいね。あの時、ミヅちゃんを一目見た時の衝撃と言ったら。半グレに拉致されてスタンガンで高圧電流を流されまくったというか、アフリカにしかいない新種の毒グモに噛まれて、全身を激しく痙攣させているというか」

「例えが悪い!」


 美月が、格子の隙間から、また志童を蹴りつける。


「なんの!」


 志童は、顔に靴跡をつけながらも、意気揚々と立ち上がってきた。


「ええい、ならばいっそ」


 美月の手に炎が灯った。


「ち、ちょっと、美月」


 俺が慌てて後ろから羽交い絞めにする。


「美月ちゃん、魔法はマズイわ」


 アリエッタさんが、長い身体を美月の腕に巻き付けた。


「おのれ、良星。ミヅちゃんと密着するなんて、なんと羨ましい」


 敵意の眼差しを向ける志童に、

「俺はお前のためにやってやってるんだぞ!」

 と、怒鳴った。


 とりあえず、美月の突発的な衝動も落ち着き、状況は小休止に至る。


「やりすぎだぞ、美月」


 檻に閉じ込められた未成年を殴打なんて、今日日のバラエティーでも取り上げまい。


「こいつの顔を見たら、今までかけられた迷惑がいっぺんに蘇ってきて、衝動的に攻撃動作に出てしまった」

「……そう言われちゃったらな」


 迷惑力とも言える、倉木志童の周囲への力。

 それを身をもって体験し続けている俺としては、これ以上は文句を言いづらかった。


「まあ、前に会った時に、『志童にもう少し優しくすればよかった』と言ってたんだし、もうちょっと我慢してもいいんじゃないかな?」

 ぐらいのセリフが精いっぱいである。


「え?! ミヅちゃんが僕に優しくだって」


 志童が、目の色をさらに一段明るくする。


「いや、あの発言は、記憶から削除しておいてくれ。私も気づかないうちに、思い出の美化がはじまっていたんだ。だから、あんな世迷い事を口にした」

「ぼ、僕に優しくするのは世迷い事なのかい?」


 志童がさすがに少し傷ついた様子である。


「当たり前だ。お前がしでかしたことを考えてみろ。こうして、話をしていることだって、そもそもおかしいんだからな」

「僕は、ミヅちゃんのためを思って行動したんだ。僕の行動理念はいつだってそれだけだ。それだけは疑わないでおくれよ」

「やかましい。恋愛感情を後ろ盾にすれば、誰もが寛容だと思うなよ」

「そして、喜んでくれ、ミヅちゃん。今日もまた僕は、君に素晴らしいプレゼントを持ってきたんだ」

「私の話を聴け!」

「まさか今日会えるとは思っていなかったけど、これだったら、君を確実に喜ばせることができると確信しているよ」

「う……」


 志童の自信たっぷりの態度が、俺の中の忘れたい記憶を、いくつも掘り起こした。


(だ、大丈夫なのか?)


 聞くまでもない。絶対に大丈夫なわけがない。


「ほうほう、今のお前が、私を喜ばせることができるというのか?」


 美月がにやりと笑う。


「口の軽い良星から聴いていると思うが、今の私は黒魔封士。言うなれば魔法使いだ」


 言った傍から、美月は、自分の周囲にいくつもの火の球を浮かび上がらせる。


 それを指先のわずかな動きでコントロールし、最後は石の間上空で爆発させる。


「う、うおおおお」


 色鮮やかな光と爆音が、天空から降り注いだ。


「ふふふ、今の私を喜ばせるようなものを、ただの高校生に過ぎないお前が持っているっていうのか?」


 挑発的な笑みを浮かべる美月。


「そりゃもちろん」


 自信満々にほほ笑む志童。


「……う」


 反対に、美月の自信がうっすら陰った。


 志童は、すう、と息を吸ってから、この場の誰にも予想外であった、そのプレゼントをを言ってのけた。


「僕が君の弟子になってあげる。そうすれば僕たちはいつまでも一緒だ」

「な、何を?!」


 あまりにも予想外のプレゼントに、俺は面食らう。


(い、いや、そんなの論外だろう。プレゼントどころか、美月にはデメリットしかない)

「!?」


 ところが、俺の予想に反して、美月とアリエッタさんは、難し気な顔を見合わせている。


 まるで志童の妄言に、検討の余地があるかのように。


「ど、どうする、美月ちゃん? 悪い話ではない……わよ」

「くそ、だからこいつは嫌なんだ。知恵が無駄にあって、それを他人の嫌がることにばかり回す」

「心外だよ、ミヅちゃん。僕は、本当に君のためになると思っての発言なんだから」

「? ? ?」


 にこやかな志童と、険悪な表情を浮かべる美月。


 そして、俺はただ困惑するばかり。


 手元の時計で午前五時。迷夢宮の外ではもう朝日が昇っている頃である。


 しかし、俺たちの関係に陽光が射しこむまでには、もう少しの刻を必要としていた。


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