第23話 紅い旋風

「【レッド・サイクロン】」


 そう唱えた初代美月は、立てていた一本指を、俺に向かってぐるぐると回す。


「ああ……」


 九谷さんから譲り受けた本の中に、魔封士の書いたエッセイ本が一冊紛れ込んでいたことを、今思い出した。


 迷夢宮での困難な日々を、極めて軽い口調で語ったそれは、魔封士界のベストセラーだとか。


 俺が想起したのは、その中のある一文。


『怖いものっていっぱいあるよね。お化けが怖い大人もいるし、偉そうに踏ん反りかえった先生がドブネズミに本気でビビったりする。


 でもね、俺ら魔封士が一番怖いものって言ったら、一つしかないんだ。戦っている相手の魔封士がさ、自分の知らない呪文を唱えたとき。これがダントツで一番おっかない。


 魔法が発生するまでの平均0.5秒の間にさ、もうあれこれ怖い想像をしちゃうの。地面が裂ける様とか、槍の雨が降って来るとか、巨大な化け物に喰われちゃうとか。


 何だって起こりうるからね。魔法なんだから。その0.5秒間に、髪の毛が真っ白になっちゃった奴がいるとかいうけど、これはあながちデマじゃあないんだろうね』


 その長い文章を0.1秒で思い起こし、残り0.4秒は、ひたすら恐怖の想像に没頭する。


 そして、0.5秒後が訪れる。


 ひゅるり。


 俺の周囲に、静かに風が回りはじめた。


「?!?」


 風はどんどん流速を上げていく。


 渦状になった風は、俺を中心に回転し、俺を包囲したリザードマンの上を流れていく。


「ギ、ギヤヤ?!」


 下半身に力を入れて、突風に飛ばされまいと、ふんばるリザードマンたち。


(も、もしかして、俺を囲むリザードマンたちを、風で追っ払おうとしてくれているのか?)


 そのように考えかけた俺に、

(ありえない)

(ありえない)

(ありえない)

 俺の頭の中に住む、過去の俺たちが、否定の言葉を連続させる。


『初代美月は、そんな悠長なことは絶対にしない。仮に、目障りなリザードマンを先に片づけようとしたとしても、強風なんて穏やかな手法は絶対に使わない』


 彼らの言葉は、含蓄にあふれ、そして残念なことに正しかった。


 俺の視界の端で、カチッと、朱色の火花が灯る。


 その直後、俺を包む風竜巻は、その姿をガラリと変えていた。


「ギヤアアアアアアア」

「シャア!? ギシャアアア!!」


 空気に火花が引火し、真っ赤な火炎旋風が、現出する。

 

 超高温の炎に巻かれたリザードマンたちは、たちまち亜人の形を失っていく。


 真紅の世界に浮かぶシルエットが、ボロボロと崩れ落ちていく様は、俺の想像をはるかに超えた地獄絵図であった。


 火炎地獄が消えると、そこに、命あるものは何も残されていない。


「う、うう……」


 石床に付着した黒ズミの中に、わずかに奴らの存在の痕跡が、見受けられるばかりだ。


 この時、俺にはやることが山ほどあった。


1. 無残な死を遂げたリザードマンたちに哀悼の意を捧げる。

2.炎属性のあまりの威力に腰を抜かす。

3.大量の精霧が織りなすオーロラに、不謹慎ながらも美観を見出す。


 どれもこれも大切だが、今の俺の選ぶことはたった一つ。


4.初代美月から逃げる。


 これしかありえない。


 しかし、そんな猶予を彼女が与えてくれるわけもなかった。


「リョウ!!!」


 流麗な銀幕をバックにしても、なんら和らげられない怒りの形相で、俺目がけて一直線に走ってくる。


「お、おわ」


 あっという間に胸倉をつかまれ、片手で軽々と吊り上げられた。


「本当に、本当にお前という奴は!! 私の親切を全部無駄にしてくれて!!」


 ここで俺のやるべきことは、本来一つしかなかった。


 1.ごめんなさい。


 とにかくとにかく謝って、被害を最小限に留める。


 だが、それには一つ、俺の哲学と言う、問題があった。


『友達とは対等な関係だ。五分五分というものは、ある種神聖なもので、それは友情でしか成立しえない。だからこそ、追従じみた行為は絶対にしてはならないし、こちらに非がないと思っているなら尚更である』


 もちろん、これは俺の16年のわずかな人生による哲学だから、誰でも反論していいし、逆の理論も認める。


 ただし、自分だけは、自らの哲学を裏切るわけにはいかない。


 つまり、

「うるさい、余計なお世話なんだよ。バーカ、バーカ」

 という言葉が、俺の口からは飛び出すことになったわけだ。


「ぎぎぎ!!」

「ぐ、ぐええ!」


 彼女の腕にさらに力がこもり、首が圧迫される。


「お前は本当に変わってない。どうしてそんなに成長がないんだ」

「お、お前が言えることか!」


 恐るべき形相で、とてつもない膂力を発揮する美月。しかし、そのすさまじさの反面、過剰な力を込めた五体は、あちこち隙だらけであった。


「でえい!」


 俺は、つま先の前にあったみぞおちを、思いきり蹴飛ばす。


「ぐうっ!」


 美月が苦痛に顔を歪める。


「いやあ!」


 彼女の両腕から力が失われた瞬間に、全力を発露して、拘束を解く。


 俺の両足が、地面に降りた。


「ぎぎぎ」

「ぐぐぐ」


 俺と美月は、超至近距離からにらみ合いをはじめる。


 お互いに、視線で敵の頭蓋骨を射砕かんと、あらん限りの目力を込めていた。


「質問をするのは俺の方だ! お前こそなんで魔封士になった。いや、そもそもどうして生きている。あの事故でどうやって無事だった」


 この一か月間、ベッドの上で考えてきたことが、一辺に口から噴出した感じだった。


「説明をしろ。それか、最低限、連絡先を教えろ。もしくは俺の連絡先を覚えろ」


 俺の電話番号からアドレスまでが表示された、スマホ画面を見せるが、

「ぷい」

 と、美月は顔を背けてしまう。


「ええい、そっちがその気なら」


 俺は、彼女のポケットから覗くスマホに手を伸ばした。


「何をする。乙女の秘密がつまったアイテムだぞ」


「お前のどこに乙女要素がある。安心しろ中身なんて見やしない。ただ、俺の電話番号とアドレスを登録させてもらうだけだ」


「お節介はやめろ!」


「ワンプッシュで俺につながるように設定してやるからな。感謝しろ」


「迷惑行為だ。このストーカーめ」


「お前のストーカーは俺じゃない。そいつならそこに転がっているだろう」


 俺が鳥カゴを指さすと、

「うわ、こんなのいつからあった?」

 と、美月は目を丸くした。


「……おっかないな。本当に」


 どうも、さっきの彼女は、頭に血が昇りすぎていて、こんなでかい異物の存在さえ、気づいていなかったらしい。


(鳥かごが燃やされなくて、本当によかったよ)


「これは、トリカゴドリの鳥カゴじゃないか。結構なレアドロップだぞ」

「レアドロップ? ああ、精霧化の失敗物のことか」

「失敗物って……。今時、そんな古臭い言葉を使っている奴は誰もいないぞ」


 美月は少し呆れた様子である。


「しょうがないだろう。師匠が古風な人だから」

 と、スマホにアドレスを打ち込みながら、俺は言い返す。


「む」


 九谷さんの顔を思い浮かべたのか、美月が顔を苦々しく歪めた。


「ほれ、入力完了」


 彼女のスマホをそっと投げて返す。


「ちっ! 余計な真似を」


 ぶつくさ言いながらも、彼女は、俺のデータを削除するような真似はしなかった。


「ところで、この鳥かごが私のストーカーとはどういう意味だ?」

「カゴの中をよく見ろ」

「中には石ゴミしか見当たらないが?」

「右端の細かい石で盛り上がったところだ。よく見ると石ころに埋もれた奴がいるだろう」

「奴? ……ゲッ!! こ、こいつは、倉木志童」


 彼女がその名前を、大声で口にした、その瞬間だった。


「!!!」


 横たわっていた志童が、カッと目を見開き、条件反射のスピードで屹立する。彼の上に積もっていた小石の山が、ザラザラと崩れた。


「今! ミヅちゃんが、俺を呼んだ声がした」


 野良犬が自分を捨てた飼い主の声に反応したよう、……という比喩は口にはしないでおこう。


「く、くそ。どうして、よりにもよって、こいつが」

「あ! あああ!!」


 美月の仏頂面を視界に収めた途端、志童の身体が激しく震えだす。


「ミヅちゃん。本当に生きていてくれたんだね」


 歓喜の涙が、志童の頬を瞬く間に冠水させる。


「分かるかい! 僕だ。君の志童だよ」

「何が『君の』だ。私の所有格を勝手に使うなと、何度言ったら分かるんだ」

「ああ、変わらない。本当に君は君のままだ」

(……少なくとも、外見はだいぶ変わったと思うけどなあ)


 横目で、ド派手なスタイルの美月を見ながら、そんなことを考えた。


 実際、俺は一目で彼女だと気づけなかったし。もちろん、死んだはずの美月が生きていると思わなかったのが、最大の理由ではあったのだが。


「なんだって、このバカが迷夢宮に」


 最愛と最悪。お互いに真逆な感情を抱く両者は、奇妙な関係そのままの奇妙な地で、五年ぶりに再会することとなった。




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