第22話 バトル4?

 石床を染め上げるおびただしい血の量は、どう見たって、トリカゴドリの体内に入っていたほぼ全量である。


(俺が手を下さなくても、自然と息を引き取るんじゃないだろうか?)


 そんな都合のいいことを考えていたから、トドメを刺すため、敵頭部へと近づく足取りは、さらに鈍くなる。


『バカものめ』


 心の中の鬼師匠が、嘆かわしそうに息を吐く。


「ク、クゥゥゥ――」


 怪鳥がクチバシを微かに動かしたのを、俺は断末魔の呻きと判断し、足を止めた。


 それは見当違いもいいところだった。


 キィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ


 とてつもない音が、大きく開いたクチバシから放たれた。


「……」

(うわあああああ!)


 自分の口からほとばしった絶叫が、自分の耳にさえ届かずに、かき消される。


 音波兵器を思わせるような、大音量である。


(い、いけない)


 敵の意図は明白である。


 この音は、俺への攻撃ではなく、緊急救命シグナル。


 自分が危急に陥っていることを、遠方の仲間に伝えているのだ。


 直ちに発信を止めなければ、恐ろしい数の幻魔獣が駆けつけてくる。


(わ、分かってはいるんだけど――)


 俺の手は両耳を防ぐ役目で精いっぱい。もし、この手をわずかでも緩めようものなら、直ちに俺の鼓膜は破裂するだろう。


(ぎぎぎ)


 なすすべのない俺は、ただ忸怩するばかりだった。


 キィィィィィィィィィィィィィィィィィィ――


 一分近く鳴り響いた音が、突然止んだ。


 千切れかけの首を、がっくりと傾げた怪鳥。すぐに体表全体が銀の粒子へと変換されはじめる。


 銀色の輝き越しに、邪悪な微笑を張り付けた、死に顔が見て取れた。


(く、くそ。もう助からないと判断して、最後の力で報復をしやがったな)


 死ぬ前に、自分を殺した相手への、復讐の準備を済ませる。


 幻魔獣の恐るべき執念に、俺は身震いした。


『だから言ったぞ。けして油断するなと』


 心の師匠が、厳しい言葉を投げかけてくる。


(九谷さん。お叱りは後ほど)


 間もなく、おそらくはリザードマンが、ここに大挙して押し寄せるだろう。


(今更逃げたって無駄かもしれない)


 だからと言って、座して死を待つつもりはなかった。


 あのトリカゴドリの恐るべき執念は、今の俺が見習うべきものである。


「急げ、急げ」


 四角い石の間の中央に、置きざらしにされた、金色の鳥かごに向かう。


「くそ、どうして、こんな時に限って、精霧化の失敗が起こる」


 ハート形の錠前と格闘しながら、ぼやく。


 通常、本体である幻魔獣が死ねば、その付属物も一緒に精霧に還元される。


 だが、ごく稀に、本体の一部や所持品が、精霧化を起こさずに、そのまま存在を維持し続けることがあるのだ。


 俺が一か月間に使用した、リザードマンの石剣も同じものである。


「くそっ、くそっ」


 錠前はやたら複雑な構造で、焦る俺には手に余る。


 金のカゴの中で、意識を失ったままの志童を見ながら思った。


(ほんっとうに今日は、つくづく運に見放された一日だったな)


 秘密がバレたことから、志童が迷夢宮に入ったことから、トリカゴドリと戦う羽目になったことから、何もかもだ。


「ギヤアアアアアア」

「ギシャアアア」

「ギルルルルル」


 戦意みなぎる声を上げながら、恐ろしい数のリザードマンが、石の間に突入してき

た。


「う!?」


 奴らは、集団としての意思を持つかのように、見事な連携をとって動く。大集団が、二つに分かれ、そのうちの一つがまた分かれ、三つの渦の動きが俺を囲んでいく。


 俺が目を白黒させている間に、五十匹からのリザードマンが、見事な三重包囲円を完成させていた。


「ぐ、ぐう」


 グウの音がつい出てしまう。


 北朝鮮のマスゲーム級と評してもいいほどに、見事な集団動作であった。


 今や視界は、360度リザードマンに埋め尽くされ、アリの這い出る隙も無い。


「ここ……までか」


 敗北感に、ここまでの疲れとダメージが、どっと押し寄せる。


 赤剣を杖代わりにして、俺は、どうにか直立を保った。


(九谷さんが、今このタイミングで駆けつけてくれないだろうか?)

(偶然、別の白魔封士が、何らかの事情で、ここを訪れてはいないか?)

(『グレー』の誰かが、たまたま、この迷夢宮を探索していないだろうか?)


 自分が奇跡的に助かる可能性を模索したが、その全てが夢物語と悟り、俺を大きく天を仰いだ。


 頭上には、精緻なステンドガラスが美しく輝き、この世のものとも思えない色の光が、穏やかに降り注ぐ。


(まさか、こんな若さで死ぬことになろうとは)


 しみじみと、そう思った。


 自分が長寿傾向に無い気はしていたが、さすがに十代は早すぎないか?


(俺がいなくなっても、みんな大丈夫だろうか?)


 死を前にした思考は、自然と、残していく人々のことを焦点にしだす。


 父さんは、一人で大丈夫だろうか?


 具体的には、炊事洗濯の面で。


 自分で出来るわけはないので、家政婦紹介所に頼って、後はなんとかしてもらうしかない。


 有人の奴は、……まあ大丈夫だろうな。


 あいつは、自分以外の何がどうなったって、しぶとく生き残る奴だ。


 志童は、……逆に安全だろう。


 この金色のトリカゴを開けることは、リザードマン共にはできやしない。


 そのうち、九谷さんが駆けつけて、この中に籠城している志童を発見してくれる。


 ああ、そうだ、九谷さん。


 彼女には本当に悪いことをした。


 色々と目をかけてもらったのに、恩を一つも返せなかった。


(ん? ……よくよく考えれば、特に恩を感じることもないのか?)


 この一か月間の出来事は、人権意識の強い人物なら、多額の賠償金を請求してもおかしくはない。


 あと、あのバカ。


(……もういっぺん、きちんと話はしたかったな)


 一通り、親しい人たちのことを想うと、俺を囲むリザードマンたちを、再び見やる。


「ギシャアアアア」

「ギィィヤアアア」


 彼らの闘志は今にも爆発寸前であり、ほどなくして、こちらに飛びかかって来るだろう。


「最後くらいはカッコつけてみるか……」


 カッコのつかない人生、俺は一度くらい、花飾りをつけてみたくなった。


 残りわずかの力を振り絞って、二本足で立ち、切先をリザードマン共に向ける。


 破れかぶれの突撃をしかけようとした、その刹那――


 コツン、コツン


 よく響く足音が、石の間に伝わった。


「ん?」

「ギ?」

「ギギ?」


 俺もリザードマンたちも、一斉に音のした方向を見た。


 足音はこの部屋に向かって近づいてくる。


 地面を踏む音っていうのは、よく聴けば多様な情報の集まりである。


 音の大きさ、リズム、混じる異音、等々。


 特殊な訓練を受けていない俺にも、それらの成分分析から、足音の主が人類だと確信できていた。


「ギギイイイ!」


 それをリザードマンも気づいているから、こうして警戒感のこもった瞳で、音のする方を睨みつける。


(ま、まさか本当に九谷さんや他の白魔封士が?)


 石の間への入口の一つに、全員の視線が釘付けになる。


 一の期待と、五十以上の敵意の眼差し。


 そこを、一つの人影がさっそうとよぎった。


「な!!??」


 俺には理解できなかった。


 それが『誰か』は一目瞭然だし、『なぜいるのか』についても想像は及ぶ。


 ただ、肝心の部分が、皆目見当もつかない。


(こ、これは僥倖なのか? それとも災厄なのか?)


 もちろん、この場に人間が訪れただけで、通常は幸福に該当するのだが、俺の中には、その人物が幸せを運んでくれた記憶が一つもない。


「……」


 そいつは、多量のリザードマンを一瞥し、それから、俺の上でじっくりと視線と留めた。


「や、やっほう、美月」


 とりあえず、ダメ元で、とびきり明るい声をかけてみた。


 ギロリ。


 そんな擬音が聴こえそうなほど、初代美月は、激しく目をむいた。


「リョウ。どうしてお前がここにいる?」


 そして、燃えるような目つきに反した、波風一つない湖面のような静かな声。


「う!?」


 彼女のそんなリアクションは、底知れぬ怒りが、胸の奥からせりあがってきているサインであった。


 記憶の奥底で、ホコリを被っていたその情報を、俺は五年ぶりに引っ張り出したことになる。


「私はお前に言ったよな?」

「は? え?」

「もう二度と会うつもりは無いと。私はあの言葉を、それなりの悲壮感と覚悟をもって口にしたつもりだった」


 穏やかな湖にゆっくりと風が立ちはじめる。「……それがどうして、今お前は、私の前にいるんだ?」


「あの、その……」

「ふふふ、おかしいなあ。私は夢を見ているのかな? そうか、迷夢宮の見せる幻影を見ているのか? それなら、跡形もなく灰にしたって、なんの痛痒も感じなくていいな」


 湖の景観は、あっという間に暗い嵐の情景へと変貌している。


「お、落ち着いて聴いてくれ、美月。これには深い事情があって……」

「む! その手のものはなんだ?」

「?!」


 咄嗟に手にした赤剣を消し去るが、それはむしろ逆効果だった。


「消えた。ということは、今のは、やはり【エナジー・ソード】か」


 かえって彼女に強い証拠を与えてしまう。


「つまりあれか? 今のリョウは魔封士ということか?」

「い、いや、その……」

「私がお前を突き放したのは、おかしなことに巻き込ませたくなかったためだ。魔封士の世界は、一見華やかに見えるかもしれないが、実際には人間の暗部に直に触れるような、おぞましさに充ちあふれている。幼馴染として、私は、お前をそんな世界に関わらせてくなかった」


 美月が、「ふふふ」、と突然笑いだす。彼女は、口を懸命に抑えて、言葉と笑い声を閉じ込めようとしていたが、封印はままならない。


「それが、どうだ。ぷぷぷ。私があれだけ気を使ってやったのに、平然と迷夢宮に立ち入り、くくく、あまつさえ魔封士になっているとか。あははは」

「美月、落ち着いて。どうか平静を保ってくれ」


 俺の過去をいくら検索しても、ここまでの狂乱を晒す彼女は、一度か二度しかお目にかかったことがない。


 その一度か二度は、どちらも、俺と志童と有人に、その後の通院加療が必要な事態に陥った。


「深呼吸をしよう。新鮮な酸素をたっぷり補給するんだ。脳にエネルギーを与えて、自分の怒りのコントロールし――」


 美月が、無言で指を一本立てた。


「一つだけ、一つだけ、最後に聴かせてくれ。どうか私に最後のチャンスを与えてくれ。リョウ」


 哀切の口調で、彼女は言った。


「ど、どうぞ」

「いったい誰に魔法を教わった。頼む。どうか、九谷貴咲という名前だけは、口にしないでくれ」

「……」


 哀しいことに、彼女の最後の願いはとても叶えられそうになかった。


「……」

「……」

「……」

「……」

「……非常に申し上げにくいんですが――」


 俺がそう口にした時点で、美月がブチぎれた。



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