第21話 バトル3

(さて、どう攻めるべきか)


 正眼の構えのまま、怪鳥の周りを回りながら、俺は攻め方を模索していた。


「ケェェェェ!」


 鳥は、俺を常に視界中央に収める様に、その場で旋回を繰り返す。


(今のところ、お互いにアドバンテージは無い)


 序盤の俺は最悪の出来だったが、今は何とか立ち直った。


 鳥の方にも、さっきのダメージを気にする素振りは無い。


 仕切り直したココからが、本当の勝負である。


 まずは、定石通り、お互いに相手を『見』る。


 同族同士の喧嘩なら、相手の手の内は全て分かるが、異種族戦となっては、分かることの方が少ない。


 大失敗を防ぐためにも、相手の外観から、少しでも情報を集めなくては。


 言うまでもなく、こういう作業が、自然界一得意なのが、人間である。


(鳥……かあ)


 しかしながら、この時の俺は、人間失格な程に、この作業に戸惑っていた。


(鳥ってどういう風に戦うんだろう)


 人間社会の中で見かける鳥と言えば、カラス、スズメ、ハト。


(後はツバメくらいか?)


 俺はこれらの闘争の場を、ほとんど見かけたことがなかった。


(カラスがたまに屍肉を漁っていることを見たことがあるけど……)


 とりあえず、分かっているのは、爪がヤバイ。


 これはたった今実体験したばかりの、信頼できる情報だ。


 ただそれも、急所を狙われない限り、そこまで危険な凶器でもない。


(ここは、やはり、あのクチバシを警戒すべきだろうな)


 口元を飾るそれは、槍が比喩としては大人しすぎるほど、太く鋭い。


(まるで岩盤掘削用のドリルだ)


 人間の胴体など、いとも容易く貫通してしまうだろう。


「グゥエエ!」

「む?」


 先に『見』を終えたらしい巨鳥が、ゆっくりと巨体を動かしはじめた。


 今度は飛翔動作ではなく、足爪を地につけ、一歩一歩、俺の方に近づいてくる。


 俺は軽く体を揺らしこそするが、正眼の構え自体は崩さない。


 元々が対応力の高い姿勢である。


 攻めにも守りにも変幻できるこの態勢を、簡単に変えるつもりはない。


 重厚な足取りで、鳥が一歩、また一歩、俺に体を寄せる。


 後一歩でクチバシの間合い。


「?」


 そこで、巨鳥は足を止めた。


(まさか、間合いの駆け引きをするつもりなのか?)


 野生動物並みの知能しか持たなそうな生き物なのに。


 それは、やはり、『まさか』であった。


 巨大怪鳥は、右翼を、空気を大きくかき分けながら、振りかぶる。


(羽根で?)


 攻撃動作? いや、翼だぞ?


(と、鳥って翼を武器にするのか?)


 俺には、オスとメスが、水浴びでたわむれあう用途しか見覚えがない。


 戸惑いながらも、赤剣を右に寄せて、硬い防御の態勢を取った。


 怪鳥は、自身の頭頂部よりも高く掲げた翼を、「ゲエエ!」、猛然と振り下ろした。


「?!!」


 その風速、その轟音。


 重厚なコンクリ塀が、猛スピードで迫るような迫力だった。


(し、しまった)


 防御ではなく、回避すべきだった。


 しかし、今更行動の変更は効かない。


 すざましい衝突音が、俺の全身からした。


 体中の骨が楽器になったみたいな重低音。


 俺の両足裏は、容易く、石床から剥がされてしまう。


 浮遊感。ついで、真横への落下感。


 直後に、とんでもない衝撃と共に、石壁に落下した。


 本当の重力の方向に、身体が滑り落ちる。


「ぐ、ぐうう」


 かろうじて、本当にギリギリ、どうにか意識を保った。


 だが、それだけだ。


「ゲエエエエエエエ」


 弱り切った俺は、全速力で駆けてくる怪鳥に、なすすべがない。


(動け、動け、動けえ!)


 頭ははっきりしているのだが、神経系が混乱に陥っていて、筋肉に命令が届かない。


 揺れる視界の中、ぐんぐんトリカゴドリが大きくなってくる。


(動け、動け――)


 巨鳥は、横たわる俺の寸前で、急停止。


 ブレーキングの勢いを使って、上半身を素早く前に傾ける。


 巨大なクチバシが、まっすぐ俺に落ちてくる。


「動けえええええ!!」


 間一髪。


 神経回路がどうにか復旧を遂げ、俺は横に転がって、難を逃れた。


 しかし、まだ虎口は逃れていない。


「ケエエ! グエエ!」


 クチバシの突きが、雨あられと降り注ぐ。


 俺は、起き上がることもままならず、ひたすら身体を横に横にと回転させた。


 一瞬前に俺が寝そべっていたところが、次々、真円状にくりぬかれていく。


(どこか? どこか?)


 このままでは、やられる。


(どこかに安全な地点は……!)


 俺は、今までとは逆方向に身体を回す。


 怪鳥の懐へと飛び込む方角へと、身を滑らせ、逆に危険地帯を逃れようとしたのだ。


(密着してしまえば、クチバシも使えまい)


 足りないなりに頭を絞ったつもりだったが、それはやはり浅知恵だった。


「うわああああああ!?」

「グゥウエエエエエエ!!」


 丁度踏み頃の位置に転がってきた俺を、今度は足爪による連続攻撃が襲う。


 全体重を乗せての踏みつけは、クチバシの一撃にも劣らない。


 しかも、足は二本あるので、スピードの面で、状況はより悪化していた。


 自分の顔の横の石材が粉々になり、破片が頬を打ち付ける。


(死ぬ! 本当に死ぬ)


 仰向けになった俺に目がけて、勢いよく降りてくる三本爪。


「???!!!」


 俺は体を半回転させると同時に、

「!!」

 無意識に、赤剣を、爪と地面の間に滑り込ませた。


「ゲ、ゲエエ?」


 足裏の着地地点に異物を置かれた怪鳥は、足を滑らせて、大きく態勢を崩す。


(今、今! 今ァァ!!)


 身体を起き上がらせて、全力ダッシュ。


 怪鳥から一気に距離を取る。


 スピードを維持したまま、後ろを見た。


「ゲエエ! グゥエエ!」


 俺の置いた赤剣が、爪と爪の間に挟まり、四苦八苦している巨鳥がいた。


 俺は、必要な分だけ距離を取ると、休息の態勢を取った。


 前かがみになって、ひたすら深い呼吸を繰り返す。


 ゼエ、ハアア、ゼエ、ハアア。


 新鮮な空気を肺に吸い込み、少しでも二酸化炭素で濁ったら、即排出する。


 酸素が血中を流れて、全身の器官の活力となり、少しづつ俺の疲労は和らいでいった。


『何をやっているんだ、君は!』


 俺の頭の中で、九谷さんの声がしだした。


 言うまでもないことかもしれないが、本物の九谷さんではない。


 俺が一か月間の過酷な体験に基づき生み出した、脳内の仮想・九谷貴咲である。


『あれだけ口を酸っぱくして言っただろう。幻魔獣が未知の動作を取ったら、即退避だと。最大攻撃が来ると想定して、距離を取って、敵正面から外れる。対幻魔獣戦の初歩中の初歩だぞ』

(か、返す言葉もございません)

『それとアレだ。君はトリカゴドリに対して、巨大化した鳥を想定して、対峙しているだろう。そんなことをしていたら、いくつ命があっても足りないぞ』

(え?)

『何度も言っただろう。幻魔獣は姿かたちが自然界の生物に似ていたとしても、その実体は全くの別物だと。体内にどんな器官があって、どんな特殊な能力を持っているかなんて、想像もつかん。火を噴く、羽根を撃ち飛ばす、風を操る。そういったことをしてくる心づもりで相対するんだ』

(は、はい。そうでした)

『しかし、あのトリカゴドリの足元からの脱出はなかなか見事だった。自らの獲物を巧みに使いこなしたな。なかなかできることではないぞ』

(ふ、ふふふ)


 いくつか叱った後、最後にフォローを入れる辺りまで、俺の脳内九谷貴咲は、本物そっくりだった。


 頭の中でこんな会話をしている間も、時は流れ、状況は刻々と変化する。


 俺の休息は終わり、トリカゴドリも足の異物を取り除いて、再び危険なコンタクトをおっぱじめた。


 一、二の戦闘状況を経て、

「ふうふう」

「ゲエエエエ」

 今は、再び、太陽と地球の関係に戻る。


 巨鳥の周りを公転しながら、俺の中には一つの方向性があった。


(長期戦は絶対にダメ)


 俺の身体のダメージは、深刻とまでは言えないが、けして軽くはない。


 一つ一つの動作が、いつもより鈍くて重い。


 この重さは、質の睡眠を十分にとらなければ、回復するものではないだろう。


(同時に、この巨大怪鳥が手の内を知らないことも怖い)


 脳内九谷さんの言う通り、目の前のこれは、たまたま鳥に姿かたちが似ているだけの、まったく未知の生物なのだ。


 体内にどんな機能を秘めているが、まったく想像がつかない。


 最終盤で未知の能力を使われたら、こちらに挽回の手段はないかもしれない。


(間違いの起こりづらい早期決着。切り札の即時使用)


 俺の作戦が、はっきりと定まった瞬間だった。


 回る足運びを止めて、正眼の構えを一旦崩す。


「ゲェエ?」


 トリカゴドリが、首を高く持ち上げて、俺に警戒感を示した。


 俺は、自身の身体に、ゆっくりと別の姿勢を取らせる。


「グエェ!」


 幻魔獣の目にも、その構えの意図は一目瞭然だったろう。


 敵に体側面を向け、自身の武器が体の背後の隠れるほど、腰を大きく捩じる。


 さながら、野球のバッターの構えである。


 当然のことながら、全身の筋力を総動員した、必殺の一撃を放つためのものである。


 防御は完全に捨てている。


 剣が自分の後ろにあるんだから、そもそもできないと言った方が正確か?


「グゥルル」


 敵に、考え込むような間があった。


 おそらくは野生の本能を駆使して、この状況に対する、最善の回答を模索しているのだろう。


 怪鳥がゆっくりと、身体を動かしはじめた。


 自重で石床にしっかりと食い込んでいた爪を、静かに持ち上げ、俺へと慎重に近づいてくる。


(なるほど。野生の本能。バカにならない)


 俺とのこれまでのコンタクトから判断して、こちらの攻撃力の限界を見抜いている。


『どれだけスポーツ理論を駆使しても、自分の攻撃力をけして上回ることはない。それならば、敵の攻撃を真正面から打ち返した方が、イレギュラーは起きにくい』


 相手の思考回路は、こんなところあろうか。


 少なくとも、この巨大鳥は、一定の経験値が積んだ人間と、同レベルの選択をしてみせた。


 俺は、すり足で一歩前に出た。


 怪鳥も一歩前。


 俺が二歩前に。


 怪鳥が半歩身を寄せる。


 これで両者の距離が埋まる。


 最初に攻撃を放つのは、当然、手の長いトリカゴドリ。


「ゲエエエエエエエエ!」


 一際気合の入った雄たけびと共に、先ほど俺に痛打を浴びせた、翼攻撃をしかけてくる。


「【2.0】」


 俺は、短い言葉を、舌の上で転がした。


 そのまま、下半身、背筋、腰を使って、必殺剣を思い切りフルスイングした。


「!??」


 トリカゴドリが目を見張るのが分かった。


『話が違う』とでも言いたげだ。


 それは当然の主張である。


 俺の背面から出現した剣が、先ほどとはまるで長さも太さも異なる、巨大剣へと変わり果てていたからだ。


【エナジー・ソード2.0】


 俺の切り札は、その名称の通り、赤剣を2倍に形状変化させた、大型武器である。


「うおおおお!」


 渾身のアッパースイングが、振り下ろされる巨大翼と激突する。


『ホームランて奴はさ。手ごたえがないんだよ。一瞬、空振りしたかと不安になる。むしろ、ピッチャーゴロとかをやらかした方が、手への衝撃は大きいんだ』


 クラスの野球部員の言葉は本当だった。


 空気の中をただ、通り抜けたような感触。


 しかし、そうではないことは、切断された翼と、切断面からほとばしる血潮が、はっきりと示している。


「ギゲエエエエエエエエ」


 怪鳥の絶悲鳴に、「うっ……」、一瞬仏心がおきかけるが、

『迷うな! 死ぬぞ!』

 脳内の鬼師匠に叱咤され、行動を続ける。


「【1.0】」


 素早く唱えると、巨大剣は元の手ごろなサイズに戻る。


 大質量が消失したことにより、フォロースイングを、物理法則を無視したキャンセル。


 深手にうろたえる怪鳥目がけて、飛び上がった。


 眼前には、電信柱を羽毛で覆ったような首筋がある。


「せえい!」


 剣刃を水平に煌めかせた。


 今度ははっきりとした手ごたえがある。


 血管を、筋肉を、脊椎を、脊髄を。一つ一つ、異なる切りごたえが手の内に伝わった。


 生ぬるい血のシャワーが、俺の上半身を真っ赤に染め上げた。


「!?!?!?」


 巨体がゆっくりと傾き、轟音と共に、石床に倒れ伏す。


 今すぐにでも顔の血を拭いたいところだが、

『残心!』

 鬼師匠が、気の緩みを𠮟りつける。


 俺は、再び正眼の構えで、倒れ伏したトリカゴドリと向き合う。


「!?」


 異常があった。怪鳥の精霧化が一向にはじまらない。


 わずかに距離を取り直してから、円の軌跡をとって、横たわった敵の周りを一周しようとする。


「ゲ、ゲェエ……」


 片羽根を引き裂かれ、喉元を断たれた。それでもなお、トリカゴドリは微かに息をしていた。


『すぐにトドメだ。相手の息の根を完全に止めるまで、けして油断してはならない』

(い、いや、それは分かるけども)


 俺は、鬼師匠の発言に、はじめてためらいを覚えた。


 人道的見地から、苦しみは長引かせるべきではないのは、当然である。


 そう重々承知していながらも、俺の足は重い。


 戦いの流れの中で、致命的一撃を加えるのは、そう抵抗はない。


 反面、もう動けない相手に最後の一撃を浴びせるのは、俺の甘さかもしれないが、良心の呵責を覚えてしまうのだ。


 そして、俺のこの鈍歩が、直後、とりかえしのつかない失敗を呼び寄せることとなった。


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