第20話 バトル2

 なぜ倉木志童があそこにいるのか。


 そんな益もない原因究明に、俺はしばし没頭する。


 A トリカゴ鳥に興味を持たれて、籠の中に放り込まれた。

 B 石ゴミの中に身を潜めていたら、ゴミと一緒に投げ込まれた。

 C 好奇心から自ら入って、転んで頭を打った。


(普通に考えたらAかBだけど、案外抜けてる志童の場合は、Cも大いにありうるな)


 貴重な時間と、元から足りない脳のリソースを、無駄にしている。


「ケエエ!」


 そう気づいたのは、石の間中のゴミを拾い終えたトリカゴ鳥が、空高く舞い上がった時である。


「や、やばい」


 鳥かごを器用に足爪に引っかけたまま、俺に背を向け飛翔する巨大怪鳥を、急ぎ足で追いかけだす。


「と、とりあえず、どうする?」


 俺の思考は、ようやく前を向いた。


「【エナジー・ソード】」


 少しの熟慮の後、怪鳥に気付かれない距離で、初級魔法を発動させる。


 俺の手の内に、赤銅色の剣が出現した。


(戦闘はとても避けられそうにない)


 もちろん、あわよくば回避したいと願っているが、おそらくそんな幸運は巡ってはこないだろう。


 石段を降りたり昇ったりしながら、追跡を続行する。


 作戦立案も同時に行う。


 前提として、戦闘があるのだから、次に考えなければならないのは、戦いのシチュエーションである。


 主な争点は、地形と地点である。


 条件1 敵が全力を発揮できないような、手狭な地形

 条件2 周辺に他の幻魔獣がいない地点


(あの巨体だ。狭い空間で戦いをはじめられたら、小さな俺は相当に有利になる)


 逆を言えば、敵の機動力と巨体を存分に活かせるような広間では、勝ち目は薄いだろう。


(それと、近くにリザードマンがいるのは絶対ダメ。多対一なんて冗談ではない)


 一対一でも勝てるかどうか分からないのに、複数相手など論外も論外だった。


 いつの間にか、俺の呼吸と歩行は、獲物を突け狙う動物のものに近づいていた。


 相手は隙だらけに、床から数メートルの高さを飛翔している。


(虚は容易につける)


 後はタイミングだけ。


 しかし、そのタイミングがなかなか巡ってこない。


(くそ、やかましいな)


 さっきまでほとんど姿を見せなかったリザードマンが、ここにきて存在感を放つ。


「ギヤアアア」

「ギャギャギャ」


 叫び声、話し声、足音、尻尾を引きずる音。


 四方八方からリザードマンの発する音が、俺に届く。


(惜しい。さっきから、地形的には絶好のポイントばかりなんだが……)


 身体を窮屈そうに傾けて、細い空間を、トリカゴ鳥は飛んでいく。


 怪鳥が、大きく身を翻して、T字路を左に曲がった。


「ギヤ?」

「ギシャ?」


 ばったりと鉢合わせになったリザードマンたちは、慌てて道の端による。


 一礼をする奴らを、軽く一瞥して、トリカゴ鳥はまっすぐ飛んでいった。


「おっと」


 もちろん、俺は、リザードマンと出くわすようなヘマはしない。


 小さく道を迂回して、戦いを避け、再び怪鳥の背後につける。


 石の間を飛び立った巨大怪鳥は、多少地面に足をつけることはあったが、ほぼぶっつづけで飛行し続けていた。


「ケエエ」


 ちょっと疲れたような声で鳴いて、ゆっくりと羽根を休めるのは、当然のことである。


「……チャンスはチャンスなんだが」


 その怪鳥のほんのすぐそばに身を潜めた俺がいる。


 いつしか、リザードマンの気配は、周辺から完全に消えている。


 俺の鼓膜を打つ音は、トリカゴ鳥が自身の毛づくろいをしている音だけである。


「ただ、今度は地形が悪い」


 幻魔獣とて生物なわけだから、自分が羽休めをするのは、いざという時に安全な空間である。


 見晴らしのよい、大きな四角形の広間、その中央にトリカゴ鳥はいた。


「むむむ……」


 大きな決断を、俺は下さなくてはならなかった。


 行くか行かざるか。


 この状況が好機であることは、疑いようがない。


 これ以上の好条件なんて、この後、一晩中後をつけたって、出くわすか分からない。


(しかし)


 とはいえ、これが最後のチャンスと決まっているわけでもない。


 最高のシチュエーションともまでは言えないのも確か。


 ここを見過ごして、より安全な強襲ポイントを探すのも、合理的判断と言える。


(だけど)


 不安が他にも無いわけではない。


 何かの気まぐれで、トリカゴ鳥が高度を取ったら。


 白兵戦の用意しかない俺には、もう攻撃手段すらなくなる。


(でもなあ)


 それでもこの地形は、あまりにも自分にとって不利だ。


 この広い空間は、敵の機動力をフル活用できてしまう。


 でも、しかし、でも、しかし――


 思考が、ほぼ無限ループにはまりつつあることにも、自覚してない。


 かかっているものは、友達の命。


 どうしたって、慎重にならざるを得ない。


 可能性を精査し、わずかでも確率の高い手段を取りたい。取らざるを得ない。


 しかし、その思い入れの強さが、さらに俺の思考を迷宮に誘う。


 でも、でも、でも、しかし、しかし、しかし、で――


 鳥に動きがあった。


 虚空の一点をにらみ、下半身をぐっと沈める。


 どう見たって、飛翔直前の態勢。


「!?!?」


 あまりに突然の状況変化に、俺は軽い混乱状態に陥る。


 チャンスを失う。選択肢を失くす。友達を亡くす。


(う、うおお)


 喪失への恐怖感に突き動かされ、発作的な行動に出る。


 手にした赤剣を、トリカゴドリ目がけて、放り投げた。


 高速回転した刃は、円盤状となり、怪鳥の首筋を狙う。


(あ、当たった!)


 そう思った瞬間だった。


 身を低くしていた怪鳥が、さらに体を沈める。


「え!?」


 回転する剣は、鳥の遥か頭上を舞い、見当違いの石壁に突き刺さった。


 ギロリ、と漆黒の眼球が、俺を睨みつける。


「あ……、う……」


 もちろん、たかが三メートル強の巨大鳥にすごまれたくらいで、前後不覚に陥る程、俺の経てきた修行は生易しくはない。


 立ち上がりこそ最悪だったが、ほどなく俺は冷静さを取り戻し、ひるむことなく戦いに臨むはずであった。


 ただし、それは、相手が何もしてこなければの話である。


「ケエエエエエエエエエエエエ!!!」


 クチバシを大きく広げて、途方もない大音声を、俺へと叩きつけてくる。


「!?!?!?!?!?」


 それは音と言うよりもほぼ衝撃波で、俺の皮膚表面で、バチバチと弾ける音が鳴った。


 肉体的ダメージはほとんどない。


「…………う、うああ」


 ただし、威嚇としての効力はてきめんであった。


 軽い混乱状態のまま戦闘状況を迎えた俺は、この攻撃で、完全に精神的安定を失う。


「クエエ!」


 鳥が、トリカゴを蹴って、高々と飛翔。


 天井すれすれに達すると、勢いよく急降下に転じる。


 その落下先は、俺以外にあるわけもない。


「わ、わあああ」


 激しい訓練で得たノウハウなど、何一つ思い出せない。


 俺は一か月前のど素人の動きで、迫りくる爪をかろうじてかわした。


 怪鳥の怒涛の攻撃がはじまった。


 もっともやっていることは単純極まりない。


 低空飛行を続け、俺に接触する一瞬で、爪で首を引き裂こうとする。


 回避されたのなら、そのまま高速で行き違って、後に急旋回。再び俺に迫る。


 対処法なんていくつもあるはずなのに、このときの俺は、それが完全無欠の攻撃方法と信じ込んだ。


 俺の全身は、浅い爪痕だらけになっていく。


 傷自体は大したことないのだが、痛みが恐怖をより高め、恐怖が痛みを鋭敏にし、俺の混乱はさらに度を深めていた。


 何度目かの攻撃で、俺はついに、背中にぶ厚い石壁を背負う。


 鳥は真正面から勢いをつけて、俺にトドメの突撃飛行を仕掛けてくる。


「う、うう」


 俺は右に左へとステップを踏むが、怪鳥は針路に微調整を加えて、俺を常に前面に捉えつづける。


「~~~~~~~~!」


 絶望に、その場に崩れ落ちそうになる。


 その時、狭窄した視界に、あるものが映りこんだ。


 目に映える、黄金色のトリカゴ。


 その底部が、彩鮮やかな赤色で染まっている。


 ピチャリ。ピチャリ。


 倉木志童の額に、いつの間にか線傷が走っていた。


 そこからこぼれ出た血が、メガネのフレームをたどって、地面に滴り落ちる。


『いいか、お前たち。血の赤というのは、人間にとっては非常に重要な色なんだ』


 小学五年生の時の担任。一小で一番の人気教師の声が、俺の耳に蘇った。


『原始人はな。獲物の血の赤を見つけた時は激しい興奮を覚えたという。獲物が傷ついて弱っているという証だから、より確実に食料を確保できるように興奮するわけだな。

 反対に味方の血を見た原始人には、恐怖の感情が想起されたという。ん? 想起とは何か? そういう気持ちになるってことだ。

 味方がヤバいってことは、自分も死ぬかもしれないってことだからな。早急に逃げ出すように、そうなったと考えられているんだ』


 本当にいい先生だった。あの先生が担任になると決まったときは、クラス一同お祭り騒ぎだった。


(それだけに、残念でならない)


 あの先生が、教え子にデタラメを教えていたとは。


 親友の血が体外にあふれ出ているのを見た俺。


 そこで生まれた反応は、先生の説明とは真逆の現象だった。


 胸の奥で闘志が弾けると、血中に混ざりこんで、全細胞の一つ一つまで行き渡る。


 全身の傷から出血が止まり、痛みが急速に消えていく。


「!!!!」


 身体が火の塊になったみたいに、ひたすら熱い。


「ケエエエエ!」


 怪鳥の、激しい気迫が耳を襲い、巨大な爪先が視界を塞ぐ。


「【エナジー・ソード】」


 詠唱と同時に、俺は、スッ、と半歩分、体を横にずらした。


 すかさず、強烈な踏み足で、地面を前に蹴る。


 鮮血ほとばしる交錯。


「ゲエエエエエエ!」


 三本爪の一本を断ち切られた怪鳥が、今度は苦悶の絶叫を上げる。


「これでお相子だろう」


 俺は、足元に転がってきた、爪の生えた指先を、蹴り返しながら、そう言った。


 俺の全身の傷を束ねれば、丁度、相手の足指一つを切断するくらいのダメージになるであろう。


 悶える怪鳥に、俺はさらに言葉を投げつける。


「これで終わりにしようぜ。俺の目的は命を獲ることじゃない。今なら、痛み分けになるだろう」


 しかし、怪鳥から返ってきた反応は、案の定のものであった。


「ゲエエエエエエ!!!」


 闘志みなぎる瞳で、全身を震わせ、俺への敵対心を昂らせる。


「クソ、やっぱりダメか」


 意味はそこそこ通じたと思うんだが。


 痛み分けでお開きなんて、野生の世界でもあるだろうに。


(まったく、幻魔獣と言う奴らは、どいつもこいつも血の気が多すぎる)


 俺は、背筋をまっすぐに保ったまま、そっと足を前後に開く。柄の先端を左手で固く握った。


 剣の背後に隠れるように、縦に細く構えたその姿勢は、剣道でいう、正眼の構えに近い。


「クエエエ!」


 対照的に、トリカゴドリは、翼を大きく横に広げ、自身を大きく見せようとしている。野生の論理に基づいたフォームだ。


 科学と野生。相対する二つが、相反する姿形をとって、迷夢宮浅層にて対峙していた。

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