第19話 トリと鳥カゴ

 左右に居並ぶロウソクの火は、銀霧ににじんで、朧月に似た輝きを称えていた。


 霞んだ光に照らされながら、歩くこと、早二十分。


「本当にこっちでよかったよな……」


 志童がこの道を通った痕跡は、いまだ発見できない。


 確信ありきで選んだ道だったが、なんせ自分の知的能力には、とんと自信がない。


(今なら、まだ分かれ道に戻れるぞ)

(いや、でも。もう少しいけば、何か発見があるかもしれない)


 数歩進むたびに、前向きな自分と不安げな自分が、口論を交わす。


 だから、それを見つけられた時の俺の喜びと言ったら……。


「あ、あった!?」


 興奮のあまり息を荒くして、俺は十字路を構成する、壁の一つに駆け寄る。


 ちょうど、志童の目の高さ位のところに、奇妙な記号が刻まれていた。


 それは、どう見たって偶然の産物ではなく、文明を感じさせる論理的なマーク。


 記述者の進行方向と、入り口の方角を示す役割のもので、間違いがない。


「ああ、よかった」


 自分の推理が的中した悦び。友達の生存が確認できた喜び。


 二重の歓喜が、俺の心を満たす。


「志童の奴の頭がよくって、本当に助かった」


 入り口にあった八通りの道。


 俺にはどれを選ぶべきか見当もつかなかったが、その前にあそこにいたはずの倉木志童にはそうではない。


 彼が探していたのは、初代美月の痕跡。


(つまり、志童が目指すべきは、ひと月前に俺が進んだ道)


 もちろん、俺がどの道を進んだかなんて、志童の奴にあらかじめ伝えている訳がない。


 ただ、あの度を超して聡明な少年ならば、ノーヒントであっても、絶対に正しい一つを選び取れると、俺は確信していた。


 つまり、俺の立場としては、ひと月前に通った道を、そのままなぞればいいだけなのである。


(推理……とは言い難いな)


 単に、倉木志童におんぶに抱っこをしただけ、というのが適切な表現だろう。


「ま、いいや。無事で何より」


 志童が自分の帰路のために、残した記号を読み取って、十字路を左方向に曲がる。


 一定の距離を進むと、また記号が壁に記されていた。


 その記号の通りに、再び道を選ぶ。


「これは楽でいいな」


 頭のいい奴と言うのは、本当にありがたいものだ。


 もし遭難したのが藤原有人だったりしたら、支離滅裂な道順を、何の記録も残さずにたどり、今頃はリザードマンの夜食になっているだろう。


「おや、あれは?」


 見覚えのない景色が、俺の前方に広がっている。


 ひと月前に、ここを通った時には、あったはずのものが、大きく失われていた。


「?」


 連続した一枚壁であったはずの部分に、巨大な大穴が穿たれている。


 リザードマンの腕力では、束になっても不可能な芸当である。


 大型の重機の侵入を疑わせる程の、大がかりな破壊痕だった。


「だ、誰がいったいこんなことを?」


 真っ先に思い浮かぶのは、リザードマン以上の幻魔獣の存在だ。


 とはいえ、ここはまだ迷夢宮の入り口付近だから、強力な幻魔獣がする可能性は極めて低い。


 もちろん、『極めて低い』と『ゼロ%』には、天地程の開きがあるのだが。


「……あ! ああ、そうか。……は、ははは」


 不安の霧に心を陰らせていた俺だったが、あることに気付き、安堵の笑い声を上げた。


「そうか、そうか。九谷さんか」


 一か月前の騒動の終盤、彼女は俺を救出するため、多数の石壁をぶち破って、簡易トンネルを作り上げたのだ。


「それが、このトンネルなわけか」


 はじめは愉快な気持ちでじっと大穴を見つめていたが、「……」、徐々にふたたび恐怖感が鎌首をもたげだす。


「よく考えたら、俺が笑うようなことではないよな……」


 白金の破壊者デストロイヤー


 その手加減知らずの師匠に学ぶものとしては、この破壊の痕跡は、あまりにも恐ろしい意味を持っていた。


「この壁の有様は、明日の俺の姿なのかもしれない……」


 不意に、壁と同じ形に胸をくりぬかれた自分の姿が、目の奥に浮かぶ。


「さ、さあて、早く志童の奴を見つけてやらないとな。ああ、あいつが無事でいてくれることを、心から祈っているよ」


 俺は、直近の現実と正しく向き合うという、奇妙な現実逃避を執り行う。


 最寄りの道案内マークは、このトンネルの中に向いていた。


(それにしても、怖いくらいの順調さだ)


 石壁の穴を、次々とくぐりながら思う。


 ここまで、幻魔獣の抵抗らしい抵抗もなく、道に迷うことも、幻影のような壁に道を阻まれることもない。


 俺の短い人生経験上、こういう時が一番怖い。


 不幸とは、気まぐれに、ペース配分を一切無視して、数か月分が大挙して押し寄せることがあるからだ。


 その直前の現象として、波一つ立たない海のような、奇怪な平穏が訪れたりするのは、何度か実体験している。


(じ、冗談は、やめてくれよ)


 この迷夢宮でそんなことになろうものなら、この見習い白魔封士の俺では、とうてい対処できない。


(何も起こらない。きっとこのトンネルの先の広間には、志童の奴がいる。美月の手がかりを床にはいつくばって探していて、『あれ、良星。どうしてここに?』。なんてとぼけたことを言ってくるんだ)


 なるべく明るい想像を膨らまして歩く。


 これは現実逃避ではなく、言霊の論理に基づき、現実に対処したのである。

 

 もっとも、オカルトなんかに頼っている時点で、俺の落ち目は証明されているようなものだが……。

 

 件の石の間に辿りつく。。


 ひと月前、俺と九谷さんと美月が顔を揃えた空間。


 そこに入りかけて、(あああ……)、絶句した俺は、足跡を逆にたどる。


「クエ?」


 巨大生物の視線を、間一髪、壁の背後でやり過ごす。


「クゥゥ……」


 そいつは、俺の存在を見過ごしてくれたようで、再び、奇妙な作業に没頭しだす。


「な、な、な、なんだ、あれは?」


 俺の知っている動物の中では、カラスが最も近い。


 ただし、その全長はリザードマンを遥かに超え、広い石の間が手狭に見えたほどだ。


 細部もカラスとはだいぶ異なり、身体各部から、凶暴なニュアンスが漂ってくる。


 カラスは国によっては崇められる存在であるらしいが、この鳥はどんな文化圏でも、恐れられ、忌み嫌われるだろう。


 槍の鋭さをもったクチバシで、地面中に散乱した、石片をくわえ集めている。


 石塊をクチバシで挟んだまま、怪鳥が、数歩スキップする。


 そこには、またもや、見慣れない物体がある。


 とはいえ、これもサイズ自体が異常なだけで、この形態自身は、何度か友達の家で見たことがある。


(ト、トリカゴ?)


 全身が明るい金色で塗られた、五メートルを超えることを除けば、これと言って特徴の無い一品だった。


 くわえた石を一度足元に置くと、怪鳥はくちばしで器用に、ハート型の錠前を操作し、金色の扉を開く。


 石の破片がすでに散乱したトリカゴの中へ、足元の石片も放り込んだ。


「クエ、ケエ」


 その後も、九谷さんや美月による破壊によって生じた、石のゴミを、勤勉に拾い集めていく。


「思い出した。あれは、確か、トリカゴ鳥」


 九谷さんからお古をもらった『古今東西幻魔獣図鑑(第667訂)』に、その存在が記されていた。


『迷夢宮とは、人間にとっては、ただおぞましいだけの空間に過ぎないが、幻魔獣たちにとっては、戦いの場だけでなく、生活空間という意味も合わせ持つ。

 ただ、日夜、人間や他種族との戦いが繰り広げられるそこは、生活の場としての用途を維持するのが難しい。

 よほど特殊な素材で迷夢宮が作られていない限りは、ひと月と経たないうちに、壁や床の残骸で歩くこともままならなくなってしまう。

 幻魔獣保護の観点から、そういった状況を避けるため、迷夢宮が自身の本能に基づき、掃除人の幻魔獣を産み落とした』


「それがあのトリカゴ鳥……だったような」


 俺の記憶は曖昧だったが、確か、次のような文章が続いたはず。


『トリカゴ鳥は、迷夢宮内を飛び回り、壁や床の残骸を拾い集める習性がある』


『自身の巣でもある巨大トリカゴを常に持ち歩き、その内部に、ゴミをため込む』


『トリカゴには特殊な機能があり、内部のゴミを速やかに精霧に還元する。還元された精霧は、迷夢宮によって認知され、破損個所の自動修復が開始される』


『その迷夢宮においてなくてはならない性質上、他の幻魔獣からは友好の念を持たれている。それゆえ、トリカゴ鳥と人間が戦闘しているケースを確認すると、周辺の幻魔獣がこぞって応援に駆け付けるので、注意が必要である』


『自身の戦闘能力も当然高く、迷夢宮浅層で遭遇する幻魔獣の中では、群を抜いて強い』


「まいった。これは、まいったぞ」


 可能ならば、あの巨大怪鳥は全力でスルーしたい。


 その後、ゆったりと、志童の捜索を再開したいというのが本音なのだが、残念ながら、それはすでに不可能だった。


 なぜなら、倉木志童はもう発見されていたからだ。


「クソ、なんであんな所に」


 黄金のトリカゴの内部に、石ゴミに押しつぶされるようにして、目を回して失神している、大バカ野郎がいた。


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