第18話 バトル1
均一な石材で組まれた、荘厳な白石の城。
壁には等間隔に燭台が並び、ロウソクの火が縦に伸びる様に燃える。
大気には銀色の粒子が大量に混じり、燭台の光を受けて、キラキラと反射光を輝かせるが、その恐ろしさを知る身としては、美しいという感想は持ちようがない。
「まさか、こんなことになろうとは……」
あのトラウマ体験から、わずか一か月で、再びこの迷夢宮に身を置く羽目になるなんて。
(本当に俺が入るしかなかったのか?)
未練がましく、ここに至るまでの経緯を精査する。
『し、志童の奴が、三小に入ってしまったんだよ。美月の痕跡が何かあれば、彼女を追うのに役立つかもしれない、とか言って』
有人にそう告げられて、しばしのショック状態の後、俺がまずしたのは、九谷さんへの報連相であった。
(これは、当然だな)
明らかに、事態が自分の手に負えない以上は、対処するだけの力を持っている人物に連絡するのが最優先だ。
加えて、弟子という、俺の立場上からも適切である。
しかし、いくらスマホを鳴らしても、彼女からの応答はない。
時間的に、すでに瑠璃花町の迷夢宮に潜っているのは、明らかであった。
(九谷さんの助力を得られない以上は、俺たちのみで事態の解決に当たらなければいけなかった……)
ところが、それには絶対的に能力が不足している。
他に力を貸してくれる人物にも当てはない。
一種の行き詰まりが、ここに生じた。
結局、無い知恵を絞って、俺と有人が導き出した結論は一つ。
瑠璃花町の迷夢宮から出た九谷さんに、続けて志童の救出に赴いてもらう。
『恥ずかしげもなくよく考えつけるものだ』
そうお叱りを受けても仕方がない程の、情けない結論であったが、もっとも現実的なプランである。
ただし、言うまでもなく、大きな問題がある。
時間。
九谷さんが瑠璃花町での救出活動を終えるのに、何時間かかるか見当もつかない。
そもそも、何時間どころか、何日という単位を使う可能性だってある。
それまでに、志童の命は、当然のように尽きてしまうだろう。
もちろん、案外あっさりと九谷さんが瑠璃花町から帰って来る確率もあるのだが、人命を運のみに預けるのは抵抗がある。
そこで窮余の策として考え付かれたのが、この俺、天屋良星のワンポイント的投入であった。
『い、今の良星だったらさ。志童を救けるのは不可能でも、ダンジョンの中で合流して、しばらく延命を図るくらいはできるんじゃないのか?』
そうして、九谷さんの到着を待つ。
まずまず、聡明なプランと言えるだろう。
問題点というか、不満点が一つ。
有人が、自分が迷夢宮に入ることを、これっぽっちも考えていなかった点だ。
『いやあ、悔しい。俺もぜひとも良星と一緒にダンジョンに入りたかった。しかし、無念。誰か一人は外に残らないといけないんだもんなあ。九谷さんの携帯にずっと呼び出しをかけていないといけない。ああ、何と残念なことか。俺の心は今にも張り裂けそうだよ』
そう宣った有人に、こちらの堪忍袋こそ、はち切れそうだった。
「あの野郎。やっぱり一発ぶん殴ればよかったな」
唯一その点だけが、現状における明らかな失敗と言えた。
本来なら、時間の許す限り、あのバカを罵り続けたいが、それを志童の生命より優先するわけにもいかない。
「急がないとは……、とはいえ」
俺は、周囲を見渡す。
俺のすぐ後ろには、豪奢な彫刻が施された、巨大な漆黒の扉。
この扉が迷夢宮と現実世界を結ぶ唯一の扉であり、三小の玄関口を開けて中に入って振り返ると、この門扉をなぜか背後に背負っている。
そして、扉を囲う様に、円形の広間が広がり、そこから八方向に道が伸びている。
頭上から鳥瞰すれば、子供の描いたお日様みたいな地形に、俺は今いるわけだ。
「いったい、志童はどの道を進んだのやら……」
無個性な八つの道に、何度も視線を往復させるが、ヒントらしきものがまるで見つからない。
そして、熟考に浸る猶予を与えてくれるほど、迷夢宮は穏やかな土地柄でもない。
「ギシャアア」
八本の道の一つから、半人半トカゲでお馴染みの、リザードマンが姿を見せる。
「っっ! また、このパターンか」
前回も、入り口付近で立ち尽くしていた俺を、リザードマンが強襲してきたことを思い出す。
「ギヤギヤギヤ!」
石の剣を振り上げながら、恰好の獲物である俺の元へと、一直線に迫りくる。
フォン!
空気をかき分けながら、振り下ろされた石剣は、
「……」
わずかに体軸を回した俺の前に、あえなく空を切る。
「ギ? ……ギヤヤヤヤ!」
リザードマンの連続攻撃がはじまった。横からナナメから下から石剣が打ち込まれる。
剣術とは無縁な、大雑把な攻撃ではあったが、恵まれた体格から繰り出される攻撃は、パワーもスピードも有していた。
しかし、その連撃の一つとして、俺の身体どころか、ジャージのたるみにさえ触れることはできない。
「ギギ!!」
俺を難的と判断したのか、リザードマンが、慌てて、俺から距離をとった。
「リザードマンか……」
一か月前の俺には、逃げる以外の選択肢の無かった相手である。
この迷夢宮におけるトラウマの大半は、こいつに起因する。
しかし、それが今更なんだというのか。
俺は、すでにトラウマを克服していた。
より強烈なトラウマで上書きするという方法で。
「ふん。九谷さんに比べれば、どうということもない」
九谷貴咲。
基本的には優しくて聡明な人物だ。
しかし、その優しさの基準はあくまで自分であり、その自分が頑強すぎるため、手加減が手加減として働かないことが多い。
(地獄だった。あれは本当に地獄だった)
数時間前に、『顔かたちが変わった』と、志童に看破されたわけだが、あれは見抜いた奴も大概だが、そう言われた俺の方にこそ問題がある。
人間の顔形を変えてしまうほどの超絶スパルタを施された。
志童の慧眼よりも、俺はそちらを問題視してほしい。
『大丈夫だ、きちんと加減するから』
そう言って、鬼も震えあがるような攻撃を、ど素人の俺に、組手の名目で加えてきた。
「【エナジー・ソード】」
地獄の内で、習得した只一つの魔法を、初めて公に披露する。
詠唱後、ただちに、俺の周辺の空気に変化が生じた。
血に近い色をしたもやが、いつの間にか大気に混ざりこんでいる。
赤色は、空気中でみるみる濃度を上げていく。
「ギ?」
異様な現象に、リザードマンが目を凝らした。
赤い霞は、やがて、俺の指の先に、長い棒状に集っていった。
棒の一端を、俺が力いっぱい握った。
「ギギ!?」
赤霞は瞬く間に凝固し、赤銅の片手剣がひと振り、俺の手の中で完成している。
自らの『精』を金属に変化させ、剣の形へと加工する、もっとも単純な魔法がこの【エナジー・ソード】だった。
(この魔法の習得過程だっておかしかったよな)
『精』の物質化は、算数における足し算のような位置づけだが、だからと言って、ひと月でマスターできるようなものでもない。
絶対にあれだって、まっとうなやり方じゃあなかったんだ。
『これくらい普通だって。私も、こうやって魔法を習得したんだからな』
そう言って、ニコニコと恐ろしい負荷をかけてきた九谷さん。
俺を遠巻きにして、涙目で震えていたルシュフのリアクションこそが、あの時の俺に対する、正しい反応ではなかったか?
過去を鮮明に思い出そうとしすぎた余り、当時の恐怖まで蘇りかける。
(い、いかんいかん)
マイナス思念を振り払うため、赤銅色の剣を思い切り振り払った。
ゴオウ!
強烈な風切り音に、「ギ!!」、リザードマンが目に見えてたじろいだ。
「うおおおお」
そのまま、戦闘へと突入
咆哮を上げながら、俺はリザードマンに躍りかかった。
「ふん!」
赤剣の一振りで、
「ギャ!」
リザードマンの構えは簡単に崩され、さらに石剣が大きくひび割れる。
「ギィィィイ!」
やられたら、やりかえす。
戦士として当然の理論を持って、リザードマンが切り返してきた。
しかし、
「むん」
俺の受けはビクともせず、逆に攻撃した側が体勢を崩す。
「でえい」
再び俺のターン。今度の一撃は、正確に敵の武器の亀裂を狙う。
「ギヤ!」
大きく音を立てて、石の剣が砕け散った。
精神的ショックにぐらつく、リザードマンの横面を、「いやあ!」、思い切り拳で殴りつけた。
リザードマンの身体が、勢いよく横倒しになる。
「……」
「……」
人間同士の戦いなら明らかな決着であった。
身体能力でも武器の能力でも、俺が上を言った。
余談だが、俺の剣も敵の剣も、『精』を物質化したという意味では互角であったが、敵が石を具現化したのに対して、俺は最先端の合金を生み出していた。
「さっさと立ち去れ。死にたくはないだろう」
人間語は通じなくても、状況と声色から、ある程度ニュアンスが通じることを期待した。
(いくら仮初の生命とはいえ、なるべくなら殺生は控えたい)
自分を殺そうした相手に対するこれは、優しさというよりは、甘さのそしりを免れないものだったかもしれない。
「……」
リザードマンは、俺を背にしたままむくりと起き上がり、見当違いの方角をじっと見つめていた。
ゆっくりと俺の方に向き直る。
「!」
リザードマンの形相が、先ほどとは一変していた。
半分は人間性を有していた顔つきが、100%ケダモノのそれへと変貌している。
「ギルルルル」
口から放たれる呼気は、今にも火を発しそうなほど熱を帯びる。
「くっ」
敗北感? 生命危機時の本能? 施しに傷つけられたプライド?
変化の原因は不明だが、いずれにせよ、俺の要求はとても通りそうになかった。
「ギシャアアアアアアア!!」
闘争本能の権化となったリザードマンが、顎を大きく開いて、俺の喉笛を引きちぎらんと迫る。
「こんの、バカヤロウめ!」
俺は、自分の身体を半歩横にずらすと、地面を前に蹴った。
俺の身体と、リザードマンの巨躰が、高速ですれ違う。
交錯の一瞬、赤銅の剣が、敵の胸板を深々と横に裂いていた。
不快な感触が、柄を伝って、俺の持ち手にもたらされる。
皮膚、筋肉、骨、臓器。
それらを切った感触が渾然一体となり、命を断った手ごたえとなる。
「ギ――」
か細い断末魔を上げて、リザードマンの五体がくず折れた。
宿っていた生命のかき消えた躯が、自らの作り出す血の池に、ゆっくり沈んでいく。
「……」
亡骸から立ち上った精霧に、複雑な心境のまま、軽く手を合わせた。
「さてと」
当然、戦闘の前後で状況に進展は無し。
「志童の奴、一体どの道を通ったんだか……ん? 待てよ」
戦闘の緊張と、その後の弛緩が、俺の脳に好作用をもたらしたのか?
俺の脳裏に、先ほどにはなかった着想が生まれていた。
「俺には、志童がどこに向かったかなんて、到底見当がつかない。だけど、志童には、自分がどこに向かうかなんて、簡単に分かってたはずだよな」
そのことに気付いた俺は、
「そうだ。その手があったか」
素早く、確信を持って、八つの内から一つの道を選び取るのだった。
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