第17話 再び、非日常へと

 学校から帰宅した俺は、少しの小休止の後、日課の行動に取りかかった。


 まず、帰宅途中に、格安スーパーで揃えた食材で、父と自分の夕食を賄う。


 料理が出来上がると、父の帰宅はどうせ遅い、と先に一人で食事を済ませた。


 掃除は土日にまとめてするが、目立った汚れだけは、毎日取り除く。


 父が帰ってくるはずの時刻に合わせて、風呂を焚いた。


「た、ただいま」


 ブラックな労働でフラフラの父が、今日はどうにか九時前に帰ってきてくれた。


 父は、夕食を食べ、風呂に入ると、「学校は楽しいか?」、少しだけ俺と言葉を交わし、後は泥のように眠った。


「やれやれ、後は洗い物だけだ」


 軽く肩を叩く俺の仕草は、どこか年寄りじみてきていて、学校の友人たちには見せたくない。


 風呂場の前の洗濯カゴに、滅茶苦茶に放り込まれた服を、表裏を正して、洗濯機に入れる。


 自動洗濯が終わるまでの時間に、明日の朝食の下準備。


 最後に、洗濯物を干して、ワイシャツにアイロンをかけると、今日の家事はやっとオシマイ。


「ふう……」


 無意識に、また年寄りじみたため息をついていた。


 時刻はもう夜十一時近い。これから就寝までのわずかな時間が、俺の唯一の自由時間だ。


「さて、今晩は何をしようかな」


 やりこみ型RPGのレベル上げか、コミックスの一気読みか、90年代の音楽の世界にどっぷりつかるか。


 一日がんばった自分へのご褒美を、考えあぐねる俺の耳に、


「~~~~~~♪」


 昭和の名バラードをオルゴール調にした、着信音が届いた。


「うっ?!」


 通話してきた相手の名前を見て、俺は思わず尻込みする。


 しかし、着信拒否という選択をするわけにもいかない人物だ。


 俺は、通話ボタンを押すと、

「今日は本当に申し訳ありません」

 と、スマホに向かって、深々と首を垂れた。


「な、なんだい、藪から棒に」


 スピーカーから響いてきたのは、戸惑う様子の九谷さんの声である。


「あー、その。今日魔封士の修行をサボッてしまったことについて、お叱りを受けるものかと」

「そんなことはしない。それに花岡先生から呼び出しを受けていたんだろう。それが長引いたのであれば、致し方ない。魔封士としての活動も大事だが、あくまで学生の本文は学業なんだからな」


 一応、補足説明をしておこう。俺は、職員室に入る前に、『花岡に呼び出しを受けた。もしかしたら修行に行けないかも』、という内容のメールを、あらかじめ彼女に送っていたのだ。


「あ、いや、それでも……」

「ん?」

「その……、俺は他にも九谷さんに謝らなくちゃあいけないことがあって……」

「いったい何だ? 特に思い当たる節はないが」

「そ、それが……」


 俺は舌の先まで出かかった言葉を、再び腹の奥へと呑み込ませた。


(や、やっぱり、とても言えない)


 魔封士の存在のことを、クラスメイトの倉木志童に気付かれました。


 九谷さんのことから迷夢宮のことから、全て話してしまいました。


 あははは。


「……」


 黙読しただけで、首筋に汗をかくような内容である。


「あ、そうか、分かったぞ」


 九谷さんが楽しむような声を出す。


「へ?」

「あれだ。君は私たちの夕食を作れなかったことを、気にしているんだろう」

「あー……」


 再び補足説明をしておくと、料理が苦手な九谷さんのために、弟子として、毎日、俺が夕食を用意しているのだ。


「それは、えーと……、じ、実はそうなんだよ。俺がご飯を作らなかったから、またルシュフが文句を言ってるんじゃないかと思って」

「ははは。責任感の強い君らしいな」


 九谷さんが朗らかに笑う。


「心配することはないさ。私だって君ほどではないが、料理は人並み程度には作れる。今日だってそれなりのメニューを作ってみせ――」

「何が人並だ!」


 愛くるしい声が、いきなり俺たちの会話に割り込んできた。


「ル、ルシュフ?」

「天屋! どうして! どうして今日ご飯を作ってくれなかったんだ。修行ができなくても、最悪食事だけは作りに来てくれと、あれほど頼んでおいたのに」

「こら、天屋君に無理を言うんじゃない」

「言いたくもなるだろう。あんな料理を出されたら」


 ルシュフが全身の毛を逆立てて怒っているのが、声の調子だけで簡単に想像できる。


「く、九谷さん。ルシュフに何を食べさせたんだ?」

「私と同じものに決まってるだろう。今日は奮発して、あいつの好みのサーロインステーキを焼いたんだ。焼き方はウェルダン」

「なんだ。美味しそうじゃないか」


 俺が今晩食べた、大特価肉のから揚げより、よほど豪華なメニューだ。


「何がウェルダンだ。あれは消し炭というんだ」

「失敬なことを言うな。まあ、確かに、ちょっと火加減を間違えて、ちょっと焼きすぎてしまったのは認める」

「何が、ちょっとだ。肉を火にかけたことをすっかり忘れて、そのまま三十分放置した奴の言うことか!」

「こら、天屋君に余計なことを伝えるんじゃない」


 九谷さんのうろたえ声が、スピーカから響く。


「おまけに付け合わせのポテトは半生。スープはメタリックカラー。ご飯は水が多すぎて、ドロドロのお粥以下」

「あ、あれはあれで味があったろう」

「あれは人間や悪魔の食うものじゃない。あれを他の奴に食わせようものなら、殺人未遂で警察の捜査がはじまるぞ」

「そ、そこまで言うことはないじゃないか!」

「言われて当然のことを、お前はしたんだ」

「なんだと! このハリネズミめ」

「なに! この悪魔殺し」


 お互いに罵詈雑言をぶつけ合ういつもの展開が、俺の貴重な自由時間を浪費させていく。


 最終的には、

「ええい、あっちに行ってろ」

「ひゃあああ」

 毎度のごとく、ルシュフが寝室のベッドに放り投げられて、決着を見たようだ。


「と、とにかく、料理のことは気にしなくていい」

「は、はあ。で、でも、ルシュフも待ってくれているようだし、明日は必ず九谷さんの家に行くから」

「いや、明日も来なくていい」

「え?」

「今日はその件で電話をしたんだ。実は私に急な仕事が入ってな」


 白魔封士としての九谷さんは、白魔封士連合会、通称『白連』に所属している。


 その白連では、白魔封士一人一人に力量に見合った地区を任せて、迷夢宮の発生に対応するという仕組みをとっているとかどうとか。


 九谷さんの担当する地区は、ここ馬末町と、隣町の牛広市、そして、逆隣に位置する、緑豊かな瑠璃花町。


「瑠璃花町に迷夢宮が発生したらしいとの連絡が白連からあった。しかも、家出中の少女が一人、そこに迷い込んでしまったとか」

「お、大事じゃあないか」

「ああ。一刻も早い救助が求められる。私はこれから現場に急行して、そのまま救助活動にあたるつもりだ」

「こ、こんな時間から?」

「仕事だからな」


 九谷さんはこともなげに言う。


「救出活動は日をまたいでのものになるだろう。学校には病欠の旨を伝えておいてくれ。ではまた後日」

「ち、ちょっと、九谷さん」

「行くぞ、ルシュフ。さっさとベッドから起きろ」

「俺を投げ捨てたのは君――」


 スマホからの音声はここで途切れ、スピーカーからは、後はただ、ツーツーという話中音だけが流れた。


「ふう」


 あまりにも颯爽と会話を終えられたため、奇妙な余韻が、逆に俺の周りに漂う。


「……はあ」


 その中で俺は、空気より重たい、ため息をこぼした。


「まったく大したものだよ、九谷さんは」


 この一言の中には、彼女に対する尊敬の念と、自分を卑下する気持ちが、二つ込められている。


 学業に精を出して、魔封士としての修行に汗を流して、クラスのみんなが寝ている時間にも関わらず、危険な仕事をこなす。


(イヤになることはないのだろうか?)


 ちなみに俺は、時々、うんざりする。


 なんだって、同級生が部活や遊びに夢中になっている中、俺だけが家事全般をやらなければならないのか。


 どうしようもないのは分かっている。


 母親がいない家庭なんて、それこそザラにある。


 苦行じみた労働を強いられている父に、家事まで担当させるのは、あまりにも非人道的と感じる。


 だから、自分自身納得して、今の立場を甘んじているのは、間違いない。


 ただ、現状に適応できない自分が心のどこかにいて、時折無性に喚きちらしたくなることがあるんだ。


 半面、九谷さんからは、そういう自己憐憫を一切感じない。


 自分が他の人と比べてどうこうなんて微塵も思わず、心の底から、他人のために尽力している。


 もちろん、その純粋さは、良いことばかりではないのだろうが、少なくとも俺の目には、『強さと美しさ』に映った。


 そういえば、今日志童が、『世界一の美容法は美しいことを考えること』とか言っていたか。


「……くそ、嫌なことを思い出してしまったな」


 そんな太陽のような九谷さんを、欺いている自分の立場を、あらためて自覚してしまった。


「志童の奴、俺から聴いたネタを元におかしなことをはじめなければいいんだが……、ふふふふ」


 自分でつぶやきかけて、思わず笑ってしまった。


「そんなの無理に決まっているよな」


 あの倉木志童が、魔法、魔封士、迷夢宮、なんて極上の情報を仕入れて、黙ってしていられる訳がない。


(……それにしても)


 初代美月。


「あいつの情報を教えたことだけは、本当に失敗だったな」


 当然、本気の倉木志童に対して、情報を巧みに一部非公開にするなんて芸当は、俺にはできやしなかった。


 それでも、あの志童のリアクションを見てしまえば、後悔は否応なしに高まる。


『本当かい! 本当に、あの美月ちゃんが生きていたのかい』


 そのまま地べたにうずくまって、志童は、大泣きに泣きじゃくった。


「……まさかまだ片思いがつづいていたとは、夢にも思わなかった」


 余談だが、藤原有人のリアクションは、「ああ、絶対にまた、俺たちに迷惑をかけにくるんだ」、と種類の違う涙に暮れていた。


 そんなこんな、あれこれと思索を広げていたら、いつの間にか時計は夜11時を大きく回っている。


「しゃあない、寝るか」


 これ以上起きていると、早朝の家事に差しさわりが出る。


(九谷さん、どうか無事で)

(志童、おかしなことはしてくれるなよ)

(有人は、今回もなんの役にも立たなかった)


 様々な思案が混じりあうベッドの中。


 俺の意識はいつしかマーブル模様になり、やがて、自分が何を考えているのかも判然としなくなる。


「……ぐうう」


 睡眠欲を満たしかけの、最上の快感を、俺はおぼろな意識で堪能していた。


 ピンポンピンポンピンポンピンポン―――


 その幸福が突然、連続する電子音によって、切り裂かれた。


「うわっ……!」


 驚きのあまり、ベッドから落ちそうになる。


「な、なんだ?」


 どうやら、玄関のチャイムを、誰かが連続で鳴らしているようだ。


(こんな時間に? 酔っ払いか?)


 おっかないので、しばし静観を決め込むが、音が止む様子はない。


(ええい、クソ)


 どうも対応するしかなさそうである。


 パジャマ姿のまま、階段を駆け下りて、玄関に着いた。


 チャイムは未だ鳴り続けている。


 扉の覗き窓から、恐る恐る向こう側を見る。


「え!?」


 思いがけない人物の姿に、俺は、戸惑いを持って、玄関扉を開け放った。


「ああ、良星、良星」


 玄関に飛び込んできたのは、顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにした、藤原有人であった。


「助けてくれ。とんでもないことに、とんでもないことになってしまった」


 そう言った有人は、噛み合わない歯の音を、ガチガチと鳴らし続けた。


「お、落ち着けって、有人。一体何があった」


 頭の中で、無意識に、最悪をいくつか想定しながら、質問をする。


 そして、俺の想定をたやすく超えた言葉を、藤原有人は吐いた。


 ――志童が、三小の迷夢宮に迷い込んでしまった。


 一瞬、俺の時間と、地球の時間が、ズレたような錯覚に囚われた。


 俺にとって受難の一日だった今日。


 最後にして真の困難は、一日の終わりのこの時をもって、はじまりを迎えたのだった。

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