第16話 怪物たる由縁
わくわくとした表情で、俺の返事を待つ志童。
そんな親友に対して、俺のかけた言葉は、
「正直、俺には、お前が何を言っているのか、まるで分からない」
ルシュフ直伝の、『ダメ元で一回しらばっくれる』作戦であった。
「……」
志童の表情には、俺への失望がありありと浮かぶが、そんなことは気にしてられない。
『万が一、君が魔封士であることが露呈するようなことがあれば、言うまでもなく、相応のペナルティを覚悟してもらうぞ』
俺の脳裏には、ひと月前の九谷さんのおっかない顔が、ありありと浮かんでいた。
立場上、俺は、苦しい言い訳を続けるしかない。
「今、その定規をキャッチできたのはたまたまだ。火事場のクソ力という奴だ。俺の顔の変化に関しては、まるで心当たりがない。おそらくは単なるお前の見間違いだ。もしかしたら、また視力が落ちたのかもしれんぞ」
言いながら、指に挟んでいた定規を、志童に返却する。
「ふう」
ため息をつきながら、志童はそれを受け取った。
「まいったね。どうも。そういう時間の無駄を省くために、美術室でわざわざ塗料を塗ってきたんだけどなあ」
濡れティッシュで銀塗装を拭きとりながら、冷めた声を出す。
「ま、気にするなよ。誰にだって間違いはあるさ。サルだって木から落ちる。魚だって泳ぎを忘れるかもしれないぞ。は、ははは」
俺は、強引に話を切り上げようとする。
「君がそのつもりなら、仕方がない。僕も強い対応を取らざるを得ないな」
志童が目つきをきつくする。
「ど、どうするつもりだ?」
「もちろん、真実を推理させてもらう」
「す、推理!?」
もちろん、この倉木志童の行う推理は、学生の推理ごっこの枠に収まり切らない。
『おおい、おいおいおいおい』
志童の推理で、不倫の全てを詳らかにされ、涙腺が決壊した様に泣きつづける元担任が、俺の海馬でフラッシュバックした。
「ちなみに、有人?」
志童が、もう一人の友人に向き直る。
「な、なんだ?」
「一か月前の肝試し。あの一件で一番でおかしい点はなんだと思う?」
「おかしい点? いやいや。あの一件はおかしなことだらけだったろ。そもそも、なんで、無実の俺が、お巡りに説教されなきゃならないんだ。本当なら、クラスのキレイどころに『ワーキャー』しがみつかれているはずだったのに。クソ、あのブサポリめ。何が『公共物を無断で使用してはいかん』だ。まだ無断使用してないっていうの」
どうも、あの誤認注意について、有人の怒りはまだ尾を引いているようだ。
「そう、それだ!」
志童が、わが意を得たり、と目を輝かせた。
「へ?」
「今、君が言った、『無断使用』。それがあの一件の一番奇妙なポイントなんだ。正確を期すなら、あの一件の後に行われたことだけどね」
「……」
有人は、窓の外を見ながら、頭をかく。
「あー、志童。毎度のことだが、俺と良星の頭の具合に合わせて、分かりやすい説明をお願いしたい」
「お、俺も含まれるのかよ」
腹立たしい発言だが、残念ながら嘘が混じってはいなかった。
「難しいことなんて言ってないさ。肝試しの直後に行われた、三小の厳重な封鎖。僕はあれを、公的機関とは無関係の誰かによって、勝手に行われたものと見ている。そういう意味での『無断使用』だ」
「!」
俺の心臓が、弁の異常を疑わせるほどに、激しく拍動した。
「い、いやあ。それは考えすぎじゃあないのか?」
迷夢宮化した三小への人の出入りを防ぐため、九谷さんが手を回したと知っている俺は、懸命に誤魔化そうとする。
「良星の言う通りだぜ」
図らずも、有人が、俺に賛同してくれた。
「元々三小は、校舎全体が老朽化してたじゃあないか。それこそ、肝試しにピッタリなくらい。それにあの翌日の地方ニュースでも、『震度4で倒壊の恐れ』とか言ってたぞ」
「そ、そうそう」
「いやいや、二人とも。あれは建物の老朽化が原因で封鎖されたんじゃあないよ。それにしては、行動が迅速すぎる」
「まあ、鈍牛で知られた、うちの自治体にしては、けっこう行動が早かったよな。俺たちが注意された翌日の午前中には、もう立入禁止になってたし」
「それが、おかしいことなんだよ。老朽化が進んだ危険な建物に、以前から若者グループが出入りしていたんだろう」
「警察官はそう言ってたな」
「それが本当で、建物に倒壊の恐れがあったのなら、僕らの肝試しのはるか前に立入禁止の処置がされて当然じゃないか」
「ん? ……言われてみたら確かに。ちょっと妙だな」
「……」
まだ水位は危険水域にまで達していない。
それでも、俺は、自分への包囲が着々と進んでいることを、確かに感じ取っていた
「ちなみに、老朽化が原因でないのなら、お前は何が原因で封鎖が行われたんだと思ってるんだよ?」
「よほど三小の中に人目に触れさせたくないものがある。そう考えるのが自然だろう?」
「具体的には?」
好奇心を刺激されたようで、有人の瞳まで、熱を帯びだす。
「さあね、全然見当がつかないよ」
志童が、おどけたように、両手を持ち上げた。
「なんだい! らしくないぞ」
探求心に水を差された有人は不満げだが、俺は心の奥で安堵をかみしめる。
「可能性の幅が大きすぎるからね。具体的な推測が成り立つ限界を超えている」
志童は、「ただ、何の問題もない」と、知的で獰猛な笑みを浮かべた。
「分からないことは訊けばいいんだ。三小の封鎖に関わった当人にね。その人物を推理すること自体は、そう難しいことじゃあない」
志童に目をのぞき込まれると、ゾゾゾと、背筋に怖気が走った。
「でもよ、それって、よく考えるとおかしくはないか?」
「ん?」
「誰かが三小を封鎖させたとか言ってるけど、町の持ち物を勝手に立入禁止にしたら、それこそ役場が黙ってないだろう」
「そ、そうだ。有人の言う通りだよ」
溺れる者が藁にもすがるように、今の俺は有人にすがりつく。
「それはもちろんだ。三小の封鎖自体は町役場が行ったんだろう。ただ、それを『命令』した誰かがいると、俺はにらんでいる」
「……」
「ちなみに、『命令』じゃなくて、『お願い』の可能性もあるんじゃあないか?」
有人が自信なさげに訊く。
「鋭い! だけど今回は100%『命令』と決まってるんだよ」
「どうしてだ?」
「外部のマスコミにまで情報を流しているのが根拠だ。震度4で倒壊とかいうのは、役場の公式発表だろう」
「ああ、はいはい。役場の内部でちょこちょこ手回しするくらいなら、『お願い』されてもするけど、マスコミまで巻き込むなんてヤバいことは、『命令』でもされないとやらないか」
「そういうことだ。リスクが高すぎるね。最悪、関係した役人のクビが飛ぶ」
「……」
「じゃあ、ズバリ。お前は、どこのどいつが命令したと思ってるんだよ?」
阿吽の呼吸で、有人が訊き、志童が応える。
「そりゃ、決まり切ってる。封鎖のスピードを考えたら、命令があったのはその直前と見るべきだろう。したがって、その命令した人物も、命令を下すほんの直前に三小の内情を知ったんだ。つまり、封鎖前の最後に三小に入った人物こそが、命令者となる」
志童と有人の視線が、俺の顔の上で交差した。
「ここまでの推理はどう思うかな? 最後に三小に入った一人の君としては」
「正直、残念だな。がっかりしたよ」
俺が大げさに首を振るのを、「「?」」、二人はアホを見るみたいに見ていた。失敬な。
「お前たちは一つ大切なことを忘れているぞ。三小には、以前から、若者が不法侵入していたんだろう」
「あ!」と、有人が声を上げた。「そっか。それを忘れてたな」
「……」。志童はポカンとした顔で、俺をわずかに見上げている。
「もちろん俺と九谷さんも、容疑者の一人であることは認める。ただ、容疑者は俺たちだけじゃない。あの日、その謎の若者グループが三小内部に入り込んで、何かを目撃した恐れがある。その可能性を消さない内には、俺と九谷さんを犯人呼ばわりするのは止めてもらおうか」
「うーん。言われてみれば、確かにな」
有人が頭を抱えてしまう。
「……」
志童は未だなんの反応も返さない。
(か、勝った)
奇跡の逆転勝利。俺たち以外にも犯人の可能性を残せた。
(あの志童に知恵比べで一泡吹かせられた)
俺は、時と場合も忘れて、人生初の快感に酔いしれた。
「あの、良星」
志童がようやく口を開く。
「なんだい? 倉木君?」
俺は勝者の余裕を持って、鷹揚に応じる。
「その、非常に言いにくいんだけど……」
「ん?」
「その証明はもうすでに終わっているよね」
「「え?」」
俺と有人の声がハモる。この時の、俺たちの見つめ合った視線は、情報通信用レーザーさながらで、お互いに「?」の山を送りあう。
「だから、言ってるだろう!」
有人が怒鳴った。
「説明は、俺と良星にも分かりやすくだって。お前は俺たちの理解力をなめてるのか? 高校生に伝わるようにじゃダメなんだよ。中学生でもダメ。小学生レベルまで砕いて話せ。最悪、幼稚園児――」
「やめろ、有人。それ以上は言うんじゃない」
あまりにも、俺たちが惨めになる。
「まあ、僕の説明も若干分かりづらかったかな? 有人が『お願い』じゃなく『命令』と言ったくだりがあっただろう。あれで、不法侵入者の線は完全に消したつもりだったんだよ」
「「ど、どうしてそうなる?」」
「じゃ、逆に訊こう。不法侵入者と言ったらさ。君たちはどういう人物像を思い浮かべる?」
「そ、そりゃあ、……ヤンキー?」
「ホームレス?」
「物盗り?」
「暴走族?」
「今君たちが上げた人たちの中でだ。役場に『命令』して、言うことを聞かせられる人間がいると思うのかい」
「「あ!」」
ようやく、自分の理論の欠陥に気付かされた。
とはいえ、このまま素直に諦めるわけにもいかない。
「そ、そんなこと言ったら、俺と九谷さんにだって、『命令』は無理じゃないか」
「良星、もう一つ、ついでに質問したい」
「……」
俺の無言を、勝手にイエスと解釈して、志童が質問をはじめる。
「他人に『命令』するには一体何が必要になる」
「そりゃあ、……権力か?」
「そうだね。で、権力とは具体的には?」
「ええと、地位だろ、金だろ……、後はなんだ?」
「名誉ってのもあるかもよ」
「ああ、ありえそうだな」
地元の名士なんかの進言は、それなりに丁重に扱われそうである。
「大体、こんなところじゃね?」
「だな」俺は、改めて志童に視線を送る「お前は、俺と九谷さんがこのどれかを持っているとでも思うのか?」
「いいや、持ってないね」
「だ、だろう」
「ただ、君と有人は、一つだけ権力の具体例を忘れているよ」
「「?」」
「それは力だ」
志童が、細い指に小さな拳を形作らせる。「!」、その瞬間、俺は心臓をわしづかみにされる錯覚に陥った。
「僕らには及びもつかない類の力。そして、おそらくは説明不要なまでに分かりやすい力」
俺の頭の中は、当然、魔封士の『精』のことでいっぱいになっている。
「そ、そ、そ、それは、お前の思い付きだ。証拠がどこに――」
言いかけて、気づく。
(しまった。証拠は一番最初に……)
志童が、無言でスマホを取り出した。
画面を操作すると、俺が高速で定規をキャッチする動画が映し出される。
「……」
絶望的な気分から、俺の眼には、鮮明なカラーがモノクロ画像に見えた。
「なんだ、録画してたのか?」
有人が画面をのぞき込んだ。
「そりゃ、もちろん。後でしらばっくれられることも、一応は想定していた」
「それにしても、この時の良星の動きは尋常じゃなかったよな。スローでもはっきり捉えられてない」
「飛んでいる定規のスピードと比較して、大体三、四倍。推定時速300キロ以上で、腕を動かしたことになる」
「……」
「時速300キロか。……それってどのくらい凄いんだ?」
有人の質問に、志童は一つため息をついてから、
「腕を時速300キロで動かせるということは、単純に考えれば、時速300キロの球を投げられるピッチャーになれるということだ」
「む、無茶苦茶じゃん。そんなの人間業じゃない」
「……」
俺にはもう反論の気力もない。
「さて、良星」
死刑執行人が近づいてくる。
「改めて訊こう。この力は一体何なんだ? 九谷さんがこの力をバックボーンに町役場に影響力を行使したことはもう明白。一か月前に果たして何があったのか? 三小の中には何が隠されているのか? これから君は何をするつもりなのか?」
「……」
俺にはもはや、シラを切るという選択肢さえ残されてはいない。
敗北感に全身から力が脱け、身体を投げ出すように、俺は、木製の床に崩れ落ちた。
「おーい! もう誰も残ってないな!」
体育教師と思しき声が、校舎の内を木霊する。
そういえば、いつの間にか、部活上がりの生徒たちの姿すら見当たらなくなっていた。
「切るぞー!」
俺の絶望にそぐう様に、下校時間を過ぎた学校の灯りが、フッと夕闇にかき消えた。
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