第14話 最も非人道的な対人地雷

 職員室の前。


「はああ」


 出るのは重いため息ばかり。


 横スライド式の扉に、『この扉をくぐるもの、全ての希望を捨てよ』、と書き込みたがるという、新手の現実逃避を俺はしていた。


(しょうがない。ここで逃げたら、後でもっとひどい目に合うに決まってる)


 覚悟を決めて、悪霊の封じられた、門戸を開く。


「失礼します。花岡先生はいらっしゃるでしょうか?」


 職員室の中は、教師たちが、せわしなく動き回っていた。


 誰も、俺に気付いた様子はない。


「すみません。一Cの天屋です。担任の花岡先生に用事があって来ました」

「ん?」


 傍にいた、巨漢の体育教師が、俺に目を留める。


「花岡先生。生徒が来ていますよ」


 よく通る大きな声に、職員室の端にいた、初老の教師がこちらを見た。


 陰険極まる眼差しは、一日に二回、性犯罪者と勘違いされて職質を受けた、という伝説の眼である。


「で、では花岡先生。私はこれで」


 今年赴任したばかりだという若い女性教師が、ほっとした表情で、花岡の前から逃げ出す。


「ちっ」


 面白くなさそうに舌打ちをした花岡は、胸をそびやかしながら、自分の席に戻る。


 椅子に座ると、俺を睨むように見上げた。


「で、何の用だ? 天屋」


 女性との楽しい歓談を邪魔されたせいか、いつもにもまして、花岡の機嫌は悪い。


「そ、その。先生から呼び出しを受けて、職員室に伺った次第です」

「ん?」


 花岡が頭上に視線を這わせる。


「俺がお前を呼んだ? 何の話だ?」

「え? そ、そのように伺っていたんですが」

「何かの間違いじゃないのか? 記憶に無いぞ」

「で、でも宮嶋さんが、確かに」

「記憶に無いと言っているだろう!」


 バン、と花岡が机を叩く。


 電話をしていた隣席の男性教師が、痩躯を震わせ、花岡から離れていった。


「す、すみません。お、俺の勘違いだったかもしれません」


 学校とは、正しいものが勝つのではなく、強いものが勝つ空間。


 一生徒の俺には、ひたすら平身低頭するしか、選択できる手段がない。


「いいか、天屋!」花岡がもう一度、机を叩く。

「は、はい」


「そもそもお前は日ごろからミスが多すぎる。この間の国語のテストも大分ケアレスミスで点を落としていたな」

「は、はい。おっしゃる通りです」

「ミスの多い奴と言うのはな、『大舞台ではきちんとやります。本気を出せば大丈夫です』、なんてほざく奴が多いが、それはとんでもない勘違いだ」

「はい」


「常日頃がしっかりできない奴は、本番でだけ特別な力なんて出せるものか。分かっているのか!」

「はい。申し訳ありません」


 激しい叱咤を、顔を伏せて耐えること、十数分。


「ん? そう言えば……」


 花岡の瞳に、記憶を探るような気配が浮かぶ。


「この間のテストで何かお前に訊きたいことがあったような。……そうか。確かに宮嶋の奴に頼んでいたな」

「や、やっぱりそうですよね」


 伝聞証拠しかないため、強く主張できなかったが、宮嶋さんがつまらぬミスをするわけもない。


 やっと、この無意味な時間が終わった。


「まったく。それならそうと、なんで早く言わない」

「は、ははは」と、ひきつり笑いをこぼす。


「……今、なんで笑った?」

「え?」


 机がまた激しく揺れた。


「俺は怒っているんだぞ。どうして、そんな大事な話を、なぜ最初にしなかったのかと!」

(ええええ?)


 い、一番最初に言ったじゃないですか。


「光陰矢のごとし、というだろうが。お前がきちんと報連相をできなかったせいで、俺の貴重な時間がどれだけ失われたか」


 花岡は、この十数分の損失について、倍以上の時間をかけて、ネチネチと責め立

てる。


 もちろん、俺に本末転倒と言う熟語を使う権利はない。


(ああ、帰りたい)


 ごく当たり前の人物なら、会って五秒で本題に入れるのに、意味不明の前置きで、すでに授業一コマ分を要していた。


(さすがは、花岡……)


 理解不能な起爆スイッチ、理不尽極まる爆発強度、意味不明な爆破エリア。

誰が呼んだか、『最も非人道的な対人地雷』。


(その異名は伊達じゃない)


 俺はそれを、改めて痛感していた。


「それで、要件なんだが――」


 やっと、やっと、話が、本日の主題に入ってくれた。


「――倉木の奴、この間のテストで、何かおかしなことをやったんじゃないのか?」


 疑心暗鬼を丸出しの顔で、花岡が訊く。


「先生。倉木君が、テストに関して、何か不正をしたということは、絶対にありえません」

「どうしてそう言い切れる」

「する必要がないからです」


 俺は横目で、机上の資料を見た。


「彼は、中学校においても、テストと名のつくもので、これ以外の順位を取ったことはありませんから」

「……にわかには信じがたいな」


 この時、俺と花岡が見ていたのは、定期テストの上位者リストであった。


 リストの最上段には、『1位 倉木志童』と、明確に示されている。


「しかしだ。一位だけならまだしも、全教科満点だぞ。さすがにおかしいだろう?」

「倉木君の中学時代を知っている人なら、まったく不思議がらないと思います」


 問題製作者が全問正解を想定していないような、意地悪な試験でも、必ず文句のつけようのない解答を、あいつは示してきた。


「まあ……、確かに入学試験の成績はずば抜けていたがな。中学校の担任が書いた資料にも、成績優秀なことはイヤと言うほど書かれていたよ。ただ……」


 花岡が、首を傾げる。


「どうかしましたか?」

「その中学校の担任の書いた資料なんだが……」


 俺は、志童に散々な目に合わされた、哀れな元担任を思い出しながら、耳を傾ける。


「とにかく倉木の奴には注意しろと書いてあるんだ。くどいほどに、あいつの危険性を強調している。それでいて、具体的なことには一切記述がない」


「ああ……」


 あの元担任の立場としては、詳細を述べることはできなかっただろう。


 代わりに、俺がその内容を代弁する。


 倉木志童という男の、常軌を逸した天才ぶりを。


 学校のテストで一位を取ったなんて、あいつを語る上では、序の口である。


 そこから、序二段、十両、幕下、と内容をエスカレートさせていく。


 ちなみに、幕内上位の内容は、以下のようなものだ。


 町の警察がさじを投げた事件を解決したエピソード。


 大学教授の書いた論文の欠陥を、一目で論破したエピソード。


 元担任のネクタイのローテーションの変化から、不倫の事実と、その相手から逢瀬の場所まで明らかにしたエピソード。


 ギシリ。


 花岡が、背もたれに、より深く体重を預ける。


「熱弁してくれたところすまないが……」

「はい」

「お前、マンガの読みすぎじゃあないのか」


 花岡のリアクションは、正直言って、予想の範ちゅうであった。


 倉木志童の天才性について、毎年熱弁をふるうのだが、温かい反応をいただいたことはない。


(しかし、まあそんなものだろうな)


 俺の前に、突然、中東の激戦区にいた少年が現れて、悲惨な現実を語ってくれたとしたら、それが真実だと分かっていても、日本人には現実味に欠ける。


「大体、仮にそれが本当だとしても、それは別に危険ということにはならんだろう」

「それはまあ、そうかもしれませんが……」


 この部分についてが、志童を語るうえで最も難しいところなのだ。


 頭のよい人間。


 これは言うまでもなく有益な存在である。


 その人自身が幸福なのは言うまでもなく、周囲にも、幸せのおすそ分けをくれる。


 ただし、頭の良さが一定の度を越えると、様相は一変する。


 優れすぎた知性は、本人を不幸にするのみならず、知人友人、ひいては社会全体に、災難をまき散らす可能性があるのだ。


 理由は、凡人の俺には想像もつかない。


 ただ、頭の良すぎる人間を、鋭利な刃物に例えたのは、正に秀逸だと思うのだ。


 包丁は便利極まる道具だが、扱いを間違えば、大量出血を招く。


 俺の脳裏には、志童に一刀両断された、哀れな面々が想起されていた。


 面子をつぶされた刑事、プライドを破壊された大学教授、不倫を公開された元担任。


「その倉木君の最も危険な状態が、好奇心に突き動かされた状態です」


 正直言って、致死性の神経毒が塗られたナイフと思っていい。


「下手に倉木君に干渉しないことです。何かのきっかけで強い興味を持たれるようなことがあったら、取り返しのつかないことになりますよ」


 俺なりに言葉を尽くしたつもりだったが、


「うーん……」


 やはり、花岡の理解は得られなかった。


 ただし、一定の譲歩を引き出すことには成功する。


「とりあえず、倉木が不正をしていないのは本当そうだな。であれば、テストでいい点数を取ってくれる生徒に、余計な干渉をする気はない。特に、全国統一高校テストで好成績をおさめてくれるんであれば、多少の素行不良は目をつむったって構いやしない」


 花岡の発言は、正直すぎて、教師としては問題だが、

(そのようにしてくれた方が、こっちとしても面倒が少ない)

と、余計な反論はしなかった。


「しかし、倉木も、ある意味では大した奴だな」


 花岡の背もたれが、またきしむ音を立てる。


「何がですか?」

「あいつは授業中ずっと寝ているだろう。テストで高得点を取れているということは、あの状態でも、講義をきちんと聞いているわけだ。俺の若いころは睡眠学習という奴が少し流行ったが、本当にできる奴を見たのははじめてだよ。ははは」

「あ、いえ。それは誤解です」

「ん?」

「倉木君は、講義はまったく聞いていません」


 高校の教科書程度の内容なら、あいつは軽く一度目を通しただけで、全部理解できてしまう。見ただけで、より高度な応用まで思いつくのだというから、授業を聴いてもちんぷんかんぷんな俺としては、立場がない。


「何!? それはどういう意味だ!」


 花岡が、いきなり立ち上がって、机に平手を叩きつけた。


 乱雑に積まれていた書類が、雪崩となって崩れる。


 職員室は静寂に包まれ、花岡の荷重を失った背もたれだけが、キイキイ鳴く。


「え? え??」

「授業を聴かなくても勉強ができるだと! あいつは一体何様のつもりだ。俺たち教員が、丹精込めて準備をし、誠心誠意板書し、夜を徹して宿題を確認する。そんな我々の真心をこもった授業を愚弄するのか!」


 花岡が、本日最大の怒りをもって、俺に相対していた。


「いや、先生。誤解です。お、俺にそんなつもりは……」


 俺が何を言おうが、火のついた花岡を、押しとどめられるわけもない。


「お前がそんな了見だとは知らなかった。その腐り切った性根を、今日という今日は叩きのめしてやるぞ」

(い、いや、先生の怒っているのは、志童に対してなんですよね)


 くどいようだが、学校とは道理の通じない世界。


 心身はおろか、魂まで目減りするような凄まじい叱咤が、職員室を長くに渡って震わせるのだった。

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