第13話 戻ってきた日常?

 六月。


 昨年にひきつづいての空梅雨は、はじまりもよく分からないうちに、今朝の天気予報で終わりを告げられた。


 古びた校舎。1‐3の教室。ざわめく放課後。いつもの日常。


「むむむ」


 俺は、一枚の紙切れを凝視していた。


 高校生になって初の定期テストの結果発表。


 順位欄には目を背けたくなるような、大きな番号が載り、反対に、合計点数欄の数値はあまりにも足りなすぎた。


「見なかったことにしよう」


 すばやく現実逃避を決め込むと、紙を丸めて机の中に突っ込んだ。


「よう、良星。何か面白い噂話はないか?」


 俺同様、早々に現実から逃げだしたであろう有人が、隣の席に勝手に陣取る。


「噂ねえ。特に気になるような話はないけど……」


 頭の中で検索活動をしていた俺は、ある情報がヒットすると、

「あ、そうだ。むしろこっちが聞きたいことがある」

 と、話を切り返した。


「杉下君の話はどうなったんだ?」


 ここ数日、優等生の杉下君が、校外のヤンキーに金品を巻き上げられているという、ただならぬ情報を、有人がクラスで広げていたのだ。


「ああ、すまん。あれは間違いだった」


 有人はいともたやすく笑った。


「どうも、そのヤンキーと言うのは、杉下君の従妹で、杉下君が誕生祝いをプレゼントしていただけ、というのが真相らしい。まったく紛らわしいよな」

「……ち、ちなみに、先週の噂はどうした?」


 いやな予感に全身を貫かれながら、別の話の続報も訊ねる。


「先週?」


「あれだよ。柔道部の長浜先輩がゲイで、夜の部室に後輩を無理矢理連れ込んでいるという、とんでもない話だ」

「すまん。それも誤報だった。後輩想いの長浜先輩が、単に練習熱心な部員の居残りに付き合っていただけだったとか。まったく」


 虚脱感に包まれながらも、俺はさらに質問を重ねる。


「……それじゃあ、あれは? 化学の山本が、他校の生徒とホテルに入るのを見たとかいうのは?」

「その件は、山本が近くの半グレに襲われかけた女子高生を、身を挺して助けたというのが、本当のことらしい。その際名誉の負傷をして、やむなく近くのホテルで応急手当をしたとか」


 有人は、何一つ悪びれることのない声で、

「山本先生は、この一件で、警察から表彰されることが決まったらしいぞ。いやあ、俺たちは素晴らしい先生から授業を受けられて幸せだなあ。はっはっは」


 たまりきらず、俺は、ゲンコツを縦にして、机を思い切り叩いた。


 周囲がその音に一瞬静まり返るが、「なんだ、天屋と藤原か」、音源が俺たちだと分かると、すぐに興味を失う。


「堂々と言うんじゃない! 君が発信した噂は、全部デマカセじゃないか。しかも悪意に満ち満ちたウソだ」


「そ、そう怒るなよ。俺だって困ってるんだよ。デマの被害者たちから、『俺たちに恨みでもあるのか!』と、詰め寄られたりしてさ」

「そりゃあ当たり前だよ。ぶん殴られなかっただけ幸運だ」

「それはそうなんだけどね。ただ、ここ数日誤情報を流しまくったせいで、俺のクラス内の信頼が急降下している。由々しき事態だ」

「100%自業自得だろ」

「このままじゃ俺の立場がない。ここらで一つ大きなネタをつかんで名誉挽回をしたいんだよ」


 有人は、ぐいと俺に顔を近づけて、

「そういうわけで、ちょっと取材活動をさせてはくれないか?」


「お断りだ。第一、俺には面白いネタなんて一つもありやしない」


 俺の平々凡々ぶりは、小学一年生からずっと一緒のお前が、一番よく知っているだろう。


「それはどうかな?」


 有人は、意味ありげに頬を持ち上げる。


「お前、最近、九谷さんとやけに親し気じゃあないか」

「あ、ああ。その件か」


 内心、ドキリとしながらも、その心情は一切、面に出さないよう努める。


「ひと月前の肝試し。あれがきっかけで秘密の交際をはじめた、と俺は睨んでいるんだが」

「残念。見当違いだよ。まあ、あの一件で少し雑談を交わすくらいには親しくなったけど」


 表情も、声のトーンも、完全にコントロールしながら、話しつづける。


 魔法だとか、魔封士とか、迷夢宮とか、初代美月とか。


 とてもじゃないが、この人間スピーカーには聞かせられない。


「うーん、本当か? お前はよく俺たちを騙すからなあ」

「人聞きの悪いことを言わないでくれ! 俺と志童を、お前がデマ情報で躍らせるのが、いつものことだろうが」


 俺は、同意を得ようと、後ろの席の志童を振り返って、

「あれ?」

 目を丸くする羽目になってしまった。


「志童はどこだ?」


 最近はクラスの置物として定着しつつある、安眠少年の姿が無い。


「どうせ、トイレだろう。あいつは、昼食と用を足す以外は、一切席を立たないから」


 ひどい言いようだが、有人にしては珍しく真実を語っている。


「ナマケモノの方がまだ勤勉だよ。ま、志童も昔はああじゃなかったんだけどな。あんな風に無気力になってしまったのは、美月が死んでからか?」


 ドキリ、という心音が、有人に聞きつけられないか、本気で心配した。


「ん? どうした? 変な顔して」

「そ、それよりもだ。一か月前の肝試し。お前たちも大変だったんだって」

「それだよ。それ!」


 うんざりした様子で、有人が話し出す。


「お前らが三小の校舎に入ったと思ったらさ。急に警察官が二人、俺たちの傍にやってきたんだ。『最近、校舎を無断使用している若者の情報が寄せられている』とか、どうとか」


 あのおかしな暴走族だ。


 ちなみに、チーム名はもう覚えていない。


「いきなり近くの交番に連れていかれてだ。住所氏名を訊かれて、学生証も提出させられて、全員親にまで電話された。完全な犯人扱い。ああ、思い出しても腹立たしい」


 憤慨する有人を見ながら、

(お前は、それがどれだけの幸運だったか分かっていないのさ)

 と、心の奥でつぶやいた。


 もし、あのまま肝試しを続行していたら、『2』のくじを引いていた有人は、それこそ高確率で帰らぬ人になっていただろう。


「ちょっといい?」


 華のある声が、俺と有人の間に、割って入った。


「なんだ。宮嶋か。珍し……くはないな。最近は」

「そうね。近頃はよく話すわね」


 クラスの中心人物の一人である宮嶋圭は、この頃は、妙に有人と親しげである。


「またおかしな噂を広げてるんじゃないでしょうね? 大変だったのよ、有人君をとっちめようとする人たちをなだめるのに」

「ああ、どうりで。今回は、みんなのアクションが大人しかったわけだ。感謝感謝」


 有人は、宮嶋さんを、観音様に対するように拝んだ。


「まったく調子がいいわね」


 言いつつも、宮嶋さんはまんざら悪い気分でもなさそうだった。


「ところで、有人君のブレスレット。~~の限定品じゃないの? 日本だと販売の予定はないと聞いていたけど」

「ああ、これね。フランスにいる親戚に送ってもらったんだよ。代わりに、日本限定の品をあれこれ送り返す羽目になったけどな」

「写真で見るよりいいデザインね。~~~~~~~~」

「だろう。俺も~~~~~~~~~~~~~」

「~~~~~~~~」

「~~~~~~~~」


 いかん。二人が宇宙語で会話をはじめた。


 私服にかける金額を、一着千五百円までと決めている俺には、オシャレさんたちの会話は、日本語とは思えない。


「~~~~~~」

「~~~~~~」


 俺は、必死に微笑を張り付け、タイミングよく相槌を打ち、どうにか会話に参加している体を装う。


「ところで、俺に何か用事があったんじゃ?」

 と、久しぶりの日本語を話す、有人。


「ああ、いけない。実は花岡から伝言が預かっているのよ。放課後、職員室にくるようにって」


 花岡。その固有名詞に、悪しき言霊が宿っていたかのように、俺たちの間には重苦しい空気が流れる。


「マジか? ああ、マジでか!?」


 有人は、頭を抱えて、机に突っ伏してしまった。


「何だ? 俺には何の心当たりも無いぞ」

「定期テストの結果の件じゃないのか?」


 俺も人のことは言えないが、有人は、それに輪をかけてヒドかったはずである。


「……その可能性はなくはないな。まいったなあ。それ、どうにかならないかなあ」


 救いを求めるように、有人が、俺を見上げた。


「俺に、どうにかできるはずがないだろう」


 担任の呼び出しに、一生徒が介入できるわけもない。


「できるわよ」


 宮嶋さんが、事もなげに言った。


「「え!?」」

「花岡は、有人君か天屋君なら、どちらでもいいと言っていたから」

「ち、ちょっとそれはおかしいって」


 非武装地帯にいたはずが、突然流れ弾を浴びて、俺は動揺を隠せない。


「詳しく。詳しく聞かせてくれ」


 反対に、自分が助かる可能性が出てきた有人は、身を乗り出して、詳細をせがむ。


「わ、私も詳しくは知らないのよ。なんでも、花岡は、本当は倉木君に用があったみたい」

「「志童?」」

「ただ、本人に直に確認はできないから、親しいどちらかに来てほしいって。なんか、テストがどうこうとは言ってたけど」

「良星」

「有人」

「「あれだ!!」」


 俺たちは、互いに互いの顔を指さす。


「な、何よ二人だけで分かり合っちゃって」


 倉木志道の、その年初回の定期テスト直後、といえばあの定例行事しかない。


「長雨と関連付けて記憶していたからなあ。今年はまるで思い出せなかった」

「しかし、まいったぞ。普通の担任でも大変なのに、今年はよりによって花岡ときている」


 俺と有人は、身をよじらせて、よりよい解法を求める。


 世間では、これを無駄な努力というのだろう。


 足りない頭を絞り上げたところで、目新しい結論なんて出てくるわけがない。


 結局最後は、『面倒な案件は、自分以外の奴に任せる』という、単純明快な答えにたどり着いた。


「有人!」

「良星!」


 俺たちが、腰をひねって、大きく拳を引きあう。


「じゃんけんぽん! あいこでしょ! しょ! しょ! しょ!!!」


 最終的に、俺の手にはチョキ。有人の手の形はグー。


「うおおおお」


 勝者は、机の上に足をかけて、拳を天に突きあげる。


「ぐわああ」


 敗者たる俺は、椅子から転げ落ちて、地べたで身を縮めた。


「……ねえ、いいかげんに事情を説明してくれないかしら?」


 状況から取り残された宮嶋さんは、戸惑いを通り越して、少しいらだった声を上げていた。

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