第12話 本当のはじまり
(く、九谷さんと美月は?)
周囲を素早く見渡す。
俺の周りには、珍妙なポーズのまま失神している暴走族たち。そして、
「く、九谷さん」
俺たちから少し離れた部屋の角に、くつろいだ立ち姿の九谷さんがいた。
「お、目を覚ましたか」
彼女は、もたれていた背中を、石壁から離す。
「お、俺は一体どのくらい失神してたんですか?」
「心配するな。言うほどの時間じゃない。十分、いや、十五分くらいか?」
(ふ、ふう。それだけか)
重要なのは肝心な時に失神した事実であって、その時間は、小事でしかない。
それでも、数時間と告げられるよりは、十数分と言われた方が、恥の感じ方は少なくて済む。
五十歩と百歩は、当人たちにとっては、大きな違いなんだ。
「あれ? ところで美月は?」
部屋中を見渡しても、彼女の姿が見当たらない。
「む」
俺があいつの名前を出すと、なぜか、目に見えて九谷さんの機嫌を損ねた。
「初代はアリエッタを迎えに行った」
「アリエッタ?」
美月がたびたび口にしていた名称である。
「あいつの仲間ですか? 外国の人?」
「……まあ、日本人でないのは確かだな。それよりも、天屋君」
「はい?」
「君と初代美月は、いったいどのような関係なのだ?」
業務的な質問にしては、若干熱がこもっている気がしたが、
「ああ、それは……」
特段隠すことでもないので、俺は素直に応えた。
「……なるほどな。家が近所の幼馴染か。物心つく前から共に過ごし、幼稚園も小学校も同じ。さらにはクラスまでいつも一緒。これはとんでもないことだぞ」
どういうわけか、九谷さんは、この事実を非常に問題視しているようだった。
「というか、初代の奴は、子供の頃から、ああいう奴だったのか。てっきり力を得たことで性格が歪んだタイプと思っていたんだが」
「いえ。魔封士になったことで迷惑度がスケールアップしていますが、魔法を覚える前後で、人間的に特に変わりはないです」
「はあ。『黒紅の暴君』の異名は、伊達ではないということか」
「な、なんですか、そのカッコいいあだ名は」
一般的には、中二センスかもしれないが、俺の好みにどストライクである。
「初代の二つ名だ。目立つ魔封士には、周囲が勝手に通り名をつけるんだよ。迷惑な風習だ」
「へええ、カッコよくていいですね」
「……そうか?」
「ちなみに、九谷さんには何か仇名があるんですか?」
「ぐっ……」
九谷さんの顔が強張る。
(あ、地雷を踏んだ)と、俺は即座に悟った。
「ええと、まあ、その何と言うか……」
途端に、歯切れの悪くなる九谷さん。
しかし、俺は何も心配していなかった。
自分で言うのもなんだが、俺は空気がなかなか読めない。
それだけに、地雷を頻繁に踏んでは、クラスにおける社会的信用を落としてきた。
その経験が、俺に、地雷を踏んだ後の、リカバリ術を習得させたのだ。
「ああ、すみません。九谷さんは、美月みたいに悪目立ちする方じゃないですからね。仇名がなくても不思議はないです」
パアッ、と九谷さんの表情が輝く。
「そうだ。そうなんだよ。私は魔封士としてまだまだ未熟でね。通り名をつけてもらえるほどの活躍をしていないんだ。あはは」
「はははは」
こうして、今回も、足の横に置いた重しをスライドさせるように、無事地雷除去に成功した。
はずだった。
「はん、何が『通り名が無い』だ」
よりにもよってこのタイミングで、石壁の残骸をまたいで、美月が戻って来る。
空気が読めないのではなく、読む気のない少女。
「お前が未熟だと? 活躍をしていないだと? 冗談は面だけにしろ! お前の八面六臂の活躍で、どれだけの黒魔封士が杖を折ったか」
美月は、九谷さんをせせら笑いながら、「なあ、白金の
「デ、デストロイヤー?!」
「ち、違う、天屋君。初代の奴は何か勘違いをしているんだ」
九谷さんはしどろもどろになって、
「初代はそうだ。昨夜、夕食にきのこ鍋を食べたんだ。業者がきちんとチェックしたはずだったのに、なぜか幻覚キノコが紛れていて、その症状が今頃出てきた。……こ、こういうのはどうだろうか?」
「く、九谷さん。それは流石に……」
腰巾着になるにも難度が高すぎる。
「だ、だよな」
九谷さんがうなだれた。
「何がキノコ鍋だ。訳のわからなことを言いやがって。この白金のバーサーカーめ」
「バーサーカーじゃない。白金のデストロイヤーだ」
(いや、デストロイヤー部分を認めちゃダメでしょ)
もちろん、実際に口に出してツッコむ勇気はない。
「と、ところで、アリエッタ……さんはどこだい? 見つからなかったのか?」
この話題をつづけるのは賢明ではないと、早めに危険の芽をつむ。
「何を言う。アリエッタならここに……、あれ?」
自分の後ろに誰もいないことに、美月が驚く。
「おい、アリエッタ。どこにいる? アリエッタ?」
「む!」
九谷さんの視線が鋭く動いた。
その先で何かが蠢く。
「な、なんだ?」
何かが石の間にいる。
それは、高速で、光の尾を引きながら、不規則運動をくりかえしていた。
「こら、アリエッタ、どうしたんだ」
光る何かが、素早く美月の背後に隠れた。
その生き物は、そろそろと頭を出しては、引っ込め、また頭を出して、俺を見る。
「し、知らない人間がいる」
怯えた少女の声を、その光る生き物は出した。
「し、しゃべる蛇?」
「し、失礼なことは言わないでください。私は、アリエッタは、誇り高い悪魔なんです」
弱弱しい声でそう言うと、また美月の背後に引っ込む。
「大丈夫だ、アリエッタ。この人間は怖い奴じゃない。むしろお前に負けないくらい臆病な人間だ」
「そ、それはいくらなんでも失礼じゃないか」
今日どれだけ勇気を見せつけたと思っているのか。
アリエッタとかいう生き物が、そろそろと美月の陰から出てきた。
「今、悪魔って言ったけど、ルシュフと同じあの悪魔?」
「他に悪魔はいないだろう。私にとってのルシュフと同様に、初代美月にとってのパートナーがあのアリエッタだ」
俺はまじまじとアリエッタを凝視した。
「ひやっ!」
俺の視線に、アリエッタがまた美月の後ろに隠れてしまう。
「戦闘能力は文句なしなんだがな。とにかく臆病な奴でね」
美月が苦笑しながら頭を撫でてやる。
「きれいな悪魔だなあ」
スタイルこそ蛇とそう変わらないが、全身を真珠色のウロコで覆い、目はエメラルドグリーンに輝く。
天女の帯のように、長い背ビレを躍らせながら、空中を泳ぐ姿は、優雅の一言である。
「あ、あの、あんまり褒めないでください」
美月の背中越しに、アリエッタが、顔を真っ赤に湯だたせているのが見える。
「ああ、そうだ。こいつもついでに見つけたんだ。返しておくぞ」
美月が、ポケットの中から取り出した何かを、無造作に、九谷さんに投げた。
「ル、ルシュフ」
全身濡れネズミの悪魔が、白目をむいたまま、九谷さんの手の上に乗っかった。
「だ、大丈夫なのか?」
これほどの醜態を見せても、その愛くるしさには、何一つ陰りがない。
そういう意味で、「よかった、無事なようだな」と、俺は安堵する。
「ぶ、無事なわけがないだろう!」
目を黒くしたルシュフが、ふらふらと身を起こす。
「くそ、アリエッタ。よくもやってくれたな」
「で、でも、ルシュちゃんが意地悪を言うから」
「ルシュちゃんはやめろ。いくら幼馴染と言っても!」
「お、幼馴染?」
「そうだ。アリエッタとルシュフは、幼少期を共に過ごした間柄だ」
九谷さんが、隣で解説してくれる。
「まあ、幼馴染と言っても、境遇はまるで別物だ。アリエッタは良家の子女。ハリネズミは貧乏人の子せがれ。まるで、私たちみたいだな。はっはっは」
美月が一人で笑う。
「何を馬鹿なことを。俺たちは、どっちも貧乏人の子せがれだったろうが」
「あれ? 知らなかったのか? 私の生き別れの父は、戦後、没落した華族の末裔でね。つまり私は由緒正しい、良血のお嬢様と言うわけだ」
美月はまた、「ははは」、と笑った。
「ふん。お前の家系図には、農民と山賊しかいなかっただろうが」
昔、『自分のルーツを探る』という小学校の課外授業で、それは発覚したのだった。
「その話を持ち出すな。全くリョウは陰湿な奴だよ。人の恥をいつまでも覚えて、それを笑いの種にする」
「俺は本当のことを言っただけじゃないか。お前こそ、その虚言壁を早く治療しろ」
「なんだと、貴様!」
俺と美月の口喧嘩と平行して、
「ルシュちゃんはいつもそう。私に意地悪してばっかりで」
「意地悪をしたんじゃない。俺たちはお前が番をしていた、あの隠し通路を探していたんだ。そこを君が通せんぼしていたら、そりゃ揉めるだろうが」
もう一組の幼馴染の方もヒートアップしている。
「むむむ」
組分けにあぶれた九谷さんは、どこか寂し気に、首を右往左往させる。
「だからって、あんな言い方はないと思う。私のことを泣き虫とか意気地なしとか」
「本当のことだろ」
「泣き虫じゃないもの。もうそれは治ったもん」
「治ってなかっただろう。だから、俺は死にかけたんだ。この悪魔殺しめ」
「う、ひ、ひどい。そこまで言わなくたって……」
ひっくひっく、とアリエッタがえづきだす。
「し、仕方がないだろう。ほ、本当のことだし」
ルシュフは言い過ぎに気づいたが、今更、言葉の矛をうまく納められない感じだった。
「ル、ルシュちゃんは、私のことが嫌いになったの?」
「な、何をいきなり!」
ルシュフが、愛らしくも、激しくうろたえる。
「きっとそうなんだ。私のことなんて、もうどうでもよくなったんだ」
アリエッタの目に、大粒の涙がにじむ。
「おい、初代! まずい!」
「ん?」
俺と口論を続けていた美月が、アリエッタの様子に気付き。「ゲッ」、声を裏返らせた。
「な、何をバカなことを言ってるんだ。そもそも俺とお前は、そんな関係じゃあないだろう」
「ひ、ひっぐ!」
アリエッタの瞳を潤ませていた涙滴が、こらえきれずに、ついに地面に零れた。
地面に弾かれた一雫は、極小の王冠を、一瞬形作る。
直後、その王冠が、驚くべき速度で膨らみだす。
「え?!」
瞬く間に、石床が大量の水に覆い隠される。
水は、俺の混乱をよそに、さらに膨張をつづける。
水位は上がりつづけ、瞬く間に天井に達する。
「むぐぐぐぐ」
突然のことで、肺に空気をため込む暇もなく、酸素不足から目がチカチカしだした。
俺たちにとって不幸中の幸いは、この石の間が、度重なる破壊によって、破れた風船みたいな状態だったことである。
たまった水は、風呂場の栓を百本まとめて抜いたような音を立てて、床の亀裂に吸い込まれていく。
「い、い、い、今のは?!」
ずぶ濡れの身体を震わせながら、誰か分かる奴に訊く。
「アリエッタの能力、というよりは体質か?」
そう応えてくれる九谷さんも、長髪がワカメみたいに、顔に張り付いていた。
アリエッタは水を司る大悪魔の娘であり、彼女の全身を流れる水は、人間界の水の何百倍もの密度を持つという。
「も、もしかして、さっきの大津波は」
「おそらくは、ルシュフと口論したアリエッタが、大泣きをした結果だろう」
「俺の所為じゃない。アリエッタが悪いんだ」
全身の水を、身体を震わせて払いながら、ルシュフが弁明する。
「ものには言い方ってものがあるだろう」
「なんでいつも、アリエッタが泣いたら、俺の共同責任にされるんだよ、納得がいかん」
「うう、ひっく」
「ほら、大丈夫、大丈夫。あのハリネズミだって、お前のことを嫌ってるわけじゃないぞ。ほらほら、笑顔になって」
美月は、身なりを整えるのも後回しに、アリエッタを懸命にあやしている。
「うう、うぐ、……ぐすん」
アリエッタはどうにか涙を引っ込めてくれた。
「「「ふうう」」」
全員が安堵の息をこぼした。
「それで、貴様、これからどうするつもりだ?」
九谷さんのこの発言で、話がようやく、今日の本題に入る。
対立関係にあるらしい白魔封士と黒魔封士。
この二人が、迷夢宮で出会った以上は、おしゃべりをして解散、とはならないだろう。
「もちろん、あの連中を先に見つけたのは私だから、私が責任をもって外まで送り届けるのが筋だ」
水責めにあって、意識を取り戻しそうな、暴走族たちを、美月はアゴでしゃくる。
「その点については異議はない。ただし、遭難者からの金品の授受は認められない。これは魔封士全体のモラルに関することだ」
「モラル。はは」
美月が鼻で笑った。
「私にモラルを説くとはな。ガンジーに機関銃を渡すようなものだぞ」
美月の比喩は斬新すぎて分かりづらかった。
「白金の
「……その名で呼ぶなと警告はしたぞ。繰り返しな」
九谷さんが、怖い顔で、拳を握る。
余裕のにやけ面で応える美月だったが、突然表情を曇らせて、
「しかし、しかしだ。今日は色々なことがありすぎた。正直言って、楽しく戦えるようなテンションでは、もう無い」
美月は、ちらりと俺に目線を送る。
「私とて、無駄に力は行使せずにすめば、それに越したことはない」
そう言うと、九谷さんは、握り拳を静かにほどいた。
「帰るぞ、アリエッタ」
「え、でも、あの人たちは譲っちゃうの?」
「どうせ、あいつらに支払い能力は無いさ。九谷の奴にくれてやる」
「でも、お金がないと、美月ちゃんが困るんじゃ? お母さんの――」
「アリエッタ!!」
美月が、らしからぬ怒声で、美麗な悪魔の言葉を遮った。
「ご、ごめんなさい。美月ちゃん」
うなだれてしまったアリエッタは、後は、美月の後を無言でついていくばかりだ。
遠ざかっていく美月は、俺など一瞥する様子もない。
「ち、ちょっと待ってくれ」
取り残されかけた俺は、走りながら、自分の携帯電話を操作する。
「ほら、俺の電話番号だ。アドレスもある。いつでも連絡をして――」
美月が、自分の目の前に差し出された液晶を、手の甲で押し返す。
「み、美月?」
「リョウ。はっきり言っておこう。今日は縁があって再会することになったが、私は、お前や志童と旧交を温め合うつもりはない」
「な、何を?」
胸中を小さく穿たれ、足が止まった俺を、美月は置き去りにする。
「ま、待てって。そんな言い方は――」
「【フェアリー・ステップ】」
美月は、九谷さんがさっき未遂に終わらせた、転移魔法を唱えた。
七色の風が、あちこちから集ってきて、美月とアリエッタの姿を覆い隠す。
「お、おい、待て!」
七色の竜巻に飛び込もうとした俺だったが、
「危ない、天屋君」
九谷さんに、背後から羽交い絞めにされる。
「止めないでくれ、九谷さん」
「素人が無謀な真似はよせって。脱出魔法は、空間を歪める危険な魔法なんだ。下手に外部から干渉したら、どんな結果になるか分かりゃしない」
ルシュフが、技術論で説得にかかる。
「ぐっ……」
彩風が、音を轟かせながら、渦を巻く。
『会えたのは本当にうれしかったぞ。でも、これで本当にさよならだ』
風に紛れた美月の声が、俺の単なる願望でなかった保証は、どこにもない。
やがて、竜巻は、強烈な光を発した後で、ほどける。
後には、ただ無色透明のそよ風が流れていた。
穏やかな凪の中、美月の姿はもうどこにも見当たらない。
「さよならだって!? 君はいつだって自分勝手だ!」
突然、俺の前から消えて、再び現れて、一方的に別れを告げられた。
「これで終わりだなんて、俺は認めないぞ」
俺の心の中は、様々な感情が入り乱れていた。
美月が生きていた喜び。そのことを教えてくれなかった恨めしさ。惜別の悔しさ。
それらが熔けあって、激情となり、胸の奥でめらめらと燃える。
熱が気道を昇って、炎のような言葉が、口をついた。
「――――――!!」
「「な、なんだって!?」」
俺の燃え上がる宣言に、九谷さんとルシュフは、丸くした目を見合わせるのだった。
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