第11話 白と黒は混じり合わない

「ど、どうしてここに、九谷さんが?」


「それはこっちのセリフだ!」

 九谷さんの眉間に縦じわが寄る。


「捜索は一時間限定だと言っただろう。いつまで待っても集合場所に姿を見せないから、気が気じゃあなかったぞ」


 心配した九谷さんは、先ほどの噴火の音を聞きつけ、ここに駆けつけたのだという。

 最短距離のトンネルを、拳で掘削する駆けつけ方は、流石と言うほかない。


「本当に無事でよかった」


 どれほど俺の身を案じてくれたのか、目は涙で赤くにじんでいる。


「ちっ、何がクラスメイトだか」


 美月がなぜか毒づきだす。


「そんな通りいっぺんの関係の奴が、あんな色気づいた顔をするわけがない」


 彼女は大層不機嫌の様だが、そのことは俺の意識の外だった。


「九谷さん。君って人は……」


 俺の感覚は、俺に献身を捧げてくれた少女に、独占されている。


 彼女は、俺の真剣な眼差しに、やや動揺した様子であった。


 ただ見つめ合ったまま、時間だけが流れる。


「九谷さん、君は本当に――」

「ほ、本当に?」


 俺に声をかけられただけで、九谷さんの堅牢な身体が、小さく震えた。


「本当に仕事熱心な人なんだね」


 俺は、胸いっぱいの感謝と共に、そう伝えた。


「……はい?」


 九谷さんは、いきなり小突かれた犬みたいな、リアクションを示した。


「え!?」


 美月も、なぜか意表を突かれた様子である。


「だってそうだろう。ほとんど面識のないクラスメイトの俺を、そこまで一生懸命に守ろうとするなんて」

「い、いやその。な、なんていうか、ただのクラスメイトというか……」

「君は白魔封士の鑑だよ! 俺が断言する。その分け隔てない隣人愛は、まさに博愛の人と呼ぶにふさわしい」


 俺は力いっぱい拍手を打ち鳴らした。


「……」


 九谷さんの表情に、コンクリートの質感が生まれた。


 硬く強張った口元をギギギと動かして、

「き、き、気にすることはない。これは単なる業務の一環だから。ははは」

 と、笑顔の断片をどうにか浮かべていた。


「リョウは相変わらずのようだな」


 美月は、なぜかとげとげしい声を出した。


「ん? 相変わらずとは?」

「何も変わってないという意味だ。私と別れた小4の頃から進歩が見られない」

「?」

「まあいい。その話は後だ。今はそれより――」


 美月は、足の角度を少しずらして、九谷さんに正対する。


「久しぶりだな、九谷。三か月ぶりくらいか?」

「ふん。その節は世話になったな、初代」


 二つの眼差しが真正面からぶつかり合う。


「……!?」


 二人はただ視線を戦わせているだけ。


 瞳と言うのは、光を受容するだけの器官だから、何かを発するということはしない。


 しかし、科学的にどうであれ、今この瞬間だけは、俺はこの二人の眼から、何らかの力が発せられていると信じている。

 

 この肌のひりつき、喉の渇き、全身の震え。


 これらの諸症状について他の説明は考えられない。


「う、うう」


 俺だけでなく、暴走族たちも、似たような症状に苦しんでいるようだ。


「……ふっ」


 美月が微笑を浮かべると、俺を包む諸症状が一斉に消えた。


「よそう、九谷」


 そう言って、両手を頭上に掲げる。


「ここで私とお前がやりあったら、この隠し部屋なんて跡形もない。それはお前にとっても本意ではないだろう」


「……まあな」


 九谷さんは俺を見て、それからチラリと、暴走族たちを見た。


「ひっ」


 圧倒的破壊者の視線を浴びた奴らは、短く悲鳴を上げる。


「質問をしたい」


 九谷さんが、美月に視線を戻して、そう言った。


「どうぞ」


 美月は両手を降ろしながら、そう応えた。


「どうしてお前がここにいる」

「ぷっ、ははは」


 肋骨あたりにいた手の平が、素早く腹を抱えた。


「なぜ笑う?」


 一瞬、険悪な表情が九谷さんの顔に浮かぶ。


「そりゃあ笑うさ。あまりに答えの分かり切った質問だ」


 美月は、それを気にする様子もなく、嘲りの笑顔をつくった。


「初代美月が迷夢宮になぜいるか? そりゃあ、楽しいからに決まってる。アドベンチャーあり、謎解きあり、バトルあり。ここは娯楽の殿堂だよ」


 俺の知る、心底楽しむ表情を浮かべた美月が、歌うように言った。


「さらには楽しいだけでなく、実益まで兼ねているのだから、言うことはない」


 美月は、暴走族たちと、俺の手にした石剣を、順に指さした。


「どうしてみんな積極的に遊びに来ないのか、むしろ私が質問したいくらいだ」

「ちっ、相変わらずの快楽主義者め」


 九谷さんが忌々し気に吐き捨てる。


 俺も、その発言に、九谷さん同様、反感を覚えたが、

「……お前こそ本当に変わらないなあ」

 懐かしさに心揺さぶられていたのも、本当だった。


 日本最後の過激派。


 そんな危険な二つ名を、わずか十歳にして与えられた頃から、一歩も前進がない。


 その通称が示すとおりに、初代美月は、危険な遊びを極めて好んだ。

 

 全校集会で二宮金次郎像爆破。


 運動会を巨大落とし穴で中止に追い込む。


 ビル屋上を伝っての追いかけっこ。

 

 周囲の肉体と精神を振り回しながら、好き放題をくりかえす毎日。


「懐かしいなあ。リョウは本当に楽しそうに私と遊んでくれた」

「事実のねつ造はよしてくれ!」


 俺の声が自然と大きくなる。


「俺は、いや俺だけじゃない。みんな、君に強引に引きずられて、イヤイヤ危ない遊びに参加させられていたんだ」


 そうじゃないのは、倉木志童くらいのものか。


「イヤイヤじゃないだろう。小三の時、高校生の不良のたまり場にみんなでカチコミをかけたじゃないか。あの時のリョウは実に生き生きとしていた」

「記憶を美化しすぎだ。『生き生き』じゃなくて『生きようと必死』だったんだ」


 摸造刀を振りかぶった不良に追い回された体験は、PTSDの原因となってもおかしくなかった。


「まあまあ。今となってはいい思い出だろう」

「首謀者が他人事のように言うな!」

「はははは」


 美月が俺の肩をポンポンと叩いた。


「も、もう一つ質問だ」


 九谷さんが、俺たちのやり取りに、戸惑い気味に割り込んでくる。


「どうして貴様、天屋くんとそんなに親し気だ。まさか旧知の仲なのか?」

「ふふ。旧知どころじゃあないさ。物心つく前から、家族同然の付き合いをしてきた仲だ」


 美月が、馴れ馴れしく俺の肩に手を回す。


「!!」


 九谷さんが目を白黒させた。


「ち、ちょっと、美月」

「なんだ? 別にいいだろう。昔はよくこうしてスキンシップをとったじゃないか」

「い、今と昔じゃあ事情が違う」


 主に、美月の身体の発達具合が。


 俺は顔を真っ赤にして彼女から離れようとするが、

「寂しいことを言うなよ」

 と、美月はさらに体を密着させてくる。


「い、いくら幼馴染といっても一定の距離感は必要だろう」


 九谷さんが狼狽しながら注意する。


「すまないすまない。なんせもう十年以上の付き合いだろう。一心同体といっても差し支えがない。はははは」


 美月の声には明らかに勝者の余裕があった。


 何にどう勝利したのかは、皆目見当がつかないが。


「な、何が一心同体だ。生きていることを教えもしなかったくせに」


 俺は、強引に美月の身体を押し返す。


「どうしてだ! 生きているなら、なんで俺に連絡をしてくれなかったんだ」


 視界がぼやける訳が、自分の涙のせいだと気づくには、少し時間が必要だった。


「それは、……まあ、ちょっとな」


 美月はバツが悪そうに、言葉尻をぼかす。


「俺だけじゃない、志童だって有人だって、どれだけ悲しんだことか」


 気恥ずかしさから、慌てて涙をこすりながら、さらに糾弾をつづける。


「ふふ。懐かしい名前だ。倉木志童に藤原有人か。まさかまだ付き合いが続いていたとは」

「あの二人とはすっかり腐れ縁になってしまったよ。俺はともかくとしても、志童に対して、君はもう少し誠実な対応をとるべきだった」


 言葉の後に「有人についてはどうでもいいが」と、注釈をつける。


「そうだな。志童にはもうちょっと優しくしてもよかったかもしれない。有人のバカは知ったこっちゃないが」


「……なんか、藤原君が随分な言われようだな」


 有人との付き合いの薄い九谷さんが、俺たちを不思議がるのは、まあ仕方ない。


 もう少し交流を深めれば、奴が、心を砕く価値が全くない相手だと、彼女も分かるだろう。


「リョウ……」


 突然、美月が、神妙な声を上げる。


「み、美月?」


 その瞳に、記憶にないほど真剣な色が浮かんでいて、俺は息を呑んだ。


「私だって本当はお前らに会いに行きたかったんだ。でも……」


 彼女が、心奥に秘めた何かを、言の葉に乗せて差し出そうとした、その時だった。


 激しい振動が、石の間を再び揺らす。


「な、何?」


 激しい横揺れに、部屋全体が翻弄され、壁の一枚に長大な亀裂が入った。


「こ、今度はなんだ?」


「これは……、外部から流体? がこの部屋に打ち付けている?」


 九谷さんは、聴覚情報を元に、現状をそのように分析した。


「ああ、アリエッタのことを忘れていたな」


 美月が、どこか寂し気な声でつぶやいた。


 衝撃は断続的に起こり、開いた亀裂から、膨大な量の水が、部屋の中へと押し寄せた。


「え、う、うわ!?」


 迫りくる濁流に、俺は、身を強張らせ、

「ひえええ」

 暴走族たちは頭を抱えて地面に伏せる。


 対照的に、美月と九谷さんは、何一つうろたえる様子を見せない。


「私が対処してやる。ありがたく思え。【フレア・サークル】」


 美月がそう唱えると、またも頭上に円を描く。


「当然の義務だ。これは貴様らの不始末だろう」


 九谷さんが、素早く美月の背後に回る。


 美月が描いた今度の円は、大きく偏った楕円。


 石床に、横長の炎輪が灯って、業火が再び立ち昇る。


 それは、俺たちと津波との間で、防潮堤として機能した。


 灼熱の壁に、真っ青な水がぶち当たると、白い爆発が起こる。


 水蒸気爆発であることは、知識としては知っていたが、実学を伴っていないため、大いにうろたえる。


 美月の火炎は、莫大な量の水を浴びせられながらも、勢いをまるで弱めない。


 もっとも、それは水側も同じである。


 大海とつながっているかのように、次から次へと、部屋になだれ込んでくる高波。


「くそ、ハリネズミめ。また、アリエッタに余計なことを言ったな」


 美月が、なにやらぼやく。


 津波が連続して火壁に激突し、真っ白な爆発が連鎖する。


 何度目かの爆発で、地面の方に限界が来た。


「え?」


 業火の壁からこちら側に、葉脈のように、亀裂が広がる。


 再度爆発。


 ひび割れに沿って、大地が砕け、俺たちの足場が引きちぎられる。


 再々度の爆発。


 小さなブロックとなった地面が、俺たちを乗せたまま、激しく上下動をはじめた。


「うわわあああ」

「きゃああああ」

「ひ、ひええええ」


 突如、絶叫アトラクションと化した石の間。


 視界が白く瞬くたびに、揺れは激しくなり、俺たちの身体は、浮いて沈んでを繰り返す。


 俺たちは、腹ばいになって大地にしがみつき、どうにか状況をやり過ごそうとする。


 そんな俺たちをあざ笑う様に、強大な爆発が続発した。


 地面がさらに小刻みにされ、足場同士がぶつかり合い、揺れに複雑さが加わる。


 上下左右の振動は、爆発の度にさらに―――


「…」

「……」

「………、はっ!?」


 気が付くと、俺の視界には、炎も水もありはしない。


 ただ、激しく損傷した、石の地面が広がるだけ。


「え? え?」


 直近の記憶と、現在の状況が、つながらない。


(き、気を失っていたのか?)


 そう思い至るまでに、大分時間をかけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る