第6話 ルシュフ

「な、な、何?」


 俺はビビって九谷さんの陰に隠れる。


「もうとっくにバレているんだ、観念しろ姿を見せろ」

「……」

「おい!」

「……」


 鞄は二度目の反応を返す様子がない。


「ルシュフ。いつものパターンなのに気付いているか? 毎回、悪事がばれても一度くらいダメ元で知らぬ存ぜぬを決めこんで、後で倍怒られているよな。分かるか? お前はまた同じ轍を踏んでいるんだ」


 九谷さんは足を軽く上げると、勢いよく真下を踏みつけた。


「ひ、ひえ」


 足元の石材が砕け散り、床にクモの巣状の亀裂が広がった。


 振動でバックが上下に揺れる。


「わ、分かった、分かった。俺の負け」


 鞄の内から悲鳴のような声が上がった。


 声は、意外なことに、美少年のようなソプラノである。


「今出ていくから。待ってろよ。攻撃するなよ」


 ガサゴソという音が鞄からする。


「九谷さん。そのルシュフって?」

「ああ、私の仕事上のパートナーだ。いわゆる悪魔という奴だな」

「あ、悪魔って」


 こともなげに言うが大変なことである。


 いや、確かにさっき『魔封士は悪魔から力を借りている』とか言っていたけど。


「でも、悪魔なんだよ」

「問題ない。奴らのメンタリティは人間と非常に近いからな。利己的なのは認めるが、損得で物事を判断してくれるのは、むしろやりやすい。正直、何を考えているか分からないタイプの人間の方がよほど厄介だよ」


 九谷さんらしい非常に合理的な解答である。


「いや、けど危険だって」


 悪魔という存在に対する、ごく常識的な拒絶反応は、俺の中でなかなか収まらない。


 いま、鞄の中で蠢いている怪物は、どんな禍々しい姿かたちをしているのか。


 口が耳まで裂けた食人獣か?


 無数の頭をいだく恐ろしい蛇か?


 不定形のスライム型で、人間を溶かすことも考えられる。


 鞄のチャックが内側から開かれ、ついに悪魔が、その姿を露わにした。

 

 ピョコン。


「へ!?」


 愛らしい擬音と共に現れたのは、見たこともないほどに見目麗しい、真っ白な小動物であった。


「は、ハリネズミ?」


 既知の生物の中でもっとも似ているのはそれだ。


 ただし、愛らしさが段違いである。


 もちろん、ハリネズミが巷で大人気のペットであることは、承知している。


 しかし、目の前の生物は、全身の各パーツの造形が完璧で、それらの相互位置関係もまた完璧。

 

 カワイイという一点において、進化の頂点と言っても過言ではない。


「だ、だまされちゃいけない。こ、こんな愛くるしい外見をしているからと言って――」

「おい、お前、いったい何のつもりだ?」

「な、何って? ……は!」


 いつの間にか俺は、ハリネズミ型悪魔に近づき、その毛触りを堪能していたのだ。


「うわあ! か、身体が勝手に。九谷さん。今、悪魔が俺にチャーム能力を使用した!」

「ルシュフ、お前、いつの間にそんな能力を」

「誰がそんなことができるか!」


 ルシュフが牙をむき出しにして怒る。


(ああ、腹を立てた姿も可愛らしい)

「この人間が勝手に俺を撫でまわしたんだ。俺の許可も得ずに」

「別にいいだろそれくらい。減るもんじゃなしに」

「減るんだ。俺のプライドが」

「ははは」

「どうして笑った?! 俺は真剣に言っているんだぞ」

「そうだよ、九谷さん。それはさすがに失礼だ」


 ルシュフの頭を撫でながら、俺が言う。


「フシャアアア!」

「ひええ」

「天屋君、首周りを撫でられると、そいつは大人しくなるぞ」

「サキ! 誰が俺の愛で方を教えろと言った」

「写真を。どうか一枚だけ。写させてくれたら、もう触りませんから」

「お触り厳禁。写真NG」

「はははは」

「笑うな!!」

「ふん、自業自得だ。そもそも、私のプライベートをのぞき見ようとした、お前が悪い」

「そ、それはすまなかった。でもしょうがないじゃないか。普段男を寄せ付けないサキが、あんなウキウキした様子を見せるんだから」

「九谷さんがウキウキ?」

「な、何を馬鹿な」


 彼女が今日初めて狼狽を見せる。


「タンスを全部ひっくり返してさ、『この服がいいかな? それとも天屋君はこっちの方が好みかな?』。白魔封士界きっての強豪である君に、そんな表情をさせる男を一目見たくてしょうがな……」

「黙れ、このハリネズミ!」


 九谷さんが戦闘時並みの速度で、ルシュフをふんづかまえた。


「ぎ、ぎゃああ」


 全身をわしづかみにされ、悪魔が怯えた声を上げる。


「訂正しろ、今の発言を記録から削除しろ。さもなければ」

「く、九谷さん」

「あ、天屋君、違うんだ、今のは……」


 俺と視線が交わると、九谷さんは、今にも泣きだしそうな表情になる。


「これは誤解なんだ。その……、つまり……」


 九谷さんの眼が高速で虚空を探る。


「そ、そうだ。私は実はオカルトマニアなんだ」

 と、九谷さんが言い出した。


「え?」

「はあ?」


「私は、子供の頃から幽霊や物の怪に尋常ならざる関心を寄せていたんだ。今回はそれが高じて、宮嶋さんの申し出に応じ、嬉々として肝試しに参加した。こ、こういうのはどうだろうか?」

「どうだろうか……って。サキよ。それはいくらなんでも無理がある」

「や、やっぱりか」


 九谷さんの顔にさっきまでみなぎっていた凛々しさは、もうどこにも見当たらない。


「……」


 この時、俺の思考の小宇宙では、二つの天体が接近をはじめていた。


 一つは『九谷さんに対する絶大なる信頼』。


 もう一つは『自分の男としての魅力に対する不信』。


 衝突軌道に乗った二つの惑星が、激しくぶつかり合うと、鮮烈なスパークが、俺の宇宙空間を明るく照らし出した。


「そうか。九谷さんはオカルトマニアだったのか。なあんだ、そういうことか。あっはっは」

「ええ!?」

「バカな!!」


 二人はなぜか、妙なリアクションで、俺に対応する。


「いや、そうかそうか。オカルトマニアか。それじゃあしょうがないよね。いや、実はね、バカな噂を流した奴がいるんだよ。九谷さんに意中の相手がいるだとか、そいつの参加を条件に九谷さんを肝試しに誘ったとか。いや、まったく。噂と言うのは、本当にいいかげんなものだね」


 その後の、九谷さんの表情の変遷は、さらに奇妙だった。


 安堵したような顔つき、不満げな顔つき、怒ったような顔つき。


 これらを順不同に何度か繰り返して、


「わ、私も、流言飛語の類に真実が含まれているとは思っていない人間だ。ふ、ふふふ、っふ」

 最終的には奇妙に強張った笑顔に落ちついた。


「やれやれ。あれだけ勇敢な君が、こと恋愛がらみとなれば、からっきしのいくじ無……、グエ」


 何か言いかけたルシュフが、頭上から降ってきた九谷さんの靴底に、踏みつぶされた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る