第5話 九谷貴咲

 トカゲ人間。……リザードマンというのか?


 奴が溶けたために濃度の増した霧の中、


「すまなかった、天屋君」

「俺の方こそ、ごめんよ、九谷さん」


 俺たちは、なぜか謝罪の応酬を繰り広げていた。


「殴ったりしてすまない。それに私の発言は、君の命がけの行動を侮辱するようなものだった。心から謝らせてくれ」


 九谷さんが深々と首を垂れる。


「や、やめてくれって」


 命を助けられて、その上謝罪までされたら、俺の立つ瀬がないではないか。


「俺の行動が不適切だった。九谷さんのおっしゃること、いちいちごもっとも。だから、頭は下げないでくれ」


 無理やり彼女の頭を上げさせると、至近距離で、俺たちの視線がまっすぐ重なる。


「!」

「!!」


 顔を真っ赤にして、お互いに目を逸らし合った。


(こ、こういう時って、どういうことを言えばいいんだ?)


 今更ではあるが、俺は、九谷さんが俺に好感を抱いている、という噂を思い出していた。


 ロケーションは最悪中の最悪だが、女子と二人きりという好シチュエーションである。


 俺がどぎまぎするのも無理はないだろう。

 

 視線を外したように見せかけて、俺は視界の端に、はっきりと彼女の表情を捉えている。


「そ、それにしてもよく無事でいてくれた」


 艶やかな唇が、生き物みたいに動く様子は、ひどくなまめかしく映って、俺をくらくらさせる。


「う、う、運がよかっただけだよ」

「本当によかった。もし、この迷夢宮で君に万が一のことがあったら、白魔封士として私は一生自分を許すことができなかっただろう」

「?」


 白魔封士とか迷夢宮とか。


 思わせぶりな固有名詞が耳にとまった。


「あ、あのちょっといいかな」

「む?」

「もしかして九谷さんは、このダンジョンのことを何か知っているのかい?」

「ふふ。知っているどころか、この一件は私の領分だよ。この手のダンジョンには何度も潜ったことがある」

「や、やっぱり。その話、詳しく教えてもらってもいいかな」


 好奇心から成る、俺の発言に、

「む……」

 案の定、九谷さんは抵抗を感じたようだが、

「まあ、巻き込まれてしまった君には、知る権利があるのも確かだな」

 と、あっさり譲歩してくれた。


 九谷さんの語る話は、俺の常識の遥か及ばない、おとぎ話のような物語だった。


『何らかの強い想いを残して人間が死んだ場合。

 その想いは、それを象徴するものへと宿り、やがて力を持った《想遺物》となる。

 想遺物は時空にさえ干渉し、自分の周りに巨大な《迷夢宮》を発生させる。

 そこには、人間の想像力から生み出された、《幻魔獣》がはびこり、迷い込んだ人々を襲う。

 その脅威から人間を守るために、悪魔の力を借り、魔法を行使する《魔封士》たち』


「凄いね! まるで読み物みたいな話だ」


 子供の頃、海外の冒険小説に夢中になった時分のように、俺は胸高鳴らせていた。


「ふふふ」


 九谷さんは、俺の豊かなリアクションに、気持ちよさそうに話していてくれたが、


「いかんな。さすがに長話が過ぎた」


 周辺を警戒しながら、最後は、自省の声を上げる。


「そろそろここをお暇するとしよう」

「そ、そうだね。下手をすれば、後続がやってきちゃうかもしれない」

「そういうことだ。なかなか戻らない私たちを心配して、全員で探しに来るというのが、最悪の想定だな」

「でも、九谷さん。出ると言っても、そう簡単に出口は見つけられるのかい?」

「おいおい、天屋君。今君の前に立っているのは魔封士、いわば魔法使いだぞ。転移魔法の一つや二つお手の物だよ」

「て、転移魔法!?」


 九谷さんは、俺の興奮したリアクションに満足したように、深くうなずく。


「では」


 小さく咳ばらいをすると、指先をタクトのように軽く振って、

「【フェアリー・ステップ】」

 そう唱えた。


 たちまちに俺の周囲に変化が起こり始めた。


 穏やかにそよいでいた風が、光を放ちながら、高速で流れ始める。


 発光する風は、肉眼には色を帯びたようにも見える。


 青、赤、緑、オレンジ、黄色、紫、黄緑。


 七色の風は、俺と九谷さんを中心に、徐々に渦を形成する。


 渦はやがて、小竜巻と呼べる規模に成る。


 竜巻の内部には徐々に浮力が発生し、俺たちの身体を浮かび上が――


「ああ、しまった!!」


 俺は大変なことに気づく。


「む」


 九谷さんが、演奏を停める指揮者のように腕を振った。


 風の発光現象が突如止んだ。


「うわあ」


 統制を失った竜巻は、いくつもの暴風に別れて、荒れ狂いながら、ダンジョンのあちこちへ飛び去って行った。


 後には、ふたたびの凪が訪れる。


「どうした? 何があった?」


 おそらくは魔法を緊急停止させたらしい九谷さんが、俺に駆け寄る。


「大切なことを言い忘れていた。このダンジョンには、俺たち以外にも迷い込んだ人がいるんだよ」

「なに!?」


 俺は、三日前からここに遭難しているという暴走族、佐久間剣一との一部始終を報告する。


「ううむ」


 冷静で鳴らした九谷さんも、多少うろたえた様子である。


「すまない、俺のミスだ」


「いや、君のせいではない。むしろよく思い出してくれた。それにしても、不良どもの集団遭難か……」


 トントン、という音が、迷夢宮に木霊する。


「すでに三日か。食料も水も限界というから、最悪、それをめぐって仲間同士のいさかいが勃発するかもしれない」


 人差し指でリズミカルに体の一部をつつくのは、彼女の思案時の癖だと、クラスの大半が知っている。


「いったん引き返すのは時間的にリスクが大きすぎるな。かといってこのまま捜索と言うわけにも」


 九谷さんの視線が、ちらちらと俺に向けられる。


「俺のことは気にしないでくれ。九谷さんが最善と思う行動をしてくれれば、俺はそれに従う」

「いいのか?」

「当然だよ」


 多分に見栄が含まれているが、『俺を安全地帯に置いて行ってから救助に向かってくれ』とは、さすがに言えない。


 俺の知る中で、それをなんの衒いもなく口にできるのは、藤原有人くらいである。

「本当にいいのか?」


 九谷さんの真剣な目が、これが最終確認だと告げている。


「も、も、もちろんだ」


 強めの抵抗を振り切って、首を縦に振る。


「分かった。君の勇気に心から敬意を払う。そして安心してくれ。私の命に代えて、君には絶対に傷一つつけさせないと約束しよう」


 あまりの頼もしさに、

「ぜひともお願いします」

 と、拝み手を作ってしまう。


「……はっ」


 俺はその恥知らずの手を、顔を赤面させながら、後ろに隠す。


「さて、そうと決めたらすぐ行動に移ろう」

「ああ、その佐久間と別れたところまで案内するよ」

「その前に一つ大切なことを済ませなければ」

「大切なこと?」


 九谷さんは、胴体に巻き付けるタイプのバッグを、身体から外して、足元においた。


 そして、俺を連れて、そこから少し後ずさる。


「ルシュフ、出てこい」


 静かな、しかし、確かな怒りのこもった声である。


 ガタン。


 鞄が独りでに震えた。

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