第3話 武冷怒

「ひいいいいいいいい」


 男は大変なショックを受けてしまったようで、その場に腰を抜かしてしまう。


「ああ! ああ! ああああ!」


 必死にナイフを振り回して、俺の接近を阻もうとする。


「お、落ち着いてください。俺は何もしません」


 俺は、両手を上げて無抵抗をアピールする。


 少しずつ男の目に理性が戻りはじめた。


「に、人間なのか?」

「はい、俺の名前は天屋良星といいます。馬末北高の一年生です」

「ど、どうして高校生がこんなところに?」

「友達と肝試しをしていました。その会場が三小だったんです」


 ここに迷い込んだ一部始終を、かいつまんで説明する。


 男はナイフをかざしたまま、俺の頭頂部からつま先まで、何度も視線を往復させた。


「そ、そうか。俺らと似たような境遇か」


 納得したらしい男は、何度もうなずいてから、よろよろと立ち上がる。


「お、俺の名前は佐久間剣一さくまけんいち。暴走族の武冷怒ぶれいどの一員だ」


 自分の所属を、学校や企業名でなく、暴走族の名称で言われたものだから、

「は、はあ。そうですか」

 一般人の俺は少し戸惑ってしまった。


「ん? もしかして、武冷怒を知らねえのか?」

「いえ、一応、知ってはいます」


 確か、隣町の牛広市を根城にする、小さなグループである。大手暴走族の一員を兄に持つ同級生が、『あんな奴ら大した事ねえよ』という文脈の中で、何度か口にしていた。


「ふふ。そうか。俺たちもちょっとは名が売れてきたらしいな」


 もちろん、不必要な部分は、端折って伝えていた。


「でも、どうして隣町のグループが、この馬末町の廃校に?」


 隣町とはいえ、田舎は市町村の面積が無駄に広いので、結構な距離がある。


「んなもん決まってるだろう。廃校が便利だからさ」

「学校が便利……ですか?」


 正直、聞いたことのない解釈である。地獄とか牢獄とはよく聞くが。


「そうさ。体育館、家庭科室、視聴覚室、プールとかさ。学校っていうのは、使い道のある施設の集まりだろ。ほとんどは壊れちまってるけど、ちょっと手を加えれば使えるようになるのも多い」

「……なるほど」


 言われてみればその通りかもしれない。常日頃気にしたことは無かったが、あらゆる授業に対応できる、学校の汎用性は大したものなのかも。


(暴走族にしては冴えてるな)

 と、心の奥でこっそりささやく。


「体育館でバーベキューをしたり、プール跡で水遊びをしたり、走れない日は、いつも三小にたむろしてたんだよ。それがあの日――」


 佐久間の顔色から、再び血の気が引いていく。


「あ、あの日は夏の大きな暴走計画について仲間と話し合いをしていたんだ。その合間に、校内を散策していると、俺らは、校長室で妙なものを見つけた」

「校長室? 妙なもの?」

「美術品……に見えたな。出来の良し悪しなんて分からねえけど」

「片づけの際に忘れていったんですかね?」

「いや、天井裏に厳重に隠されていたから、そういうわけじゃないんだろう」

「??」


 どうも、経緯のよく分からない話である。


「木箱に入った壺やら像やらが十個ほど。芸術になんてまったく興味がないからさ。俺らはそれをピンにしてボウリングをしはじめたんだ」


 余談だが、ボールは放置されていたバレーボールだったとか。


「その最中、仲間の一人が、力加減を誤って、四角い壺を割ってしまった。そ、そうしたら中から……」

「な、何が出てきたんです?」

「う、ううう」


 突然怯えだした佐久間は、震える指をぐるぐると回して、周辺をくまなく指さす。


「まさか、この霧ですか!」

「そ、そうだ。そうなんだ」


 生き物のように飛び出した霧は、瞬く間に膨張し、たちまちに学校中を覆いつくしたという。


 霧が学校の内部を食らっては、石の構造物に組み替えていく。その工程は、子供の頃の悪夢そのものだったという。


「空間自体が捕食されていくようだった。お、俺はあの光景を、多分一生忘れられないだろう」

「……」


 俺は、さらに謎の深まった銀霧を、無意識ににらみつけていた。


 どうやら、夢の万能物質どころか、暗黒物質顔負けの危険物らしい。


「今さらですけど、そんなの吸い込んで大丈夫ですかね」


 呼吸の度、俺も佐久間も、多量の銀霧を酸素と一緒に取り込んでいる。


「多分、大丈夫だ。アスベストみたいに何十年か後にどうにかなったらお手上げだけど。少なくとも、三日間吸い続けても身体に異常はない」

「ん? 三日!? 今、三日って言いましたか!」

「ああ、言ったよ。俺たちは、三日間このダンジョンから出られずにいるんだ」

「よ、よく無事でしたね」


 てっきり、先の話は昨日あたりのことだと思っていた。


(三日、……三日間か)


 冷静に考えると、ちょっと信じがたい。


 俺なんかは、この一時間で何度リザードマンに追いかけまわされたことか。


「いい隠れ家を見つけたんだよ」


 佐久間の顔に、はじめて笑みらしきものが浮かんだ。


「そこは外界と隔離されたスペースで、出入口に普通じゃ気づけない仕掛けが施されている。そこをたまたま見つけた俺たちは、そこで今まで息をひそめていたわけだ」

「すごいラッキーですね」


「ああ」、と言葉を返した佐久間は、意外にも暗い顔をしている。


「俺たちもそう思ったんだけどな。食料も水もそこそこあるし、そこで待っていたら、いつか誰かが助けに来てくれるって。でも……」

「誰も来てくれなかったと」

「そうだ。このダンジョンで会った人間は、お前が初めてだよ」

「そう、ですか」


 佐久間の話は、俺にとっても少なからずショックである。


 どうにか命をつないでいれば、いつかは外部から救助が来てくれると、根拠もなく信じていた。


 いや、そう信じなければ、とても平常心を保てなかった。


 その儚い希望が、今きっぱりと否定されてしまった。


「食料はともかく、水がもう心もとない。籠城しててもラチがあかないってことで、今朝から周辺の探索をはじめることにしたんだ。ジャンケンをして負けた奴が、今の俺みたいに30分間外回りをする」

「なるほど。状況は大体呑み込めました」

「それはそうと、お前らは肝試しとか言ってたな。何人くらいいる?」

「中に入ったのは二人だけです。俺とくじ引きでペアになった九谷貴咲さん」

「貴咲? へえ、女か」


 女、と発声した時の、佐久間のスケベ顔に、いささか不安を禁じ得ない。


 だが、今は他に選択肢がない。


「お願いです。俺たちも佐久間さんの仲間に入れてくれませんか」


 そう提案する。


 何をするにしたって、このダンジョンの中では、人手が重要である。


 弱いものは大きな集団とならなければ、生き延びることができないのは、世界中どこだって同じことだ。


「ああ、構わないぜ。ただし――」


 佐久間の次の言葉は、そのいやらしい表情から、簡単に想像がつく。


 相手より優位に立った人間特有の、醜悪な笑み。


「貴重な水と食料を分けてやるんだ。お前にもきちんと仕事をしてもらうぜ。まず、隠れ家周辺の探索は全部やってもらう。それと、隠れ家内部での雑用もお前がするんだ。もちろんトイレ掃除も。ゴミの片付けもやってもらう」


 自分たちに都合のいい条件を、どんどんと積み重ねていく。


 本当なら『それはちょっと……』と言いたいところだが、

「わ、分かりました」

 今の俺に拒否権はない。


「ようし。後、最後に、その九谷とかいう女を見つけたら、俺と二人きりになれるようお前がセッティングしろ。これが最後の約束だ」


 佐久間が一際不潔な笑顔を浮かべ、俺がさすがに拳を握りかけた、その瞬間だった。


「ギギギギギギギ」


 トカゲ人間の雄たけびが、ダンジョンに鳴り響く。


「な、な、な、何?」

「か、かなり近いですよ!」


 俺は咆哮のつんざいた方角を見て、「ほっ」とため息をついた。


「よかった。道がほとんど通じていない方向ですね」


 しかも、そのたった一本の道には、いつの間にか霧が集まり始めている。


 まもなく石壁が生まれて、往来を完全にできなくしてくれるだろう。


 そう安堵したのもつかの間、

「うわあ、トカゲ人間だ! あいつらがやってくる!!」

 佐久間がいきなり大声でわめきだした。


「ち、ちょっと、声が大きいですって」

「うわああ! ああああ!」

「し、静かにしてください。相手に気付かれます」


 根が臆病なのか、三日間のサバイバル生活に神経がすり減っていたのか?


 化け物の近接を感じた佐久間は、明らかなパニック状態である。


 こ、このままだとマズイ。


「ち、ちょっと静かにしてください」


 俺は力づくで、佐久間を抑え込もうとする。


 これが正しい対処法だったかどうかは分からないが、恐慌状態の人間に対して、他に方法は思いつかなかった。


 そして、結果だけを問うなら、この方法は間違っていた。


「て、てめえ。何しやがる」


 いきなりブチ切れた佐久間が、俺の顔面目がけて右ストレートを放つ。


「ぶへっ」


 歯肉が裂け、口中が血の味でいっぱいになった。


「うおおお!」


 次いで、パンチでふらつく俺の両肩を、佐久間は諸手で突き飛ばした。


 俺の上体が後方に傾く。


「と、と、と」


 重心の真下に足を送り込もうとするも、上半身の傾くスピードの方が速い。


 後ろ走りをしばらくつづけた後、

「うわあ」

 最後は、背中から石畳に落ちた。


 その際、こともあろうに、例の霧の塊を通り抜けてしまう。


 痛みをこらえながら素早く立ち上がったが、すんでのところで間に合わなかった。


 冷たい石の障害物が、俺の眼前で凝縮する。


 もう向こう側には帰れない。

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