第2話 白石の城

「うおお、きゃああ、ひいいいい!!」


 俺は、けして、出色のリアクションでイベントを盛り上げているわけではない。

 

 週末の夜七時に、私服姿のクラスメイトが集合。集まった場所は肝試しに絶好のロケーションを誇る廃小学校。そこへ男女のペアを作って、くじ引きの順に忍び込む。

 

 なんの変哲もない、よくある肝試し。


 ところが、学校の内部にとびきりの異常事態が潜んでいた。


「ば、ば、ば、化物」


 俺の背中を追いかけてくる、異形の二足歩行生物。


 恐竜と人間のハーフのような容姿を持ち、黒光りするウロコに全身を覆われている。体格は二メートル超級。


「ギシャアアアア!!」

 

 クラスの誰かが変装して待ち受けていた。


 そんな発想はコンマ一秒も頭を過ぎらなかった。


 どこからどう見たって、正真正銘の怪物であった。


「キシャア!」

 

 その太い腕に握られた巨大な石剣が、斜めに振り下ろされる。


 鈍い切断音。


「ひいいいいいい」


 俺の肩にかけた鞄の角が切り落とされた。


 そこから筆記用具がこぼれ落ちる。


(死ぬ。死ぬ。死ぬ)

 

 逃げる前方に、銀の輝きが見えた。


 校内に充満した正体不明の霧。


 周辺のそれが一か所に集まりだしているのだ。


「し、し、し、しめた」

 

 最後の力を振り絞って猛ダッシュ。


 もはや、向こう側が見えなくなるほど、濃厚な銀霧の中を駆け抜けた。

 

 俺から数秒遅れてそこに飛び込もうとしたトカゲ人間は、

「ギイイイ!」

 ものすごい激突音と共に、霧の塊に弾き返された。


 いや、それはもう霧ではない。


 石の壁。


 自然石を直方体に加工し、それを積み上げた強固な壁が、俺とトカゲ人間の間に出現している。


「キシャアアア!」

 

 怒りの声と、剣戟の音が空気を震わせるが、石壁はびくともしない。


「ギギギギ」


 悔し気な歯ぎしりの音を残して、トカゲ人間の足音が遠ざかっていく。

 

 自分以外から発せられる音がすべて消えると、


「ふうううう」

 

 ようやく俺は、全身の緊張を解いた。


「……本当に何がどうなっているんだ?」


 あらためて辺りを見渡す。


 俺を包むのは、木造三階建ての校舎ではなく、石組みの巨大建造物。


 床は面をきれいに揃えた石畳、天井は緩やかなアーチ構造である。


 アールデコ調のステンドグラスがあちこちにはめ込まれ、深夜だというのに、そこから七色の光が大量に注ぎ込まれていた。


「俺たちは確かに三小に入ったはずなのに」


 かつて市立第三小学校だったはずの建物。


 少子化による統廃合で今は空き家になったそこが、肝試しの会場のはずだった。


「…………」


 今思い出しても、小学校の外観から、異変の兆候は感じられない。


 それが一歩足を踏み入れれば、中世の城を思い出させるこの有様である。


 それは、ただ単に内部を大改造したとかいう次元の話ではない。


「天井は三階どころじゃない高さだし、廊下はどこまでも続いている」


 容器である外壁を、内部の体積がはるかに超えている。


 まさに、三次元のルールを無視したことが起きているのだ。


「それにあの化け物どもは一体……」


 校内を跋扈して、一方的に攻撃を仕掛けてくる怪物たち。


 ゲームの中から飛び出してきたような見た目と、凶暴な本能を持つ奴らによって、俺と、ペアだった九谷さんは、離れ離れになってしまったのだ。


「こんなところでへたり込んでいる場合じゃない。早く彼女と合流しないと」


 俺が立ち上がったのと時を同じくして、前方の壁の一角に変化が起きた。


 コップの中に放り込まれた砂糖菓子さながら。


 壁が発砲音を立てながら霧の中に溶けていく。


 変化は加速度的に進み、十秒と待たずに、分厚い構造物が迷宮から姿を消す。


 俺の眼前には、何ら阻むもののない、新たな道が開通していた。


「やれやれ、霧の壁化の次は、壁の霧化か」


 この対になる二つの現象は、迷宮をさまよって一時間で、十回以上目にした。


 原理はまったく分からないが、何かの意思の介在はまったく感じられず、この迷宮内におけるただの自然現象のようである。


 俺は、通じたばかりの道に足を踏み入れる。


 道中、霧の壁化にまた遭遇した。


「……ふむ」


 いくら異常な環境に置かれようとも、人間の脳はいつしか順応を開始する。


 そうすると、恐怖より好奇心が勝りだす。

 

 俺は、できあがったばかりの壁に、おずおずと触れてみた。


「うお」


 あまりにリアルな質感に、思わず声が出た。


 細やかな凹凸といい冷ややかさと言い。俺の触角には本当の石造りとの違いが、まるで分からない。


 次に、壁と一緒に形成された、赤い布飾りと燭台にも手を近づける。布飾りはふかふかと高級な手触りであり、ロウソクは本当に燃えていた。


(一体、この銀霧はなんなんだ?)


 なんにでもなれる夢の万能物質。


 荒唐無稽な発想だが、現時点では他に表現のしようがない。


(この銀霧を解析して再生医療にでも活かせば、さぞすごいことになるだろうな)


 ほんのしばし、スイスの科学アカデミーで万雷の拍手を受ける自分を妄想する。


「おっといかん。こんなバカなことを考えている間に、トカゲ人間に襲われでもしたら、あまりに間抜けな死にざま……、げげっ!」


 濃い霧の向こう側に、いつの間にか、人型のシルエットがくっきりと浮かび上がっていた。


 白い影は、まっすぐこちらに向かってくる。


「あ、あわわ」


 全力疾走で逃げかけた俺だったが、


「ん?」

 

 あることに気づき、足を止める。


「トカゲ人間じゃない?」


 シルエットは全体的に丸みを帯びていて、身体のどこからも尖ったものを生やしていない。


「人か?」


(まさか、九谷さん?)


 うかつに声をかけるわけにもいかないが、おいそれと逃げられなくもなった。


 手ごろな内壁の一つを選んで身を隠す。


 足音が次第に大きくなる。俺の心音も同調して大きくなる。


 ついにシルエットは鮮明になり、俺のすぐそばをそれは通り抜けた。


 いいニュースと悪いニュースが一つずつ。


 まずは悪い方から。


(九谷さんじゃない!)


 つづいて良い方。


(人間だ!)


 俺より少し年上の男性が一人、周囲を強く警戒しながら歩いている。


 ややヤンチャな服装。手にはナイフ。


 平時ならば、完全スルーの対象であるが、今はヒト科というだけでありがたい。

蒼ざめた顔で、噛み合わない歯の音を鳴らすその男に、


「あのう、ちょっとお時間よろしいでしょうか?」


 思い切って、声をかけてみた。


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