二色の魔封士
アリムラA
第1話 旧き良き日常
「終わった終わった。ああ、自由っていいなあ」
「やれやれ、やっと陸上ができるわ。今日こそ自己新を更新してやる」
「なあ、帰りにトレカショップに寄ってかないか。こないだ話したカードが、今日発売なんだよ」
解放感にあふれたクラスメイトの声が重なって、放課後の教室がわんわんと鳴る。
黙々と帰り支度をする、俺の隣席に、
「おい、
長身の茶髪男子が勝手に腰かけた。
「どうした、
こいつは小学校からの付き合いの
「実はすごい噂を仕入れたんだけど」
興奮気味に語る有人を見て、
(はあ……)
俺は、内心、ため息をついた。
藤原有人には、本人の興奮度合いと情報の信頼性が反比例する、という厄介な法則あるからだ。
「聞いてびっくり!」
俺は、教科書をしまう手を止めずに、それを聞く。
「なんと、あの九谷さんが、お前のことを好きだというんだよ」
「……はあ」
噛み殺しきれなかったため息が、口からこぼれる。
「あら? 予想外のリアクション。もしかして俺のネタを信じてない?」
「当たり前だろう!」
図らずも大声が出た。
「いいか! 九谷さんだぞ! あの
『あの』が指示する内容は、以下のとおりである。
その端麗な容姿が、入学式で早くも、上級生の間でも話題に上る。
文武両道を地で行き、学業もスポーツも学年トップクラス。
今日時点での告白者数は計七人。内訳は、同級生四人、先輩二人、教師一人。
「その九谷さんが、どうして俺なんかを好きになるんだよ」
「まあ、確かにな。お前は、勉強は平均のちょい下。運動させても平均のちょい下。おまけに顔かたちまで平均ちょい下。おかげで、浮いた話は中学校の頃から一つもなし」
「大きなお世話だ!」
「ところがだよ。奇跡の大逆転。そんな
「あのなあ……」
強い脱力感に包まれる。
「そういう与太話は暇な奴にしてやってくれ。俺が忙しいのは知ってるだろ」
そう言って鞄を担ぎ、急いで帰路に着こうとする。
「その噂、僕も聞いたことがある」
「え?」
突然、会話に参加してきたのは、俺の真後ろの席の男子だった。
机を枕にして惰眠をむさぼっていた、小柄のメガネ男子が、ゆっくりと顔を起こす。
「ふわあ」
眠そうに一つ欠伸をした。
「悪いな。起こしてしまったか、
「別にいいよ。朝から寝たっきりで、そろそろ起きようと思っていたころだから。むにゃ」
もうとっくに放課後だが……。
「それより、志童。良星の噂をお前も聞いたって?」
「ああ、寝ている俺の横で、女子がその話できゃあきゃあ盛り上がってた。ふああ。おかげで昼休みはあまり眠れなかったな」
志童が耳にしたのは、こういう話であるらしかった。
クラスの一部女子が、夏の定番イベントである肝試しを計画する。
そして、男子の参加者を広く募るため、人気者の九谷さんに参加をお願いしたらしい。
「客寄せパンダってわけか」
「だろうね。当然、九谷さんはそれを断った」
「それはそうだ」
九谷さんのプライドがそんな役回りをよしとはするまい。
「そこで困った女子たちがこう提案したらしいんだ。『九谷さんの、一緒にペアになりたい男子を言ってくれれば、その人を参加させるって』って」
「なるほど。そこで良星の名前が出てきたわけな」
「そうらしいよ」
「どうだ、良星。俺の話はデマじゃあなかっただろう」
「い、いや。だからといって……」
確かに、ストーリーの裏付けのある、この話の信憑性は高いのかもしれない。
――だが。
(本当に俺なんかを? あの九谷さんが?)
自らに対する評価の低さ。そして、
「ん? どうした? 俺をじっと見て」
この藤原有人という悪友に対する根本的不信。
以上の二つが化学反応を起こすと、
「お前ら、俺をひっかけようとしてるな!」
という結論がはじき出された。
「ちょ、ちょっと待て、良星。今回はそんなつもりは」
「今回ってなんだ。じゃあ前回はそんなつもりだったのか」
「い、いやその」
「落ち着けって、良星。僕が有人の片棒を担ぐわけないだろう。むにゃ」
志童の発言はもっともらしいが、決定的な証拠にならないのも本当である。
「とにかく、俺は状況証拠を持って有人を信じることはできない」
「良星は疑り深いなあ」
「というか君の信用が足りなすぎるんだ。……ウトウト」
この時、教室中央から、俺たちに近づく人影があった。
「相変わらず騒がしいわね、三人とも」
「ん? なんだ宮嶋。珍しいな」
有人の言うとおりである。
クラスの中心人物の一人であり、人気者グループに属する
「実はね、三人にというか、天屋君にお願いがあるのよ」
「お、俺?」
俺の戸惑う顔面に、その場の全員の視線が集まる。
「実はね、私たちのグループが主導して、今度肝試しをやろうっていう話が持ち上がったのよ。それで、九た……、ある女子がさ、天屋君が出てくれたら自分も参加するって言ってるの。ねえ、私たちを助けると思って、ぜひ肝試しに参加してくれないかしら」
――このようにして、科学的証拠は向こうからやってきたのだった。
「ほら見ろ、良星。俺は嘘つきじゃあなかっただろう」
有人は鬼の首を取ったようにはしゃぐ。
「やれやれ。あらぬ疑いが晴れてよかった。……ぐうぐう」
志童は机に顔をうずめると、また寝息を立てはじめる。
「お願いよ、天屋君」
俺はといえば、望外の現実に頭がついていかず、
「う、うん」
宮嶋さんに求められるまま、頷くだけの装置と化していた。
〇
学校帰り。
母親のいない父子家庭である我が家では、家事全般を俺が担当している。
行きつけのスーパーで、栄養バランスと父の好みを両立させる、献立を思い浮かべ、それに必要な食材をカゴに放り込む。
「九谷さんが俺を好き」
小声でつぶやく。
先ほどの出来事が現実味を帯びだしたのは、スーパー、ドラッグストア、全国チェーンの衣料品店とハシゴし、昭和の流行を色濃く残す自宅を視界に収め、ようやくであった。
「いやっほう!」
周囲に人目がないことを確認してから、大声で叫んだ。
九谷さん。
あの九谷貴咲。
学校の大アイドル。
彼女に好意を抱かれるなんて、俺如き小ミジンコには、三回生まれ変わったって起こりえないイベントのはずだった。
高揚した気分でスキップをする脚には、ひび割れたアスファルトさえ、雲上の踏み心地である。
人生十六年で味わったこともない多幸感。
それは俺に大切なことを忘れさせていた。
ほぼ全世界の人が知る、『浮かれすぎると後で手痛いしっぺ返しをくらう』という経験則。
そして、やはりというべきか、案の定。
転落の日は、俺にも用意されていた。
その日は、件の肝試し当日。
最高の幸福を帳消しにするような、最大の悪夢が、俺を手ぐすね引いて待ち構えていた。
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