第7話 「夏休み」
その夏はなにかおかしかった。夏だというのにからりと晴れた日がなく、どしゃぶりの雨に、猛々しく響く雷。だが、俺はそんなことを気にしてられなかった。伊佐のじいさんは、伊佐の情報によるとふつうの弟子に施す修行の三倍の濃度の修行をおれにこなさせていた。
丸太を何本も足に縄でつけられて山頂から突き落とされたり。ものすごい激流の川に立たされて丸太が川の激流で流されてくるのを避けるか、突きで粉砕するかさせて突きの威力と体裁きの練習をさせたり、かまれたら一発でアウトな毒をもった蛇の群れのいる谷へ突き落とされて自力で這い上がってはまた突き落とされ、これはもはや、殺人未遂だといわんばかりの猛烈な特訓につぐ特訓を受けた。
しかし、三度の飯と睡眠はやはり、とらせてくれる。腕も足も体中が引き裂かれそうな筋肉痛によってこの時だけ少し天国が見れる。なんと伊佐が、料理を自分の口へ運んでくれたり、寝床にいくこともできない自分を、体を抱き起こして寝床につれっていってくれる。しかも何故かテントは一つしかなく。じいさんは、夜になると「ちょいと世直しにいってくる」と、どこかへいってしまう。そしておれはテントで伊佐と一つ屋根の下、寝るのだが、伊佐は、寝るときはパジャマなどをまったく着ないどころか下着さえつけない。いわく、裸じゃないとよく眠れないらしい。彼女の肌は桃色で健康的でやわらかそうで敏感な感じがする。
「まあ、気にするな私の裸なんておまえは一度見てるじゃないか、めずらしくもあるまい」
いや、そういう問題じゃないだろう。しかも伊佐は、寝ると、なにかに抱きつくくせがあり、たいてい俺を抱き枕がわりにしやがる。
しかし、俺がどんなにがんばっても体の筋繊維はその日一日の地獄のような特訓によってなさけないのだが指一つ動かない。じいさんはそこんとこをよく把握してやがる。やはりじいさんとしては、まだまだひよっこの弱い俺などに孫をやるつもりはないらしくこの天国のような時間でも、娘に指一本触れられないほど体を破壊しておくのだ。
だが、その感触や温度はあのときのキスのような感覚を引き起こす、しばしば、ぎゅっと強く抱きしめてくる伊佐はまったく無警戒で彼女がもつなにかまったく恐れていない怯えのない無邪気な力強さのようなものが、こっちの心まで安心させてしまう。
ふつう、俺の年頃で裸の女性に抱きしめられたら、夜ねるどころじゃなくするものだが、彼女の抱擁は頭をはたらかせなくし、体中をしびれさせ、そのまま、その力強さみたいなものでずんと鎮むように、心を落とされてしまう。おかげで、このどこか知らない山の中で一度も夜寝そびれることもなく不思議と彼女のあのが自分にそそがれたように翌日になると力がみなぎっている。
そして決まって、俺が意識を取り戻す頃には、伊佐はもう起きていて俺の顔を面白そうに眺め。
「おはよう、なんだか悪いな、ほんとは私に夜いろいろしたいことがあるだろうがじいさんのことだ、それができないほど、体を追い込んでるんだろう?なんだか悪いな」
「いや、いいんだが、くそっやはり力はみなぎっているが、体が動かん~~!」
「やっぱりな、じいさんのことだ。あと少しまてばくるだろう、さて私は、襲われないために服でも着るか」
そう、なにがくやしいってこのときなんだよ、朝、力はみなぎっているくせに、体がなぜか動かない。で目の前で伊佐は着替え始める。
「おまえなあ、いくら、おれがじいさんの点穴で体の自由を奪われてるからってな。なにも目の前で着替えることないだろ~~!」
「うん、いや目の保養にでもなってやるかと」
「なにもできないのにそういうことされるのは拷問なんだ~~!」
ちくしょう、こいつのじいさんもこいつもまったくなに考えてるんだ。およそ、羞恥心とかがないくせに、ちゃんと一線越えないようにしてやがる。
「じいさんはな、男に体を許すのは、その男に返しても返しきれないなにかをもらった時からだといっているんでな。おまえはいい男だし私としては好きな奴でもあるんだが、そんなでかい借りはまだもらってないんでな。いっとくが私を、ちからずくでなんとかしようなんておもうなよ?そのときはまあ恐ろしいことになる」
「もう、それは何度も聞いてるよ。それにあの剣持先輩がおまえと目を合わせただけで逃げたってのも引っかかるし。おれから襲おうなんて考えてはいねえよ」
「ふふふ、だから面白いんだ。おまえ、なんていうか、おまえはどんなときでも、ちゃんと自分のことより、知らないうちに相手のことを考えてるんだよな。おまえ、いままで喧嘩なんかいっぱいやったろうけど、絶対、おまえの方が強いのに、暴力のままに相手殴ったことないだろ?」
「そりゃあ、おれは、ガキんときからボクシング習ってたしな、ボクサーは、決して喧嘩では本気になっちゃいけないんだ。分かるだろ、おれらみたいな本当の人の殴り方知ってる奴が本気で殴っちゃったら、相手はどうなるかわかんないんだ」
「まあ、私もじいさんに武術習ったからな、そのときに、おまえがいったこととおなじこと言われたよ」
「そういうことだ、喧嘩だけじゃなくて、他のいろんなことでもそうだ、おやっさんはこいうの昔かたぎに神武不殺とか言ってたな。ようするに本当に強い奴はぜったいに殺しはしない。これはおれの誇りだ。おれは、盾しかもたない。この拳は盾なんだと自分に言い聞かせるんだ。どんな矛をも止める盾」
「そうか、ならいつか、私が、殺されそうなときは、おまえのその盾で守ってくれよ、な?」
「いいぞ、ってかもうそのつもりなんだけどな」
「ん、なにか言ったか」
「いや?」
そんなこと、おまえに惚れちまってからわざわざ言うことでもないとさえ思ってたさ。
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