第40話暗黒騎士としてではなく


 目の前に迫る魔剣。


 確実に命を奪うであろうそれを目の当たりにして、彼女はしかし冷静であった。


 彼女の目に、迫る魔剣は非常にゆっくりに見えた。それに反して、身体は少しも動かない。死の間際の時間が、延々と引き延ばされるような感覚。




 どうしようのない一撃に彼女は咄嗟に手を出した。


 白銀の手甲に包まれたそれは、魔剣の前に出すにはら何とも頼りなく見える。


 それが最善とは言えない。


 しかし、それしか取れる手段がないのも事実だ。




 彼女の手に剣はない。


 転がっているそれは、手を伸ばしても届かない。


 だから、手を出した。


 片腕を犠牲に、命を取った。


 奇しくもイブリースと同じ選択をしたのだ。




「――ッ」




 続けてくる痛みを想像して、思わず目を瞑る。


 けれど、それは幾ら待ってもやってこなかった。




 恐る恐る、目を開ける。




 アンの目の前で、剣が止まっていた。


 いや、光の壁に阻まれていた。


 それは、魔族の持つ属性と正反対の光。


 剣を突き付けるイブリース。その兜の隙間から、初めて動揺を見て取れた。


 明確に違う存在であると、突き付けられたのだ。




 それは、言ってしまえば大きな隙であった。




 だから――今しかない、とそう思って――




「お、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお――ッ!!!!」




 咆哮を上げる。


 手に剣はない。


 しかし、それは剣になる。


 手刀の形を取ったそれを、ただ真っ直ぐに突き出した。




 抵抗は一瞬。


 指先は鎧を砕き、その先へ。


 ぞぶり、と嫌な感触。


 皮膚を裂き、骨を砕き、臓器を潰した。


 命を巡らせるそれ。


 ぱたた、と血液が頬を撫でる。


 先程まで体内にあった、生暖かい命の結晶。


 ぽたり、ぽたりと流れ出て、止まることはない。




「ごぼ……」




 口から零れた血液がアンの顔を濡らす。


 まるで、時間が止まっているみたいに、思考が止まる。


 それが静かな決着だった。




 兜の向こうの、イブリースの瞳が彼女を見下ろす。


 思考を持っていた筈の瞳が、少しずつ意思を失っていく。




「はっ」




 と。


 それが弧を描き、息を吐く。


 それがまるで、笑っているように見えて。




 ――どうしてそんな表情をするのだろう、と彼女は思って――




 同時に、彼の身体からふっと力が抜けた。


 崩れ落ちるように、イブリースが倒れ込む。


 その身体は、二度と起き上がることはない。




 茫然と、心ここに非ずのまま、立ち上がる。




 剣を拾う。




 きっとそれは、自分がここまで来た証だから。


 今度は手離さないようにしようと、鞘に納める。




 振り返る。




 イブリースの――兄の――兄であった者の、死体がそこにある。


 彼は、もう喋らないけれど。


 最後の最後で、どこか躊躇ったような――


 最後に見開いた目も、何を意味しているのか。


 それを理解することはきっと出来ないけれど。




「……さよなら、兄さん。私は私の道を往くから」




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