第39話暗黒騎士さんの騎士道


 暗黒に呑まれた時、間違いなく自分は死んだと思った。


 魔剣は砕け、鎧は細分され、自身さえも散ったとさえ感じた。


 けれど――




「これは……?」




 自身が身に纏うのは白銀の鎧。


 無骨だった筈の魔剣は、まるで光を発しているように美しく繊細な意匠が浮かんでいた。


 どこか炎のように見えるそれは、きっと彼女の象徴のようである。




 暗黒騎士は、その魔剣が覚醒した時、名前を賜ると言う。




 けれど、彼女にそれはわからない。


 彼女はもう、既に暗黒騎士ではないのだから。


 掌を包む手甲も、何もかもが清廉された鎧は、どこか力強く、頼もしかった。




「ふん――ッ!!」




 一瞬。


 呆けたように思考を止めていた彼女に、イブリースは己が魔剣を振るう。


 上段からの全力の振り下ろしは、床を砕き、破片が宙に舞う。


 しかし、その場に彼女はいない。


 気付いた瞬間に取った、全力の回避行動は、彼女の身体を遥か遠くまで運んでいた。


 盾と構えた剣越しに、イブリースを見た。




 その距離は、一息で跳ぶには、凡そ遠すぎる距離。




 イブリースは、床を叩き割った魔剣を持ち上げると、その兜の奥の瞳で彼女を見た。


 いや、睨んだ、と言った方が適切かもしれない。


 そこにあるのは、兄妹の情や、家族への想いなどではなく、ただ殺意であるのだから。




「兄さん……ッ」


「黙れ」




 イブリースは唸るようにして、彼女の言葉を遮る。


 殺意を言葉に載せて、兄はーーかつて兄だったものは、かつて妹だったものを斬るために。




「魔であることを辞めた貴様に、兄と呼ばれたくない」




 頭を殴られたような衝撃が奔る。


 そうか、自分は最早、彼の家族ではないのだ、と理解した。


 追放されて、走り出して、その果てに家族からさえも見捨てられた。


 けれどそれがどうした。


 だとしても、自分には頼れるものがある。


 後押しされなくても、前に進むことが出来る。




 それを知っているから。




「な、なら……」




 いいや、どもるな。


 正々堂々と。


 胸を張って言葉を出せ。




 彼女は、ごくり、と喉を鳴らした。




「なら……私は、人間側として貴様を討つ」




 宣言と共に剣を構える。


 意匠の異なるそれは、魔剣と言うより、聖剣と形容した方が正しいのかもしれない。


 兜の向こうで、イブリースの口角が吊り上がる。


 きっと、彼は彼女を敵と定めたのだ。




「ならば名を名乗れ。貴様を殺し、我が王へ手向けさせてもらおう。そして、人間側に付いた魔族を殺すように進言しよう」




 なる程、それは正しい。脅威の芽となるものは徹底に排除する。だがーー




「残念だがそれは止めさせて貰うぞ。私が決めた、私の道だ、誰にも否定させてなるものか! 私はアン。ただのアンとして、貴様を討つぞッ!!」




 真正面。剣を突きつけ、決別する。




「ならば俺も、イブリースとして、暗黒騎士として、貴様を殺そう。家族としてではなく、敵として貴様の首を戴くとしよう」




 再度、剣を構える間も惜しいと、イブリースはアンに迫る。





















 剣を重ねる。


 魔剣と聖剣、相反するそれはぶつかる度に反発するように、衝撃が走る。




 アンの力が増幅した訳でなく、ただの相性だ。火は水で消せて、水は木を育て、木は火によって燃えるように。暗黒は光で薄れ、光は暗黒に覆われる。




 正反対であるそれは、正反対であるが故に反発する。


 床に亀裂が走り、柱は崩れ、壁は最早意味を為さない。天井は既になく、そこから青空が覗いている。




 雲一つない空とは正反対に、血風が舞う。


 一手、斬る度に鎧が砕け、合間に覗く肌を斬り付ける。


 大局的に見て、既に戦う意味などない。


 どちらにせよ、今回の戦場は、人間側の敗北に違いないのだ。




 ならば逃げても構わない。


 それを咎めるものはいない。


 けれど彼女は、初めて自分自身との決別の為に戦っていた。


 誰かの笑顔の為に剣を握るのではなく。


 剣を握るのは、前に進む為。


 暗黒騎士であった自分を捨てると、ここで決めたのだから。




「――おォッ!!」




 イブリースの魔剣が、大上段から振り下ろされる。


 獣の一撃にも似たそれは、単純であるにも関わらず、避けることが難しい。


 ただただ早く、迅速に命を奪う為だけの剣。




「――――ッ」




 その一閃を、思考が働くよりも早く、掻い潜る。


 力では明らかに劣るだろう。叩き潰されればそのまま圧されてしまう。受け止めることなど、出来よう筈もない。


 正に一刀両断と称するに相応しいそれは、ギロチンの刃だ。


 受ければ忽ち、一刀の元、切り捨てられてしまうだろう。


 そんなのは、御免だった。




「シッ!」




 繰り出したのは、突きである。大上段の一撃は、威力はあれど隙は大きい。即ちそれは、一撃に重きを置いた、後先考えない一撃。


 ならばこそ、速さと破壊力に重きを置いたこれを躱せる筈がないだろう、と一筋の光が、イブリースの喉元に真っ直ぐ向かう。


 しかし――




「ぐっ……」




 イブリースは咄嗟に片腕を剣から離すと、光の先を庇う。


 片腕を犠牲にした受け。


 手甲と筋肉の合間に挟まれた剣は、確かに片腕を貫いたのだ。




「抜けない……っ!?」


「はっ」




 初めて、殺意以外の感情がそこに乗った。


 嘲るような笑いと共に、力任せの一撃が彼女を捉える。


 防御も出来ないそれは、アンの腹部装甲を砕きながら弾き飛ばす。




 壁に激突し、アンはずるりと床に這い蹲った。




「げほ……ッ!」




 腹腔から血液が昇って、口から吐き出される。


 べちゃり、と赤黒い血が、粘液と共に床に散らばる。




 片腕と内臓。引き換えにするには大き過ぎる。




「そんなものか?」




 失望した、とでも言いたげに、イブリースは腕に刺さったままの剣を引き抜く。




「その程度の決意で俺の前に立ったのか?」




 彼の考えは、きっと彼独自のものだろう。


 彼にしかわからず、彼以外にそれを理解しない。


 それはきっと、家族で会っても変わらないのだろう。




 だからきっと、誰も理解することはない。彼の執着も、彼の執念も。


 彼も同じだと、きっと誰も言えやしない。




「ごぶ……っ」




 喉に詰まった血が鬱陶しい。


 押さえた手の隙間から、流れていくのを止められない。




「貴様はようやく同じ土台に立てただけだ。我ら暗黒騎士は、常に仕えるものの為に戦っている。それを今更、意を得たりと言わんばかりに振り翳して、それで俺を諭したつもりか? だとしたら、浅はかだな」


「同じ……?」


「貴様は誰かの為に戦い、俺は魔王様の為に戦う。そこに何の違いがある?」




 違う。


 それは違う、とアンは思う。


 決定的に、違うものがある。




「わ、たしは……」




 拳を握る。


 自分のこと。


 自分の考えを。


 今度こそ、はっきりと伝える為。


 決意を固めるように。


 拳を固める。


 その手に剣はないけれど、それで終わらせない為に。


 必要不可欠な言葉。




「違う」




 違う。


 それは、決定的に、何もかもが違う。


 自分が守りたいものは。


 自分が助けたいものは。


 そんな理不尽に脅かされているものを、助けたいと思ったから。


 誰かの笑顔の手助けになりたいと、思ったから。




「違う」




 それだけは、絶対に違う。


 魔王が往く道の笑顔を奪うのならば、そのような理不尽は見ていられないと彼女は駈け出したのだ。


 彼女の戦う理由は、たった一つ。


 まるで夢物語の騎士のように。


 高潔であると、そう記された騎士のように。




「私は、力なきものの盾になるのだ。お前と一緒にするな」




 イブリースは小さく頷いた。




「では、死ね」




 彼女の剣は遥か遠く。


 そして、振り翳された魔剣は、まっすぐに彼女の頭部に狙いを定めていた。












  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る