第38話暗黒騎士さん、暗黒騎士ではいられない


 目の前が漆黒に染まる。


 闇の奔流が身体を飲み込んだ。


 身体のあちこちを、焼け付くような痛みが奔る。




 真っ向から来るそれを、暗黒騎士さんは無銘の魔剣で受ける。一度目は防ぐ事能わず、二度目は防げた。ならば三度目は。




「ぐっーーくぅぅぅぅぅぅ……っ!」




 一度目、二度目、それを勝る程の勢いで放たれた暗黒は、正に必殺の一撃である。


 傷だらけの全身が悲鳴を上げる。


 盾にと構えた剣に亀裂が走る。


 暗黒騎士さんの鎧は、既にあちこちひび割れを起こしている。


 それでも。


 そこから引く訳にはいかなかった。




 初めて、手が届いた。




 兄が、自分を試そうとしている。


 ならば示さなくてはならない。


 自らの道を見せなければならない。


 それが例え、どのような結末になったとしても。




「だから――ッ!」




 一歩。


 前に。


 暗黒の奔流の中へと、大地を踏み締める。


 それは、無茶である。無謀とさえ言える。


 ボロボロの身体は耐えられない。


 ボロボロの魔剣は耐えられない。


 何一つ、為すことも出来ずに、ただ朽ち果てるよりも。


 何かに対して手を伸ばして、前に進むことを選んだ。




 きっとそれは、魔に属する者の考えではない。


 魔王に忠誠を誓い、その使命を全うするものの考えではない。


 それは――きっと人間らしい考え。


 前に、一歩ずつ進む彼女は、最早魔族とは言えないだろう。


 だから、彼女は――暗黒騎士さんはそのままではいられない。


 魔族のままではいられない。




 その心も、考えも、魔族とはほど遠いのだ。


 だから剣は――



















 イブリースの魔剣、ザッハークから解き放たれた暗黒は、彼の妹を飲み込んだ。


 必然であり、絶死であり、必殺であるそれは、確実に殺す。


 二度あることは三度ある、そうは言うが、現実に二度あることは三度ある訳ではない。


 そんなことはあり得ない。


 一度目、二度目、それぞれ運が良かっただけだ。


 だからこそ、イブリースは認めない。




 剣を振り下ろしたままの姿勢で正面を睨む。


 それは、油断を許さない状況だ。


 彼は決して油断しない。その所為で、どれだけの仲間が死んでいったのか、理解しているからだ。目の前にある標的が、どれほど脆弱であろうとも。


 視線を外すことだけは絶対にしない。


 だから、異常に気が付いた。




 漆黒。


 暗黒。


 暗闇。




 そのような形容詞の似合うそこに、光が一つ。


 それはまるで、天に瞬く星のように。


 小さな小さな綺羅星。




 それは別にあり得ないことではない。そもそもの性質が違うのだ。


 魔に属しながら聖であるものもあるのだろう。


 これはそれだけのことだ。




 だから――




「それは」




 それはまるで。



















 激震した。


 大地が揺れるような感覚に、リーゼリットは咄嗟に隣を歩くシルヴィアを支えた。


 牢獄に繋がれ、衰弱していた彼女は、それでも両足で立っていた。


 だが今は、それよりも――




「アン殿……」 




 自分を逃がしてくれた彼女のことを思い、リーゼリットは天井に視線を向ける。


 そこに何かがある訳ではないが、その視線の先に、彼女がいることを知っているから。




「あの……時の、あの人……?」




 途切れ途切れの言葉で、シルヴィアは言う。




「……ええ……私たちを、助けてくれたのです」




 リーゼリットは簡潔に答える。


 自分には使命がある。


 シルヴィアを無事に連れ帰らなければならない。


 だからこそ、上階への参戦は出来ない。


 だから――出来ることは、祈ることだけ。


 それだけしか出来ないから。




「どうか、無事で」




 振り返ることはない。


 ただ真っ直ぐに地面を踏み締めて歩いた。





















 暗黒が晴れた。


 まるで夜を切り裂いて、朝日が登るように。


 イブリースから解き放たれた暗黒の魔法は、跡形もなく凪いでいた。


 イブリースの表情は、兜の内側に存在し、読むことは出来ない。


 けれど、歯噛みしたのだと言うことだけはわかった。




 仕留めることが出来なかったのだと、わかってしまったから。


 彼の前に存在しているのは、同じ魔に属するものの気配ではない。




 それはきっと彼女の思想があまりにも魔的ではなかったから。


 彼女の考えも、姿勢も、思想も、行動も、魔的ではない。


 魔には相応しくないものの行為であった。




 あり得ない。


 だがしかし、魔王軍から追放された彼女が、魔に属している訳がない。


 で、あれば、どこかで野垂れ死にするのが通例だ。




 だからこそ、ここまで生き残ってしまった魔族の例は他にない。




 ましてやそれが、魔王に忠誠を誓い、魔王の為だけに生きる暗黒騎士であるなど、あっていい筈がない。


 彼女が世界で最初の一人。




「貴様……」




 イブリースは初めて彼女の白銀の鎧を見た。




 暗黒騎士の鎧は白く染まり、その手に持つ魔剣は、既に邪なる気配を持ち合わせることはない。


 清廉であり、聖である。


 魔を拒絶するような気配を以て、そこに存在している。


 蛹が蝶になるかのように、辺りに散らばる漆黒の鎧。


 生まれ変わったと言わんばかりの、眩い白銀。




 最早、彼女は暗黒騎士とは言えないだろう。


 名前を付けるのならば――そう。




「……聖騎士」




 イブリースはぽつり、と呟いた。


 そこにあるのは、かつて妹であったものを見る視線。


 既に殺害対象として、彼女を認識した視線であった。










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