第38話暗黒騎士さん、暗黒騎士ではいられない
目の前が漆黒に染まる。
闇の奔流が身体を飲み込んだ。
身体のあちこちを、焼け付くような痛みが奔る。
真っ向から来るそれを、暗黒騎士さんは無銘の魔剣で受ける。一度目は防ぐ事能わず、二度目は防げた。ならば三度目は。
「ぐっーーくぅぅぅぅぅぅ……っ!」
一度目、二度目、それを勝る程の勢いで放たれた暗黒は、正に必殺の一撃である。
傷だらけの全身が悲鳴を上げる。
盾にと構えた剣に亀裂が走る。
暗黒騎士さんの鎧は、既にあちこちひび割れを起こしている。
それでも。
そこから引く訳にはいかなかった。
初めて、手が届いた。
兄が、自分を試そうとしている。
ならば示さなくてはならない。
自らの道を見せなければならない。
それが例え、どのような結末になったとしても。
「だから――ッ!」
一歩。
前に。
暗黒の奔流の中へと、大地を踏み締める。
それは、無茶である。無謀とさえ言える。
ボロボロの身体は耐えられない。
ボロボロの魔剣は耐えられない。
何一つ、為すことも出来ずに、ただ朽ち果てるよりも。
何かに対して手を伸ばして、前に進むことを選んだ。
きっとそれは、魔に属する者の考えではない。
魔王に忠誠を誓い、その使命を全うするものの考えではない。
それは――きっと人間らしい考え。
前に、一歩ずつ進む彼女は、最早魔族とは言えないだろう。
だから、彼女は――暗黒騎士さんはそのままではいられない。
魔族のままではいられない。
その心も、考えも、魔族とはほど遠いのだ。
だから剣は――
◇
イブリースの魔剣、ザッハークから解き放たれた暗黒は、彼の妹を飲み込んだ。
必然であり、絶死であり、必殺であるそれは、確実に殺す。
二度あることは三度ある、そうは言うが、現実に二度あることは三度ある訳ではない。
そんなことはあり得ない。
一度目、二度目、それぞれ運が良かっただけだ。
だからこそ、イブリースは認めない。
剣を振り下ろしたままの姿勢で正面を睨む。
それは、油断を許さない状況だ。
彼は決して油断しない。その所為で、どれだけの仲間が死んでいったのか、理解しているからだ。目の前にある標的が、どれほど脆弱であろうとも。
視線を外すことだけは絶対にしない。
だから、異常に気が付いた。
漆黒。
暗黒。
暗闇。
そのような形容詞の似合うそこに、光が一つ。
それはまるで、天に瞬く星のように。
小さな小さな綺羅星。
それは別にあり得ないことではない。そもそもの性質が違うのだ。
魔に属しながら聖であるものもあるのだろう。
これはそれだけのことだ。
だから――
「それは」
それはまるで。
◇
激震した。
大地が揺れるような感覚に、リーゼリットは咄嗟に隣を歩くシルヴィアを支えた。
牢獄に繋がれ、衰弱していた彼女は、それでも両足で立っていた。
だが今は、それよりも――
「アン殿……」
自分を逃がしてくれた彼女のことを思い、リーゼリットは天井に視線を向ける。
そこに何かがある訳ではないが、その視線の先に、彼女がいることを知っているから。
「あの……時の、あの人……?」
途切れ途切れの言葉で、シルヴィアは言う。
「……ええ……私たちを、助けてくれたのです」
リーゼリットは簡潔に答える。
自分には使命がある。
シルヴィアを無事に連れ帰らなければならない。
だからこそ、上階への参戦は出来ない。
だから――出来ることは、祈ることだけ。
それだけしか出来ないから。
「どうか、無事で」
振り返ることはない。
ただ真っ直ぐに地面を踏み締めて歩いた。
◇
暗黒が晴れた。
まるで夜を切り裂いて、朝日が登るように。
イブリースから解き放たれた暗黒の魔法は、跡形もなく凪いでいた。
イブリースの表情は、兜の内側に存在し、読むことは出来ない。
けれど、歯噛みしたのだと言うことだけはわかった。
仕留めることが出来なかったのだと、わかってしまったから。
彼の前に存在しているのは、同じ魔に属するものの気配ではない。
それはきっと彼女の思想があまりにも魔的ではなかったから。
彼女の考えも、姿勢も、思想も、行動も、魔的ではない。
魔には相応しくないものの行為であった。
あり得ない。
だがしかし、魔王軍から追放された彼女が、魔に属している訳がない。
で、あれば、どこかで野垂れ死にするのが通例だ。
だからこそ、ここまで生き残ってしまった魔族の例は他にない。
ましてやそれが、魔王に忠誠を誓い、魔王の為だけに生きる暗黒騎士であるなど、あっていい筈がない。
彼女が世界で最初の一人。
「貴様……」
イブリースは初めて彼女の白銀の鎧を見た。
暗黒騎士の鎧は白く染まり、その手に持つ魔剣は、既に邪なる気配を持ち合わせることはない。
清廉であり、聖である。
魔を拒絶するような気配を以て、そこに存在している。
蛹が蝶になるかのように、辺りに散らばる漆黒の鎧。
生まれ変わったと言わんばかりの、眩い白銀。
最早、彼女は暗黒騎士とは言えないだろう。
名前を付けるのならば――そう。
「……聖騎士」
イブリースはぽつり、と呟いた。
そこにあるのは、かつて妹であったものを見る視線。
既に殺害対象として、彼女を認識した視線であった。
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