第36話暗黒騎士さん、道

 


 足取りは重く、全身は痛い。


 それでも心は軽かった。


 手段も何も考えていないが、そこには剣がある。




 目の前の問題は重いが、自分の答えだけは胸にある。




 枝葉を避け、森を駆け抜ける。


 そこに迷うことはなく。


 ただ前を見定める。




 戦況は知らない。


 どうなっているかもわからない。


 もしかしたら、もう負けているのかもしれない。


 何もかもが終わった後なのかもしれない。




 自分にできることなどないのかもしれない。




 けれど――それでも。


 心だけは、そこにあるから。




 だから前を向いて。



















「…………」




 あれ程、騒がしかった筈の戦場は、既にシンと静まり返っていた。


 目の前に続いているのは、まるで墓石のように突き立った剣の墓場。


 そこにあるのは死体の山。


 まるで全てが終わってしまった後のよう。




 それでも。




「……まだ」




 向こう。


 ガレス帝国の城が目に映る。


 城壁に囲まれた猛々しい城塞は、未だ健在。


 けれど、そこには――




「兄さん」




 まだ、存在している。


 まだ、そこにいる。


 ならば。


 ならば――




「待ってて」




 行かなくてはならない。


 そうでなければ始まらない。


 まだ、暗黒騎士さん自身、自分を始めてもいないのだ。




 だから前へ進む為に。


 だから前を向く為に。




 目の前にある問題を片付けなければならない。


 そこにある壁があまりにも大き過ぎて、暗黒騎士さんでは払えないかもしれないけれど。


 挑まなければ乗り越えることも出来ないのだ。





















 剣閃が奔る。




 数は無数に。


 一閃一閃が必殺に。


 しかし至ることはない。


 流れる剣閃、一つ一つが必死であれど、相手もそれは同じこと。




「――ッ!」




 弾かれ、赤いカーペットを散らしながらリーゼリットは膝を着く。


 同時、即座に剣を構え直し、正面の鎧姿を目に映す。




 戦いは未だに終わっていない。


 幾千と屍を積み上げた先で、彼女の戦いは続いていた。




「音に聞こえたバイアランの騎士……それもこの程度か……」




 魔王の忠実なる下僕、暗黒騎士がそこにいた。


 手にした剣は禍々しく、その剣技は一歩さえも引かない。


 まるで巌のようなその様に、リーゼリットの心は折れそうだ。




 部下は倒れ、助けようとした姫の行方はわからない。




 それでもリーゼリットは剣を執る。


 それだけが、支える力だと知っているから。




「なぜ……」




 リーゼリットは傷だらけのまま口を開く。




「どうして貴様らはガレスに与するっ!?」


「……」




 目の前の暗黒騎士はまるで呆れたかのように嘆息した。


 そのような事は口にするまでもないとでも言いたげに。


 兜の隙間から見える瞳が、リーゼリットを見下した。




「もしも目の前に、自らを脅かすであろう人間がいたら、貴様ならどうする?」




 見下した視線。問いかけの意図。


 この状況を表しているのは一目瞭然で。




 リーゼリットの中に、それに対する選択肢は――ある。


 無視をする。


 逃げる。


 もしくは戦う。


 その三つだろう。




 自分を脅かすのが大したことないのなら、無視をすればいい。


 敵わなければ逃げればいい。


 どうにかできるのならば、戦えばいい。




「我々は――対立して貰った。ただ、それだけだ」




 暗黒騎士の言葉。


 この状況。


 つまりそれは、片方に肩入れし、両方を落とす。


 それは――凡そ騎士の取る手段ではない。


 まるで卑怯者の手段である。




 目の前の強い騎士がそんな手段を取ることが、リーゼリットには信じられなかった。




「貴様は」


「なんだ?」


「貴様はそれで――納得しているのか?」




 だから口を吐いたのはそんな言葉だ。




「している」




 暗黒騎士はこともなげに口を開く。




「これが我が忠義である。我らが前に立ち塞がるものは、全て排除するのだ」




 リーゼリットの思い描く正道ではない。


 リーゼリットの知っている騎士ではない。




 けれどそこには、魔王へと忠誠を誓う、騎士の姿があった。




「我が名はイブリース。我が魔剣はザッハーク」




 納得は出来ない。


 それを飲み込むことなんて出来やしない。




 暗黒がリーゼリットの目の前で膨れ上がる。


 目の前が暗く沈んでいく。


 それはまるで、自分が終わっていくような絶望。




 意識が暗闇に沈んでいくような――




 リーゼリットにはどうしようもない。


 この戦いをどうすることも出来やしない。























 そもそも無関係なのである。


 暗黒騎士さんにとって、人間の争いも、誰が攫われたのだとかも、全てが全て無関係なのである。


 何もかも暗黒騎士さんに関係がない。


 暗黒騎士さんが選んだ道――暗黒騎士さんの選択肢はここで潰える。


 暗黒騎士さんに残された道はただ一つ。


 だからその道を進む為に――暗黒騎士さんはこの場所にやって来たのだ。

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