第32話暗黒騎士さん、兄と戦い、過去を思う
暗黒騎士さんが兄について知っていることは多くない。
それこそ、幼い頃の事しか知らない。
まだ子供の時分、それこそ十歳かそこらの幼い頃だ。
その頃、まだ兄と共に暮らしていた。
母は優しく、父は厳しく、由緒正しい、暗黒騎士の家系と言って差し支えなかった。
「――あ!?」
練習用に刃を潰した剣を取り落とし、彼女は膝を付いた。
「また俺の勝ちだな」
笑って、兄は彼女を見下ろした。
終ぞ勝つことの出来なかった、幼い頃の記憶。
まだ小さな頃、兄妹で戦って鍛錬をするしかなかった頃のこと。
暗黒騎士の家系に産まれ、暗黒騎士として生きることを定められた兄妹に名前はなく、ただ兄と妹として、育てられた。
その頃は、きっと幸せだったのだろう。
何者でもなく、ただ、兄と妹。
毎日を同じように過ごし、毎日を訓練して生きてきた。
兄が戦場に出るようになってから、そうした日々はなくなっていったけれど。
それでも便りは届いたし、彼女のことを励ましてくれていた。
だからきっと、これは幸福な記憶なのだ。
◆
剣を振るう。
疾り抜け様に振り下ろす、獣の一撃。
「ーーーーッ!?」
流される。
受け流し、その柄尻で暗黒騎士さんの背中を強打する。
「ーーぁぐッ!」
息が詰まる。勢いのまま、転倒しそうになる身体を支え、即座に振り向いた。
斬り合いを始めて、まだ数刻。
されど一太刀さえも、暗黒騎士さんの剣は届かない。
よしんば届いたとしても、その身体は影のようで、触れることさえ叶わない。
せめて一太刀。
殺されるのなら、抵抗した証が欲しいと、暗黒騎士さんは兄を睨む。
「お前が今、何を考えているか当ててやろう」
と、兄が呟く。
絶好の機会、だと言うのに、暗黒騎士さんの身体は動かない。
兄は、喋りながらもその構えを崩さないからだ。
「せめて一太刀。そうだろう?」
「…………」
動揺を隠すように黙る。
上がった息を整え、反撃の機会を窺う。
「下らんな。貴様はせめて一太刀と思う内に、俺がいくら貴様を断てると思う。ただ一撃と思うだけでは獣と変わらぬではないか」
その決意を嘲るように、兄は嗤う。
「捨ててしまえ、そのような決意。この戦場に必要なかろう」
いつもそうだ。
こちらが勝てないのをいいことに、上から目線でものを語る。
一瞬、兄は視線を逸らす。
背後の物音に気を取られたか。
明らかな誘いであるのに、暗黒騎士さんにそれを判断する力は残されていない。
まるで獣のように飛び出し、豪剣を振るう。
「……この太刀筋……バイアランの剣術か。はっ、人の真似事が好きなようだな、妹よ」
通じない。ただの一撃でさえ通らない。
弱いからだ、と自己嫌悪する。
結局は勝てないのか、と息を吐く。
「ぁ……っぅ……」
弾き飛ばされ、たたらを踏んで後退する。
息が荒いのがわかる。
呼吸がしづらい。
こんな所で、足踏みをしている場合ではないのに、前に進めない。
「だ、だめ、なの……?」
「何がだ?」
「……ま、魔族、でも、こちら側にいちゃ……だめ、なの?」
弱々しい口調は、かつての口調だ。
弱い自分を象徴しているような言葉遣い。
そのまま自分のことを表しているようで、段々と嫌いになっていったそれが、今は自然と口から出て来る。
息苦しさのまま、零れる心情は言葉のままだ。
「……それでお前は何を得た?」
兄は、静かに返す。
その言葉に、暗黒騎士さんは答えることが出来なかった。
どちらだとしても変わりないのだ。たとえ、魔王軍のままであったとしても、周囲の種族は違えど、きっと思考は似たようなものだ。
最初から、暗黒騎士さんは流されるままで、何も自分で手に入れていないのだと、わかってしまったから。
暗黒騎士さんの視界には、それ以外が、いつの間にか映らない。
この広い世界に、まるで自分と兄以外が存在していないかのように錯覚する。
広い筈の世界が、狭く、息苦しい。
「そろそろ終わりにしようか、妹よ」
兄が、剣を構える。
それは、初めて使用する魔剣の力。
暗黒騎士として、確かな力を持った証であるそれに、魔力が行き渡る。
「そういえば……お前の前で名乗るのは初めてだな……我が魔剣はザッハーク。授かった我が名はイブリース!」
兄の……イブリースの持つ大剣に、炎が奔る。まるで焼き付き、刻印されるようにして、その刀身に蛇が浮かぶ。二頭の蛇は、まるで互いを食い合うように絡みついている。
「では、死ね」
まるで闇が渦を巻くように、暗黒騎士さんの視界を埋め尽くす。
全身絡みつく暗黒の奔流の中で、暗黒騎士さんは全身の痛みのみを感じていた。
何も見えず、聞こえず、ただ奈落の底に落ちていくような感覚。
全身から力が抜けーーーー
――――次の瞬間、そこにはもう誰もいなかった。
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