第31話暗黒騎士さん、兄と会合する

「はっ……はっ……はぁ……っ」




 暗黒騎士さんは独り。


 森の中を走り続ける。


 背後には誰もいない。ただ、熱量のみが離れない。あの炎の熱量は、怒り。誰かの為に、怒れる彼女は、本当にいい人なのだろう。


 烈火のような感情を、自分は抱いたことがあっただろうか。




 わからない。


 けれど、進まなくてはならない。


 自分の為に。




 自分の、為に。




 脚が縺れそうになる。


 息が荒く、呼吸がし辛い。


 それでも、足を止められない。




 一緒に訓練した彼らは、既に戦いの最中だろう。


 彼らが死んでいくのを、暗黒騎士さんは見捨てることなど出来やしない。


 彼らが戦っているのに、間に合わないということなど、あってはならない。




 だから足を進める。


 どれだけ苦しくても、どれだけ辛くても。


 足を止めることなど出来やしない。




「っは……っは……ぁ!」




 目の前に光が見える。


 それはきっと、森の出口。




『――――――――――――――――――――――――………ぉぉぉっ!!!!』




 向こうから声が聞こえてくる。


 それはきっと、鬨の声。




 戦う兵士たちが上げる、号砲が、薄っすらと聞こえてくる。


 まだ間に合うと、暗黒騎士さんは駆け抜けた。


 希望を胸に、前へと向かった。




 だから気付けなかった。




 光の中に、誰かがいた。


 黒い、誰かは、漆黒の大剣を、振りかぶって。


 暗黒騎士さんに向けて。


 振りかざして。




「――――ッ!?」




 気付いた瞬間、暗黒騎士さんの脚から力が抜ける。




 転倒するように、その場に崩れ落ち、転がった。


 その頭上を、大剣が通過した。


 間違いなく、致死の一撃であった。




「……躱したか、いや、偶然か」




 漆黒の鎧姿。


 禍々しきそれは、暗黒騎士のものに他ならぬ。


 漆黒の大剣は、魔剣であり、暗黒騎士の象徴。


 暗黒騎士さんの前に、暗黒騎士は立ち塞がった。




「……に、い……さん」




 見上げるようにして、口を開く。


 小さく呟いた言葉は、空間に溶ける。




 自分が転ばなければ、その大剣は丁度首の位置を通過していた。


 その結果、どうなるのかは説明しなくてもわかる。




 兄は、自分を殺そうとしたのだと、暗黒騎士さんが理解するまでに時間はかからなかった。




「……な、何故、ここに?」


「何、貴様が近付いていることは知っていたからな」




 兄が大剣を担ぎ上げる。




「ついでに、殺しておこうと思ってな」




 その言葉は冷たい。


 何よりも、誰よりも冷たい言葉が、暗黒騎士さんの胸に突き刺さる。




「貴様は魔族の恥である。ならば身内である俺が、貴様を殺すのが道理だろう。我が妹よ」




 ふらつきながら、暗黒騎士さんは立ち上がる。


 兄の視線は、真っ直ぐに彼女に向かっている。




「さぁ、剣を執れ。俺はそこまで優しくはないが、せめて抵抗する程度には、機会を与えてやろう。喜べ、貴様と初めて戦ってやる」




 無理だ、と思った。


 勝てる筈がない、と思った。


 自分はここで、死ぬ。


 それが道理だと、思った。


 思ってしまった。




 けれど。




「……た、確かに、に、兄さん……と戦うの、初めて……」




 その背中を追っていた。


 彼を見続けて、ここに来た。


 自分よりも遥かに優秀である兄。


 魔王軍にして、信頼の厚い彼を、どうすれば打倒出来るのかはわからない。


 けれど、どうにか出来なければ死んでしまうのだ。




 剣を構える。


 それは暗黒騎士の使う剣術。


 同時、兄も全く同じように構える。




 まるで鏡合わせの獣。




 号砲は遥か遠く。


 戦場の片隅で、戦闘が始まった。




「……ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」




 暗黒騎士さんは声を荒げる。


 ここで打倒出来なければ、自分は死ぬ。


 それでも、抵抗しなければならない。




 何故なら、自分を頼ってくれた人を、彼女は見捨てることが出来ないのだから。


 シルヴィアを助ける為に、ここに来た。


 だから自分の騎士道に、背くことなど、出来ないのだから。




 脚に力を入れる。


 振りかざした剣は、未だ力及ばず。


 剣術は、未だ未熟。


 だからとて、ここで止まる訳にはいかないのだから。




「……遅いな」




 兄の姿が影に消える。


 暗黒魔法を用いた「影走り」。その速度は、影の移動速度に準ずる。


 即ちそれは、光の速さに等しい。




 一刀。


 兄は振り抜いた。




「――――な……っ……ぐ、ぅ……!?」




 暗黒騎士さんはわき腹を抑えて、勢いのままに転倒した。




「どうした? まだ始まったばかりだぞ、立て」




 兄は言い放つ。ただ、冷たく。




 暗黒騎士さんの肩に絶望が圧し掛かる。


 抗いようのない理不尽に、けれど前に進む為、暗黒騎士さんは再び剣を構えた。




 遠くから、剣戟の音が響いている。

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