第30話リーゼリット、決着
例えば、目の前の敵が、ただの動物だったとしよう。
拘束された動物には、手も足も出すことができない。
しかし動物には牙が存在している。
手も足も、爪も使えずとも、その鋭い牙は決死の一撃になりうる。ならばこそ、こちらも決死の一撃を以て止めを差さねばならない。
仮にそれが魔物であったとしよう。
魔物であるのなら、それは時に魔法を使い、攻撃をしてくる。
拘束された魔物は、獣より厄介だ。自身の力を上回る膂力もあるかもしれない。拘束を引き千切る魔法をもっているかもしれない。
そうするのならば、細心の注意を以て、攻撃すべきだ。
もしも魔族であったのなら、拘束した時点で油断をしないことだ。
彼らは魔法を用いて戦うし、何より圧倒的な膂力があることが確定している。ならば拘束などしても無駄であろう。
数十人で囲んで、誰か犠牲を出しながらでも戦うしかない。
けれどそれが人であったのなら。
人ならば、いいだろう。
魔力も魔族程はなく、力も獣よりも弱い。
その存在は脆弱であり、何故か繁殖力だけはある。世界中に存在するどんな獣より弱いくせに、何故かこの世界を支配しているのが彼らだ。
だから、彼の油断は手に取るようにわかった。
拘束に成功した時点で、彼は勝っているのだ。
そもそも魔族という存在は人間を侮る。当然だろう。力も弱く、魔力も弱い。脆弱で儚い命。そんなもの、そこらを歩いている蟻と変わらない。
踏み潰し、蹂躙し、犯し、殺し、その殺生は自分たちの手に委ねられる。
そういう存在に、何を警戒しろというのだろうか。
対し、人間は侮らない。
大抵の生物は自分たちより強く、力でも魔力でも敵わない。
だからこそ常に警戒を怠らない。
相手の気の緩んだ一瞬。
それが今だ。
「貴様らは何時だって私たちを侮るなぁ」
ぽつり、とリーゼリットは呟く。
目の前に迫る影の槍。
一本一本が、十分な殺傷能力を持つそれが、無数に迫る最中において、リーゼリットは冷静さを崩さない。
「だからこそ、足元を掬われ……るッ!」
それは炎だ。
リーゼリットの周囲に炎が舞う。
ごうごうと燃え上がるそれは、リーゼリットの魔法。
馬車を燃え上がらせ、赤熱した剣を作り出したそれは、未だ勢い衰えず。
影を焼き尽くし、まるで森ごと燃やし尽くさんばかりに燃え上がる。
それは本来あり得ないことだ。
人間ではあり得ない。
何故なら人間は、魔族よりも弱く、魔力も力も強くはない。
その、筈、なのに。
「な、んで……そ、んな……!」
影法師は叫ぶ。
理解できないと、そう叫ぶ。
その気持ちを、リーゼリットは理解できる。
自分だって、絶死の一撃を、こんな風に防がれたら、そう喚きたくもなるだろう。
ちりちりと、髪の毛が焦げるような高温の中、リーゼリットは薄く笑う。
リーゼリットに特殊なものは何もない。
剣術は確かに、姫様の護衛役として抜擢されるだけあった一流だ。
けれど代わりに魔法は凡百である。
ありきたりな炎の属性。特殊なものはなにもない。
だからこそ、リーゼリットを誤認する。
対峙したものは、悉くがリーゼリットを見誤る。
ただ、単純に、剣術が強いだけの女として、彼女のことを見る。
怒りに身を任せて、剣を、炎を振りかざすような女に、見る。
だからそれが間違いだ。
炎が燃える。
燃え上がる。
何もかもを飲み込むように。
蛇のように身を揺らす。
「嘘、嘘だよ……それ、なに……? なんだってんだよ、お前っ!?」
影法師が五月蠅く叫ぶ。
インチキだろうと笑えばいいさ。
けれど、だからこそ、そんなものを持ち出したからこそ、負けることは許されないのだ。
一刻も早く、弔い、先へ進みたい。
その逸る気持ちを抑え続けてきた。
自分が今の地位でなかったのなら、迷いなく、駆け抜けた筈だ。
しかし、それでは駄目なのだと知っていた。
わかっていた。
だから、開戦まで待った。
自分は彼女のことを信じた。
きっと、彼女も自分のことを信じた。
だからこれが、きっと民を守り、王族の在り方を守る、正しいやり方。
政治は知らない。
ただ、民の為にあればいい、と鍛えたそれは、必死の一撃となる。
「悪いな」
ただ、構え、振り抜いた。
炎の照らす森は、煌々と輝いていて、影法師の潜む場所はどこにもない。
一刀の元に、喚く暇すらなく、その頸部を断ち、落とす。
ころりと転がった首は、ちら、とリーゼリットを見詰めると、途端に、まるで溶けるようにして形を失った。
先程までの、少年のような顔と違う。
黒い粘土に目の後のような窪みをつけた、そんな形になって、転がった。
誰かもわからない、判別さえもつかないそれは、影法師の本体だった。
自分が誰かもわからなかった影法師は地に沈む。
その最後を見やり、リーゼリットはその胸元に下げた魔石に手を伸ばす。
もう薄っすらとしか感じることの出来ない、シルヴィアの魔力がそこに残っている。
「正々堂々がバイアランの華、の筈なのだけどなぁ……」
言って、魔石を仕舞う。
残った魔力は僅かだけど、自分のことを助けてくれたそれを、しっかりと仕舞い、目を向ける。
暗黒騎士さんの走っていった道と、自分たちの馬車が移動する筈だった道を照らし合わせる。
「さて、もう始まっているだろうなぁ……アン殿は無事だろうか」
呟きながら、リーゼリットは手を合わせる。
自分の死んでいった部下に。
今度こそ、自分の魔力で火を着ける。
馬車が燃える。
部下が消える。
アンデッドが現れても、それはそれで無念だろう、としっかりと焼き尽くす。
煙が空へ昇っていく。
まるで、魂のようだ、とリーゼリットは思った。
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