第28話暗黒騎士さん、影法師

 ぽたり、ぽたり、と血を流す馬車。


 木陰からずるりと影が立った。まるで、衣を剥がすかのようにずるりと、立ち上がる。




「あっけないなぁ」




 立ち上がった影が、言葉を発する。


 少年のようなそれは、正しく少年の皮を被っていた。


 年端も行かぬ少年は、その表情を残忍に歪めてため息を吐く。自分の姿を見下ろし、身体のあちこちを確かめるように見て、再度、息を吐いた。


 影法師は、笑う。




「あーあ、折角油断させる為って、こんな姿にしたのに……その必要もなかったってことかな?」




 つまらなさそうに、そして、安心したように笑う。


 視線の先の馬車は、身動き一つしない。




 ――いや。




 がた、と馬車が揺れる。


 そして、次の瞬間、炎が舞い上がった。


 うねるようにして産まれた炎の蛇が、馬車を飲み込み、天へと昇る。煌々とした煌めきは、まるで怒りを体現しているかのように周囲を飲み込んでいく。




 しかし、それでも倒れた騎士たちは飲み込まない。




「と、とと……なんだ、生きているのか」




 影法師は二、三歩下がって、冷や汗を浮かべる。 


 炎が渦巻き、そして弾けた。


 影法師の影が扇状に広がり、彼を火の粉から守った。




 炎の中心から、リーゼリットが現れる。その表情は憤怒に彩られている。


 薄っすらと開かれた瞳には、扇状の影を広げた影法師が映っている。


 唇を開き、リーゼリットは紡ぐ。




「モリスン、アルカイド、モリッツ、マイルズ、ナタリー、カイエン、ミスト、ハーヴェイ、カガリ、ライアン……十人だ」


「……何の話かな?」


「貴様は私の部下を十人殺した」


「それがどうしたんだい?」


「貴様を殺した所で失ったものは戻らない……だが貴様はここで殺させてもらおう」












 地面に横たわったまま、難を逃れた暗黒騎士さんは、その業火を見ていた。


 リーゼリットの涙が蒸発していくのを見ていた。


 ただ、魔族であるから暗黒属性の魔法が効きにくい。


 ただそれだけで助かってしまった自分。


 自分には、そんな、涙を流してくれる人はいないから。




 だから、不謹慎ながらも死んでしまった彼女の部下を、ちょっとでも羨ましいとおもってしまったから。




「アン殿……生きているのだろう?」


「…………」


「兄上が、気になるのだろう?」


「…………」


「ならば行くといい。この場は、私が請け負った」




 リーゼリットの声が、頭上から響く。


 それに重ねて、影法師の声が届く。




「別に、行けばいいよ。どうせ君じゃ、戦力にならない。それに、僕は彼女をこの場に留める為に来たんだ。君は、どうでもいい」




 情けない。


 自分が情けない。


 そう言われても、どうにも反論できない自分が嫌いだ。




 それでも――あの日々が心地よかったからこそ。




 ふらり、と暗黒騎士さんは立ち上がる。


 ふらり、ふらり、と、先へ進み始める。


 影法師の横を抜けて、森の奥へ。




 ガレス帝国の方に向けて、歩みを進め始める。












「……通してよかったのか?」


「別に殺すことも出来たけど……どうせ、君の方が速いだろう?」




 影法師がリーゼリットに語る。


 対し、リーゼリットは笑う。確かに、その通りだろう、と。


 遠ざかっていく背中は、すぐに木々に紛れて見えなくなった。




「ま、僕も殺されたくはないし……全力は出させてもらうけどね」




 扇状の影が、まるで花開くように、その花弁を舞い散らせる。


 一つ一つが杭のような状態に変化し、リーゼリットに狙いを定める。




「……その前に、一つ聞いていいか?」


「うん? いいけど、何?」


「そのガワは……誰のものだ?」




 リーゼリットが影法師を指差す。


 彼は自分の姿を見下ろし、その幼い容貌を見詰める。




「ああ、これ? 知らないよ。でも、君たちは、こんな風に子供の姿の方が攻撃しにくいだろう?」


「だから、殺したのか?」


「うん」


「そうか、わかった」




 業火が燃え上がる。


 一点に収束したそれは、リーゼリットの持つ剣を包み込む。


 高温に達した剣が赤く赤熱しだす。




「これで、心置きなく貴様を殺せる」




 魔族でもいい奴がいる。


 それは暗黒騎士さんの例から見てもわかっていた。だからこいつがもしもそうだったのなら、リーゼリットも攻撃を止めていただろう。


 けれどそうではなかった。


 ならばこそ、躊躇いは一片たりともないのだ。




「覚悟しろ。今日の私は怒っているぞ」




 リーゼリットが踏み込んだ。


 地面がまるで爆発したように土埃を巻き上げる。

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