第26話暗黒騎士さん、再開する
シャドウ・キャットはしなやかな身体を以て、影から影に移動する。それは人や物が映し出す影。例外はない。それはつまり、この人込みの多い街の中で、脅威を発揮する。
シャドウ・キャットを追って、暗黒騎士さんは大通りに出る。瞬間、暗黒騎士さんを襲うのは、雑踏のざわめき。耳に入る言葉がじわじわと脳を刺激する。
リーゼリットといた時は、気にもしなかったそれら情報が目に毒だ。
けれど、そんなもの、今は気にすることもできない。
騒がしさの最中にあっても、魔の気配は、魔族である暗黒騎士さんにはよくわかる。
真っ黒な猫が、影から影へ。
人込みの、歩いていた少年の影。
住居の影。
洗濯物。
噴水から飛び出した水の粒。
様々な影を移動する。
暗黒騎士さんには見えている。その軌跡を追って、暗黒騎士さんは走り出す。決して暗黒騎士さんから離れない。けれど逃げていると思わせるような絶妙な距離は、まるで暗黒騎士さんを呼んでいるかのようだった。
そのことに、暗黒騎士さんは気付いている。
それは、訓練所にいた頃と全く同じだったからだ。
何か話したいことがあれば、シャドウ・キャットを使って、暗黒騎士さんを誘導する。
人気のない所で、人見知りの暗黒騎士さんを気遣って。
気が付けば、どんよりとした裏通りに迷い込んでいた。
周囲の建物の合間にあるそれは、薄暗く、また浮浪者やガラの悪い者たちの溜まり場となっていた。
合間を縫って、ゴミ箱を蹴飛ばして、暗黒騎士さんは走った。
先導するシャドウ・キャットは着かず離れずの距離を保って、時折、振り返りながら走っていく。
転びそうになる足を前に動かして、暗黒騎士さんはついに路地裏の突き当りに到達した。
そこで、シャドウ・キャットはこちらをじっと見て待っていた。
「兄さん……?」
じっと、こちらに目を向けるシャドウ・キャット。
暗黒騎士さんが振り返ると、今通ってきた通路から、人相の悪い、見るからに悪人面した人間たちが手に手に武器を持ち現れた。
「やっと追い詰めたぜ……」
「……?」
暗黒騎士さんは周囲を見回すが、自分とシャドウ・キャット以外を見つけることが出来なかった。
「とぼけんな!? てめぇだよ! ゴミぶちまけながら走りやがって……! ここが誰の縄張りだかわかってんのか!?」
「え、と……」
怒りを額に滲ませ、怒声を張り上げる男たちに、暗黒騎士さんはすっかり委縮してしまう。
どうしよう、どうしよう、と頭の中は混乱ばかりだ。
ちら、とシャドウ・キャットを見ると、やれやれ、と言いたげに息を漏らした。
次の瞬間、シャドウ・キャットの姿が消えた。
そして――
「ぎゃっ!?」
一人、悲鳴が上がる。
血飛沫が舞い上がる。
「な、なんだ!?」
動揺が広がる。
一人、また一人、血の花を咲かせるように、倒れていく。
暗黒騎士さんにだけは、見えていた。否、見えてはいないが追うことは出来ていた。シャドウ・キャットの発する魔力が影から影へと移動し、首筋に噛みついていく。一人、また一人と、首を千切られて倒れていく。
血花が路地を汚し、錆びたような匂いが充満する。
思わず暗黒騎士さんは鼻を抑えた。
路地の突き当りが血の海に沈む頃、ようやくシャドウ・キャットは動きを止めた。
生きているのは暗黒騎士さんだけで、他は全て死んでいる。
シャドウ・キャットが暗黒騎士さんを見上げ、にゃあ、と鳴いた。
「久しいな、妹よ」
シャドウ・キャットの身体が渦を巻くようにして伸び上がる。
影が形を作り、猫から別の姿へと形を変える。
真っ黒な見た目をした鎧騎士の姿がそこにあった。
何もかもが黒いそれは、存在自体が偽物であると主張していた。
使い魔を通じて、遠くへ声を届ける暗黒魔法だ。
「兄さん」
「しかし、どうしてお前がこんな所にいるのか……人の街など、汚らしいばかりだろうに」
「それは……」
「まぁ、いい……魔王軍から追放されたらしいな。ならばどうして死を選ばない?」
突き放された、気がした。
「死……」
「どこへでも行けと言われたのだろう? 生き恥を晒すくらいならば、死ねばいい」
冷徹な言葉は、まるで染み入るように、暗黒騎士さんの中に浸透していく。
そう、そうだ。
何故そうしなかったのだ、と自分で思う。
それが正しいのだ。暗黒騎士であるのならば、それが正しい。仕えるものから追放されたならば、その時点で死を選ばなければいけない。
そう、であるのなら。
「せめてもの慈悲だ。この会話も、俺がお前を殺すことも。ただ――直接殺せないのが、残念だがな」
一歩。
また一歩、兄の姿をしたシャドウ・キャットに近付く。
死ぬ為に、殺してもらう為に。
それが生物として、生きている者ならば、おかしなことだろうとわかっていながら。
暗黒騎士さんはそうするしかない。
暗黒騎士として生きてきた兄に、逆らうなど考えられない――
「――アン殿!!」
風が吹いた。
赤髪を揺らして、風のように駆けた騎士が、剣を振るう。
それは、護身用の小さなナイフだったが、しかし暗黒騎士さんには剣のように見えた。
兄の姿をした影が、一刀の元に両断される。
べしゃり、とまるで血が飛び散るように、影が溢れる。
「き、さま……その剛剣……バイアランの騎士か。流石にこの身体では、貴様の相手は不足か……」
「写し身か」
「その通り。しかし、そうか」
半分に断たれた頭で、暗黒騎士の方を向く。
瞳がない筈なのに、そこに兄の瞳を幻視する。
「そちら側に付いたか、妹よ……ならば次は、容赦する必要もないな」
溶ける。
兄の姿が溶け、後に残るのは、真っ二つになって絶命したシャドウ・キャット。
その姿も、影に溶け、消えた。
残っているのは、血の海に沈んだ路地裏だけだ。
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