第25話暗黒騎士さん、休日と襲来
どこへ行っても人の波は途絶えることを知らない。
往来を歩くのはバイアランの市民たち。
商店街では威勢のいい声が響き渡り、それに対し主婦が買い出しの交渉を行う。
鎧を着た人も、冒険者の恰好をした人も、戦闘に適さない服装をした人も。
関係なしに、混沌とした有様を呈している。
そんな光景は、魔王軍では見たことがなかった。
「これは……すごいな」
「だろう? ここは首都なだけあって、非常に人の数が多いのだ。他の都市でも、これ程の数の人は見たことがないぞ」
通りを歩きながら、二人で言葉を交わす。
「……で? ……どこに、行くの?」
「まずはお前の服を買おうと思う」
「……服!?」
思わず、暗黒騎士さんの声が上擦った。
「……何故そこまで驚く?」
「……い、いや、その……」
「だってお前、いつもそれじゃないか。多少は着飾った方が良いぞ」
それは、そうだが、と暗黒騎士さんは思う。けれどどれが自分に似合っているだとか、どんな服があるのだ、とか、わからないのだ。そんな話をしたことも、そんな話をしてくれる同僚もいなかった。
自分に暗黒魔法が使えないのだからと、ひたすらに剣に打ち込んできた。暗黒騎士の剣術は、暗黒魔法があって初めて成立する。
どれ程打ち込んでも、結局それは未完成のままで、誰にも敵わない。
そんな暗黒騎士さんを、遊びに誘うような魔族がいるだろうか。
「で、でも……」
「でも?」
「……何が良いとか、わからない、し」
「それだ。それがよくない。色々な事に興味を持たねば何が楽しい」
「え、と……」
揺さぶられる。暗黒騎士さんは自身の内面が揺らぐのを感じる。
がしっ、と手を掴まれた。
きょとん、とした瞳でリーゼリットの顔を伺う。
そこにあるのはいつもの凛とした騎士然とした風体ではなく、何処にでもいるような、町娘然とした笑顔。
「さぁ、悩んでいる時間が惜しい! 行くぞ!」
引き摺られるようにして暗黒騎士さんは後に続く。自分を引いてくれる手は、やはり硬く、およそ女性らしくはないが、どこか暖かかった。
◇
からん、とカップの中で氷が音を立てる。
大通りに面した喫茶店は客足はそれ程多くはない。夜になれば恐らく酒場になることは、カウンターの後ろに並んだ瓶から容易に想像できた。
酒があれば人も集まるのだ。
隅のテーブルに身を委ねながら、暗黒騎士さんはぐったりと顔を上げる。
その服装は、いつものインナースーツではなく、簡素ながらも上質な意匠を施したワンピースに身を包んでいる。緩く結んだ肩口からは、健康的な、筋肉のついた肌が覗いている。
「……疲れた」
「はははっ、そこまでぐったりするほどか」
「……慣れない、ことは、するものでは……」
「そう言うな。これもいい経験だろう」
そうかもしれない。
そうでないかもしれない。
これからどう生きていくのかにせよ、戦ってばかりではいられないだろう。自分はどうなるのか、さっぱり予測がつかないのだから。
どうとでも生きていける土台が必要なのだ。
と、自分を納得させる。
そうしないと、余計に疲れそうだった。
カップに注がれた珈琲は、別の大陸から態々豆を買っているのだという。リーゼリットは笑いながら、私が払おう、等と言っていたが、これは高いものなのではないか、と暗黒騎士さんは邪推する。
「……はぁ」
口に含み、ゆっくりと嚥下する。鼻に抜ける香ばしさに、自分はかつてこれ程の経験をしただろうか、と思いを馳せる。
昼も過ぎた日光は暖かく、窓の外から緩やかに注がれている。
穏やかな、昼下がり。
静かだ。
――静か、だった。
ふと窓の外へ視線を向けたその瞬間。
がしゃん、と陶器の砕ける音が響いた。買い物帰りだろう、おばさんが、目を白黒させながら、足元に落ちた破片を片付けている。
しかし暗黒騎士さんの目には、別のものが映る。
魔族特有の気配のようなもの。
細く、伸びるようなしなやかな身体。恐らく影にいて、おばさんは気が付かずに足を躓いてしまったのだろう。真っ黒な、影に潜る特性を持つそれは、魔物であり、偵察を得意とするシャドウ・キャット。
それと、一瞬目が合う。
次の瞬間には、シャドウ・キャットは別の影に移動していた。
暗黒騎士さんは即座に身を起こすと、駈け出した。
「あ、ちょっと、おい!?」
リーゼリットが慌てて、立ち上がるのが視界の隅に映る。
けれど暗黒騎士さんは気が気でない。
シャドウ・キャットは、使い魔として優秀だ。影に潜り、見たものを主に伝える。
そして、そんな彼らを好んで使う人物を、暗黒騎士さんは知っているのだ。
「兄さん……!」
ドアを蹴破るようにして往来に飛び出す。
既に気配は掴んでいる。そちらの方へ向けて、暗黒騎士さんは走り出した。背後から、小さくリーゼリットが会計をする声が聞こえた。
けれど暗黒騎士さんは振り返らない。
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