第19話暗黒騎士さん、進むため
一合。
二合。
三合。
閃く刃が重なり合う。硬質な音が、森の中で木霊する。
打ち合う度に手が痺れ、その度に無力感に苛まれる。
下から、上から、左右に振って、あらゆる角度からの斬撃に、全て完璧に合わせられる。
息が切れる。
汗が溢れる。
どれ程速く打ったとしても、届かない。
意表を突いた、と思ってもそれは幻想だ。
リーゼリットは、未だ汗一つかいていないのだから。
一閃、防がれる。
同時に暗黒騎士さんは後ろへ飛ぶ。
リーゼリットは追いかけない。
「――は、は、は、はっ……っ!」
息が切れる。
喉が熱い。
届かない。
自分がこれまで鍛えてきた技も、何もかもが届かない。
「ふむ……どうもアン殿の剣技は違和感がある。完成されている筈なのに、どこか足りない」
それもその筈、暗黒騎士の技術は、暗黒魔法が使えて初めて成立する。そうでなければ暗黒騎士さんの技は、ただの未完成なものだ。打ち込む一閃に対する重さも、速度も何もかもが足りない。
技術が足りない。
経験が足りない。
足りないものを補う術を、暗黒騎士さんは知らない。
それでも愚直に前に進むしかないのだけれど。
「――っ、はぁ……」
息を整え、剣を構え直す。
未だ汗一つ流していないリーゼリットは、構えを崩さない。
油断はない。
言葉は呑気ではあるものの、そこにある気勢は変わらない。打ち込む隙はどこにもない。けれどしかし、暗黒騎士さんは前に出るしかない。
そうでなければいけないのだ。
「――ッ!」
一拍、息を吐き、渾身の一打を打ち込むべく距離を詰める。その速度は、確かに速いのだろう。だが、リーゼリットから見ればそうでもない。確かに速いことは速いが、それでもそれは、鍛えれば誰もが到達出来る程度のものだ。
そこから一歩踏み出す為には足りないのだ。
右斜めから斬り上げる斬撃を、リーゼリットは己が剣で止める。金属音と共に、がちりと噛み合ったかのように動かない。
力を込めようと、先へ進むことは出来ない。
「アン殿の剣は真っ直ぐだ。実にわかりやすい。実直に鍛錬を重ねているのがよくわかる。けど、アン殿。それ程鍛えて、あなたはどうなりたいのだ?」
最初は、冒険者だと思っていた。
けれどその剣技は、明らかに流派に属した動きだった。
ならば騎士に属するものだろう、とリーゼリットは思った。
だがそれにしては行動理由が読めなかったのだ。
魔族でありながら、人間を味方するような行動をする。
自分たちを助け、護衛までしてもらった。
だから読めない。
彼女が何者かわからないのだ。
だからこそ、今、この場所ではっきりさせたいのだ。
「わた、し……は」
暗黒騎士さんは言葉を切る。
息をするように、口を開け、けれどその先の言葉が出てこない。何度か口をぱくぱくとさせ、ようやく絞り出したのは。
「弱者を助けられる、騎士に、なりたかったんだ……」
暗黒騎士さんはようやく、その言葉を口にした。
かつての魔王軍。
自分の立場。
自分は、助けられる弱者ではなく、さりとて強者でもない。
「私は――理不尽に虐げられる、ものを、守りたかった……」
子供の頃に見た騎士物語。
そこに見た、騎士像。
忘れることなど、出来るものか。
だからこそ、これまで戦った。
魔物も人間も関係なく、誰かの為に、戦いたかった。
或いは、それが自分が存在していい理由なのだと、思いたかった。
呪竜に虐げられる村を救った。
目の前のものを放っておけなかったから。
野盗に襲われる騎士と皇女を救った。
数で勝る暴力を放っておけなかったから。
そして今度は、理不尽に攫われた皇女を助け出そうと考え始めている。
それが魔王への叛逆になると、知っている筈なのに。
「ふぅむ……まぁ、追放された、とのことだし、そのことについては何も言うまい。私が言えることは、一つだけだ。アン殿には力が足りないのだと思うな」
言って、彼女が力を込めた瞬間、暗黒騎士さんの剣が押され始めた。全力で力を込めているのに、徐々に押し返される。
跳ね上げ、その柄尻で暗黒騎士さんの腹を打った。
鈍い音と共に、暗黒騎士さんの体がふわりと宙を舞い、背後の幹に叩き付けられる。
「か――はッ!?」
腹の部分の鎧がばらばらに砕け、衝撃が体を突き抜ける。思わず崩れ落ちそうになる体を、剣を支えに受け止める。まだ、終わってないのだから。
「さて、私は聞きたいことは聞けたのだし、これで終わってもいい。国に帰って、準備をすることもある。だが、アン殿はまだ戦うつもりなのだろう?」
返答はない。
その目は、真っ直ぐにリーゼリットに向けられている。
「ならば最後だ。私は今から全力で打ち込もう。アン殿はそれを防いで見せる。それであなたの実力も、あなたの全力もわかるだろう。何、防ぎきれなかったら、その時はその時だ」
恐ろしいことを、リーゼリットは口にする。
彼我の距離は、歩幅にして凡そ十歩。リーゼリットにとって、その十歩は意味をなさない。
「行くぞ。防げよ」
一歩。
二歩。
リーゼリットが消えた。
気が付けば、彼女は目の前で突きの姿勢に入っている。この距離で、この速度で、それは外しようのない必殺の一撃。
暗黒騎士さんはその光景を茫然と眺めていた。
まるで時間の流れが遅くなったかのように、ゆっくりと切っ先がこちらに向かってくる。
思考が追い付かない。
神経の伝達が遅い。
指を動かそうと思うよりも、速い。
暗黒騎士さんは、その時、生まれて初めて殺されたくない、と思った。
その見事な一撃を受けて、死ぬのを良しとしない。
だって自分は、まだ何者にもなれていないのだから。
そして切先は暗黒騎士さんの胸部に吸い込まれて――――
◇
かぁん、と乾いた音。
意よりも速く動いたそれ。
暗黒騎士さんの手に持つ剣が、その腹で切先を受け止めていた。
シンプルなロングソードだった暗黒騎士さんの剣。だがしかし、今はその柄の模様が淡く紫色に発光しているように見えた。
受け止めた瞬間、剣は輝きを失う。
ほんの一瞬の煌めき。
それを見届けて、暗黒騎士さんはふっと笑った。
手が力なく垂れ、それでも剣はその手から離れることはなかった。
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