第7話暗黒騎士さん、呪竜と戦う・後編
半分は本当で、半分は嘘だと思っていた。
「……こっちね」
リナリィは山を歩きながら思う。
ドナティを助けてくれた。それは確かなのだろう。家に帰ってきた妹は、興奮しながら騎士様がね! と話してくれた。
けれどリナリィはそんな都合のいい話があるものかと信じなかった。そんなに都合よく世界が進むのなら、薬を持って来てくれて、村の人たちはすぐにでも元気になって、お母さんも遊んでくれる。友達とだって遊ぶことができる。妹は危険な目に合う必要もなく、平和に暮らしていける。
けれどそんなことはなくて。
だから、半分は信じてるけど、半分は嘘だと思ってる。
山道は自分たちにとっては庭のようなもの。村に病が流行りだしてから、そう遠くへ行けなくなったけど、小さな頃から駆け巡った山野を、そう簡単に忘れたりしない。
折れたり踏み潰された草や木の根っこ、枝葉を見る。まるでワイルドボアやグリズリー・ロアーのような大型の魔獣が猛スピードでぶつかったような痕跡。
けれどそこに残る足跡に、リナリィはそれが違うと確信を得る。そこにあるのは明らかに人の足跡なのだから。
それを辿っていけば、きっと見つけられると信じて。
けれど見つけてどうするのか、自分でもわからなかった。
あの騎士は逃げたのだとリナリィは思った。
けれど去り際の言葉。
あれを、嘘だとは思いたくなくて、こうして追い続けている。
そして、見た。
禍々しい、漆黒の鎧を身に纏い、その手に炎の剣を持ち、邪悪な竜へと走る姿を。
まるで、物語の騎士そのものじゃないか。
「……ほんと?」
鎧はちょっと怖いけど。
けれど彼女は戦っていた。多分だけど自分たちの為に。
リナリィは震える手を握り締め、その場に跪いた。自分には何も出来ないから。だからせめて、勝利を祈る。額に手を当て、祈る。
「ああ……神様お願いします……」
小さく呟いた言葉。
けれどそれは邪悪な竜の咆哮に掻き消された。
◇
「ひゃははははッ! 無様だなァ、暗黒騎士サマよォ?」
身動きの一切取れないまま、呪竜がストンピングする度に鎧が軋む。衝撃が体を通り抜け、暗黒騎士さんは苦悶の声を漏らす。
痛い、痛い、痛い、痛い、痛い。
訓練では感じることのなかった痛みと、恐怖。
怖い、怖い、怖い、怖い、怖い。
ここで死ぬかもしれない。いや、死ぬだろう。所詮、落ちこぼれの暗黒騎士なのだ。自身の騎士道に従ったといっても、それは覆らない。
「えェ? おい、命乞いでもしてみろよォ?」
がん、と殴り飛ばされ、暗黒騎士さんは地面を転がる。痛みから解放されるが、またゆっくりと呪竜がにじり寄ってくる。
「私は….…」
命乞いの言葉は思いつかなかった。
「後悔していない」
ただ、自分の騎士道に嘘をつきたくなかったから。
「ひゃはッ! ならもっと苦しめよ」
暗黒騎士さんの鎧に付着した血液、その先端が針のように尖り、鎧の内側に入り込もうとする。虫の歯軋りのような、無理矢理こじ開けるような、不快な音。そして、暗黒騎士さんの鎧の耐性を、それは乗り越えた。
「ぃーーーーッ!?」
思わず、悲鳴を上げそうになった。
皮膚に達した針はゆっくりと暗黒騎士さんの全身を串刺しにしてくる。
手足が痙攣し、その力が失われていくのがわかる。
そして暗黒騎士さんは草むらが音を立てるのを、確かに聞いたのだ。
「んだよォ? こんな所に人だァ? ひゃはははッ! 馬鹿だッ、ばッかじゃねェの? おい、暗黒騎士サマよゥ、馬鹿がいるぜェ? 殺すか」
呪竜がそちらに目線を向ける。
同時に展開された呪いの沼が、その周囲の草木を枯らしていく。その中心に彼女は、いた。跪いて、一心不乱に祈りを捧げる少女。呪いに皮膚が侵されようと、その場から離れない少女ーーリナリィの姿。
「丁度いいなァ、俺ァ、暗黒騎士サマの相手で腹減ってんだ。食料が自分から来てくれるなんてよォ!」
リナリィの所へ、呪竜がにじり寄る。
駄目。待って。やめて。
暗黒騎士さんは焦る。全身の痛みなど忘れて、どうにか体を動かそうともがく。拘束は万全で、けれどそれでも。
駄目。それは、やめて。それだけは、やめて。私の前で無力な人を殺さないで。
そんな光景を見たくないのに。
ついにリナリィの元へ呪竜が迫る。
ゆっくりと、恐怖を与えるように大口を開き、粘ついた涎と腐臭を垂らす。
リナリィはもはや動けない。動かない。震えたままーーそう、震えていたのだーーけれどその祈りは、少なくとも自分の為ではなかった。
そして、暗黒騎士さんは無機質な声を耳にした。
『信仰ポイントを獲得しました。現在ポイントは二です。ルートの変更を確認しました。性質の変更、及び属性が悪から善に傾きます』
その声が何だから知らない。
けれど。
できると思った。
「ーー集えーー炎よッ!!」
ごう、と音を立てて業火といって相応しい炎が立ち上がる。付着した血液を蒸発させて、拘束から解放されていく。
「んだとォ!?」
勝利を確信していた呪竜が、驚愕と共に暗黒騎士さんの方に向き直った。
暗黒騎士ではあり得ない、真っ赤な炎が輝いている。
「んだよ、それェ!? テメェ、魔族じゃねェのかよ!? んなの、まるで人間みてェじゃねェか!?」
「魔族だと、言ってるだろ……」
暗黒騎士さんが立ち上がる。今、体を縛るものは何もない。炎は勢いを増し続けている。蒸散した呪いに、皮膚を侵す力もない。
暗黒騎士さんは剣を構える。自身の背後に剣先を向けた、切り上げの姿勢。踏み込み、その瞬間、地面が弾けた。爆音と共に、暗黒騎士さんが飛ぶように駆け抜ける。その速度に、呪竜は反応出来ない。呪いは相手を蝕んでこそなのだ、それなのに、それを全部オシャカにされてーー
「ク、ソがよォォォォォォォォォオッ!?」
その勢いのまま、暗黒騎士さんは呪竜の頭部を顎からその先端までを断ち切った。止まらない。体を、四肢を、なます切りにして、駆け抜けて、地面に足を埋めて、制動する。その背後で、呪竜の体がゆっくりと崩れ落ちた。
「ーーか、った?」
自分の手を、信じられないと見下ろして。
けれど、それが、暗黒騎士さんにとって、生涯初の勝利だった。
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