第十三話
白く太陽光の熱が籠った砂浜が素足にまとわりつく。体重をかければかけるほど沈み込むその感覚は、久しく触れていないものだった。よたよたと砂に足を取られながら歩いている私の先には、有沙が軽やかな足取りで砂を蹴り、海に向かう姿がある。私はそれを見つめながら、次第に足を止めた。彼女が邪魔くさいと言いながら高い位置でひとつにまとめた艶のある黒髪が左右に揺れている。波に反射した太陽光が彼女の周りをきらきらと彩っていて、眩しかった。今日のこの一日だけで、目が潰れてしまうのではないかと思う。
横を通りがかった若い男が彼女を凝視し、けれど、そんなことがどうしたの、という風に満面の笑みをこちらに向け、彼女は振り向いた。早くおいでよ、と声を張る。静かに話す彼女の声は鈴がちりりと鳴る音のようだけれど、大きな声は、なんだか、水の弾ける音のようだった。
私はその声を合図に、また歩き出す。歩きづらいことこの上ない。でも、きめの細かい砂が足の隅から隅までを包み込むこの感覚は好きだった。暖かくて、ふかふかのベッドのようにすら私は思えるのだけれど、彼とその感覚を分かり合うことはできなかった。砂は砂だよ、と言った彼に、何かしらの喪失感のようなものを抱いた。多分、自分でもコントロールの効かないそれを、あの時私は、ゆっくりと砂に埋めたのだ。
ようやくたどり着いた波打ち際の海水に、彼女は既に足をつけて遊んでいた。それに倣って、私も足をつける。びっくりするぐらい冷たい海水は、私の周りの砂を持ち去ってすぐに海へと引き返した。その勢いに流されるまま、どんどん足を進める。冷たさに肩をすくめながら、言いようのない引力のようなものに逆らうことも出来ず、体は波に流されていく。とぷり、と顎の下まで浸かった頃に、私は海水を蹴って、砂浜を振り返った。砂浜で砂遊びをしている親子に、日焼けを楽しむ夫婦。大学生ぐらいの若い男たちは、ビーチバレーを楽しんでいた。左を見れば、真剣に水泳の練習をしているおじさん。右を見れば、岩陰に隠れているつもりで逢瀬を楽しむカップル。
誰も私のことなど見ていなかった。なら、このまま海の向こうへ消えてしまっても、問題はない気がした。大きめの波がきて、私はそれに顔半分を呑み込まれる。唇を舐めると、いつもの私の味がした。還るべき場所のような気がした、というのは、
私はまた海を蹴った。普段よりも力を入れないと、上手く蹴ることが出来なかった。また水平線を見つめて、海水に浸かる自分の体を見つめた。ゆらゆら揺れて、曖昧にぼかされた体の輪郭。波が来るたび消えてなくなったように見える。ほっ、とした。曖昧な存在でいられることが? 消えてなくなった気分でいられることが? なんだかわからなかった。存在を認められたいのか、認められたくないのか。結局わかるのは、中途半端な、ふわふわした気持ちで私がこの世にしがみついているということ。
有沙が私の隣にやってくる。目が合う。にっこり、という表現がぴったりの笑顔を見せると、彼女は後頭部を海水に浸し、空を仰いだ。体や頬を伝う水滴がきらめく。黒く長い睫毛は時折ふるりと揺れ、豊かな髪は海に
「気持ちいいね」
有沙が言う。その一言が、じわりと体に沁み込んだ。
「そうね」
確かにそうだったのだ。思っていたほどの不快感は私を襲わなかったし、波に揺られていることは至極単純に気持ちがいい。
「ちょっと、眩しすぎるけれど」
私はそう言って、彼女に
彼女は私が忘れていたことを思い出させてくれる。少しばかり強引な方法で。でもそれに心地よさを覚えてきているのもまた事実だった。
二人でそんな時間を楽しんでいたその時、少し強い波が私たちを襲う。声を上げる暇もなく、顔も頭も海水に揉まれ、鼻がツンとして痛い上に口の中も塩辛い。海水から顔を出した途端しかめっ面をする彼女を見るに、同じく、鼻が痛いらしい。変な顔、と言って笑いだしたのはどちらからだったか。二人して大笑いして、まるで青春映画のワンシーンのようだった。正直私たちには似合わないけれど、たまにはこんなのも悪くない。
ああ、ずっとここにいられたら。幼少期の私の姿が脳裏によぎる。帰りたくない、まだ遊ぶの、と駄々をこねて両親を困らせた。
「ふふ、ねえ、有沙」
笑いが収まらないまま、私は彼女に駄々をこねる。
「なーに?」
「私、今日、帰りたくないかもしれないわ」
そう言った私の言葉に、彼女は目を丸くさせて驚き、次の瞬間には、にやりと不敵に笑った。
「そう言うと思ったの!」
跡から知った話だが、もう既にホテルは予約済みで、レンタカーも二日間の契約で借りていたらしい。
全ては彼女の掌の上、ということだ。なんて、憎たらしくて、愛らしいのか。
私は一人笑みを溢し、砂浜で砂遊びをする彼女のもとへ駆けた。足にまとわりつく、それでも好きでたまらない、白い砂浜を蹴りながら。
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