梅雨

第九話

 久しぶりにテレビをつけた。ピッ、と機械音がして、32インチの液晶テレビが起動する。真っ暗な画面に映った私の醜い姿は消え、真珠のネックレスのテレビ通販が流れ出す。別に欲しくはないけれど、まぁいいか、とチャンネルは変えなかった。

 カーテンを少し開き窓の外を見る。少し前まで太陽が顔を出していた空は、濁った白色の雲に覆われていて、雨が降り始めているようだった。もうすぐ梅雨に入ります、なんて天気予報をテレビで見たのはいつだったか。たしか一週間ほど前だったような気がする。案外早かったなと呟きながら、傘も持たずに出て行った有沙のことを思い出した。大丈夫だろうか。この五分もしない間に、雨足は一気に強くなっている。風も吹いているようで、窓に雨がバラバラと打ち付ける音がした。

 迎えに行こうか。けれど髪の毛はボサボサで、メイクもしていなければ、服はよれた部屋着のスウェットだ。私はしばし葛藤し、結局、十分も帰って来ない彼女を放ってはおけないと、迎えに行くことに決めた。苦渋の決断だ。

 適当に引っ掴んだキャメル色のティーシャツに、白いジーンズ。寝癖で盛り上がった髪の毛はドライヤーを軽くかけて、直らなかった前髪はちょんまげみたいにしてピンでとめた。ポンパドールというらしい。そのまま、顔を水でささっとすすぐ。朝もしたけれど、まぁいい。短いくるぶしまでの黄色い靴下を身につけ、白いコンバースを履いて、玄関に置いてある傘立てから、ビニールと青の二本を取った。

 重たいドアを開けると、部屋の中から見た以上に土砂降りで、あー……と声が出る。がさついた声は雨の音にかき消された。

 ビニール傘を差し、コンビニまでの徒歩五分の道を歩くだけで、腕や足の至る所が濡れている。蒸した空気が傘の中に籠ってなんだか息苦しい。早く帰りたい。体が濡れる感覚に顔を顰めながら歩いていると、ビニール袋を両腕に抱えた有沙が向こうから走ってくる。俯いているうえ、土砂降りの雨に視界を邪魔されている彼女がこちらに気付いている様子はない。

 名前を呼ぶ。それだけの事だ。でも、私は薄く口を開いたまま、彼女の名前を呼べずにいた。傘が雨粒を跳ね返すバラバラという音が、やけに大きく聞こえる。彼女の姿はもう目の前にまで迫っていて、パチャパチャと水を蹴る音がする。私は唇を噛み締めて雨の染みたコンバースを睨めつけるしかできなかった。

「……涼子?」

 ハッとして顔を上げた。すっかり濡れ鼠になってしまった有沙が、そこにいた。私の目の前に。

 私は今、どんな顔をしているだろう。

「迎えに来てくれたの?」

「……ええ。少し、遅かったようだけれど」

「ううん、ありがとう」

 彼女は私の手から青い傘を受け取り、「今更っちゃあ、今更だけどね」なんて笑いながらそれを差した。バタバタと雨が弾かれる音が増える。大事そうに抱えていたコンビニのビニール袋の中身は、その意味がなかったと言うしかないほど濡れていた。帰ったら、とりあえずなにもかも拭かなければならないだろう。

「ね、帰ったら一緒にお風呂入ろうよ」

「いやよ、私はさほど濡れてないもの」

「涼子のけち」

「なんとでも言いなさい」

 けちけちけーち、なんて連呼する彼女はまるで小学生だ。はいはい、とそれを受け流しながら、私はそれが少し可笑しくて、ふ、と笑う。早く帰りましょう、と彼女を急かし歩いている今この時、ほんの少しだけ心が軽くなったのはなぜだろうか。

 私はその感覚に蓋をして、雨を蹴った。早く家に帰って、一緒にお風呂に入るために。

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