クロの時間

第1話 クロ

 犯人はあの人だ。しかし、証拠がない。

 推理で犯人を導き出したにも関わらず、断定できないという苦悩。推理小説などでよくある話だ。

 違わず、私もその事態に直面していた。

 中野を殺した犯人は安田。間違いない。パーカーを着た彼の背中を睨んだ。

殺害トリックについては割愛する。なによりも証拠だ。証拠がなくては。

 ちらり、と、私は背後の机に置いてある、鳥籠に目を向けた。籠の中には、私の愛鳥、「クロ」がいる。フクロウのクロ。ちなみに、体の色は茶色である。どこにでもいるような、フクロウの中のフクロウ。目立った特徴はない。そこがいい。

 背中に背負った鞄をおろし、中から真空パックに入ったネズミを取り出す。クロに見せびらかすようにチラつかせると、さっきまで眠そうにしていたくせに、首をギルリと回し、目はネズミにくぎ付けになった。

 真空パックを開け、ネズミのしっぽをつまみ、取り出す。私は安田にこっそり近づいた。

 そしてそれを、安田のフードの中にそっと落とす。安田は気づかない。クロは見ている。素早く離れ、鳥籠の蓋を開け放った。

 音もなく、茶色の影が飛び出し、安田へ特攻する。

 安田に激突するかのように見えたその瞬間、クロの姿が消えた。

「?」

 首元に風を感じたのか、安田が振り返る。部屋の中には、私と安田しかいない。クロはいない。

 怪訝な顔をした彼が口を開いた。

「いま、何か……ん?」

 フードの違和感に気づいたのか、片手で手繰り寄せ、中をみやる。

 絶叫に私は耳をふさいだ。

 フードの中にネズミがいたら、それはもう驚くことだろう。

「うわああっ!なっ、なんで!?はあ!?気持ち悪っ!!」

 安田は声を上げながら後ずさるが、ネズミは自分が来ている服の中にあるのだから意味はない。慌ててパーカーを脱ぎ捨てた。

「どうしましたか?」

「服の中にネズミが……っ!」

「ねずみ?」

「俺もわからないけど!今見たら、いつの間にかネズミが入ってて……!」

話していると少し落ち着いたのか、恐る恐るといった風にパーカーに近づく安田。

「もう、いやだ。なんなんだよ、今日は……。鳥に邪魔されるし、ネズミは服の中にいるし。動物が俺の邪魔ばっかりしやがって!」

「……。」

 ぶつぶつと吐き捨てながら、苛立ち紛れにフードを蹴り上げる。

 ネズミが飛び出し、壁に当たり、コロコロと床に転がった。

「え。おもちゃ……?」

「そのようですね」

 おもちゃだとわかっている私はネズミを拾い上げ、観察するかのように装い、眼前に掲げる。ああ、でもしまった。今のは、もう少し躊躇いがちに拾うべきだったか。しかし幸い、安田が不信がっている様子はない。

「誰かのいたずらかもしれませんね」

「……なんだよ、もう。またかと思った」

「また、とは?」

 彼の呟きを聞き返すと、バツが悪そうに彼はうつむいた。私は続けてたたみかける。

「先ほども、鳥に邪魔された、と言っていましたが?」

「……。」

「安田さん?」

 沈黙を貫く彼。室内に重い空気がたちこめる。

 突然、ドアが大きく開いた。別の男が興奮したように飛び込んできた。

「中野さんが、一命をとりとめました!」

「!」

「もう大丈夫です!」

 それだけ告げると、男は去っていた。別の人にも報告に行くのだろう。

 二人きりになった室内で、安田がつぶやく。

「中野は警察に言うだろうな。俺が中野を殺そうとしたとき、鳥に襲われたんだ。それで、殺し損ねたんだ……」


 日が暮れたころ、私は自分の家に帰ってきた。

 ベランダの窓を開けると、クロが入ってくる。

「お疲れ様」

 時間を飛び越える、不思議なフクロウ。

 あの時、クロは中野が殺される瞬間の時間に戻り、安田の邪魔をしたのだ。

 正確に言うと、安田のフードにあるはずの、ネズミを狙ったのだけど。

 冷凍庫から、本物のネズミを取り出し、食べられるよう処理をしてクロに与える。

 クロの活躍により、今日も事件は未然に防がれた。

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クロの時間 @hazuki0803

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