おだまり

灘乙子

自己紹介



 私の名前はオダマリという。小田茉莉。偶然にも幼稚園の年長組の時、カタルニア人の祖母を持つ美貌の宗田智と、三百六十五日朝食に味噌ラーメンを食べるという本間加代という仲良しが出来て、名前だけ見ると「おだまり」(強気)「そうだとも」(追従)「ほんまかよ」(懐疑あるいはツッコミ)、アホのタカラヅカみたいなありさまだった。まあ、この頃のヅカにはそこまで、まんまやな、というわかりやすい芸名のひとはなかなかいないのだけれども。


 私と宗田智の両親は娘の名前について深く考えるというか、なにも狙ってこういうふうに付けたわけではなかったらしい。でも本間加代の家だけは、彼女を頭に年子の妹が本間加奈、三つ下の妹が本間奈乃加と名付けられていて、あれは絶対に確信犯だったと思う。なのに本間加代の両親にそのこころを問いたいと思うような年齢に達する前に、本間家は九州へ引っ越してしまって、今ではどうしているのかも知らない。かくて強気と追従のみのコンビ体制となった私と宗田智だった。


 今では誰に言っても信じてもらえないのだけど、小学生の頃の私はとてもおとなしい子供で、がさつな男子達から一日一回は宗田智と共に、

「おだまり!」「そうだとも!」「ぎゃはははは」

 みたいな、甚だ程度の低い寸劇を以ってからかわれ、最終的には泣く、という不愉快な日々を送っていた。もし私がオダマリではなくて持鍋仁恵子とかだったらもっと悲惨だっただろうし、宗田智なんかはその舶来人形のような容貌から、さらに「ガイジン!」という差別的用語を上乗せで投げかけられることもしょっちゅうだったのに、いつも全く動じていなかったし、大人になった今になればあんなの本当に大したことではないように思えるのだけれど、大変な引っ込み思案だった私はこれがとても厭で、ある時、

「マリじゃなくて、ユリとかエリとかやったら良かったのに」

 と独りごちた。小学二年生の時のことだ。それが隣の席の岡勝おかまさる君の耳に入ったらしい。岡勝は筆箱の中身をかちゃかちゃやっていた手を止めてこちらを見た。

「誰が名前付けたん?」

 私は一瞬何のことだかわからなかった。次に、岡勝の問いかけが理解出来ても、そんなこと親に尋ねたことも無かったので、私はただ、知らん、と答えた。すると、岡勝は、

「そんなん、おだまりって、別に全然いいやん」

 と呟いたのだった。岡勝は照れた様子でもなく、にこりとするでもなく、むしろほとんど無表情でそう言ったのだけれど、私にはそれが「君の名前はとっても素敵さ。可愛い君にぴったりだよ、ハニー」と言ってるように聞こえたのだ。私はあっというまに岡勝のことが大好きになった。つまり、小二の私は岡勝に口説かれたような気になり、そして勝手に陥ちたのだった。


 でも、岡勝の言葉の真意に、私は間もなく気がついた。ああ、岡勝はオカマ猿なんや。私といっしょやん。

 誰にも気づかれませんように、と岡勝は思っているに違いない。私は、だから、気がついてからもずっとそんなこと本人にも誰にも言わなかった。代わりに、岡勝の胸の内を慮って、誰も気づきませんようにと私も祈った。


 後日、

「岡君の名前は、誰が付けたん?」

 と尋ねると、岡勝は、ぼそっと、

「お母さん」

 と答えたあとに、

「ウチ、もう死んじゃって、いーひんねんけど」

 と付け加えた。ちょくちょーガン。

 私の捧げる祈りは、この日を境にさらに濃密かつ頻繁なものになった。


 私は猛烈な自責の念と焦燥を感じていたのだった。自責と言って、自分にはどうすることも出来ないのだけれども、私みたいなわかりやすい先例のあるがために、オカマ猿のことだって間もなく露見してしまうんじゃないかと。他にもそんな奴おらへんかと無い脳味噌絞って考えたいじめっ子たちに、簡単に気付かれてしまうんじゃないか、と。あああ、喜ぶやろうなアイツら。そのとき私は、そんなん言いなや、と言えるだろうか。ああああ、そんなこと言うたらアイツらもっと喜ぶやろうな。「おだまりがオダマリ言うてる!」とか。


「いんがなものよ」

 小二の私は祖父と一緒に見ていたテレビの『鬼平犯科帳』で覚えた台詞をつぶやいた。おなかの下がきゅうっと絞まる感じがして、実際のところはなにも上がってきていないのに、喉の奥底からはじわじわと何かが溢れてくる気がした。

 そんなわけで、私の初恋は、下っ腹のえもいわれぬ絞めつけ感とともに想起される。いまだに。


***


 今こうして大人になってみれば、オダマリという名前で得したこともないではない。会社や何かですぐに覚えてもらえたり、お客さんとの会話のちょっとしたつかみになることもある。私は難波に本社を置く旅行社「MAグレイストラベル」の堂島西梅田店に勤めていて、毎日海外ウェディング部門のカウンターに座って、お客の相手をしているのだ。

 昨年の年度末にミナミのちゃんこ鍋屋で行われた我が社の大規模な宴会では、懸賞かくし芸大会があった。私は曲の最初に、

「おだまり」

 とセリフを入れて、美川憲一の「さそり座の女」を熱唱し、二等の黒船カステラ三本詰めを獲得した。説明したところで何の益もなかろうが、口をあまり大きく開かずに、口蓋垂、俗にいうのどちんこの真下に空気の玉を作るイメージで発声すると、ああいうオカマ声になるのである。断っておくけど、私の憲一はかなりの高クオリティで、決して名前にかけた洒落だけにモノを言わせたのではない。まあ、それが通じるのも今がギリっギリのギリで、私だってリアルタイムの記憶としてそれを知ってるなんてわけじゃない。

 このとき一等の神戸牛特上すき焼き肉一・五キロをかっさらっていったのは、その存在自体がすでに反則とも言える、新入社員の中で最も可憐で最も控え目な、グレイス京橋店の宇佐美さんで、彼女がぶつけてきたのは一発芸。水菜の入っていた大きなステンレスのザルをひっくり返して中身を空け、それを頭にかぶって空のビールの大瓶をぽぉーと吹き鳴らし、

「虚無僧」

 と言う、ただそれだけの一発芸。それはちゃんこ鍋屋が倒壊せんばかりの爆笑を巻き起こし、彼女の登場まで暫定首位を占めていた私は悔しくて悔しくて、

「なんでアンタそんなことすんの?!」

 と卓を叩いて叫んだ。


 ところで、名前というのは生涯ついてまわるものなのだから、もうよくよく考えて付けなくちゃほんとにまずい。私が言うのもなんだけど。でも強く強くそう思うのは、ウェディング部門のカウンターで働き始めて三年という短き間に、あまりに多くの「名前負け」を見てきたからだ。

 料理から花からキャンドルから、とにかくケチをつけて値切りに値切る「雄大」、出発から式までの段取りを何度説明しても、ついに理解できなかった「賢明」、道端で運悪く本気のタイキックを受けてしまったかのような顔面の「麗花」。親心はわかるんだけど、もう少し違う形で発揮出来なかったのか。

 海外挙式を希望するお客においては、単純に新婚旅行も兼ねて海外で挙式をしたい、という理由を挙げる方が大半を占める。が、他方、わけありのカップルの割合も非常に高く、親に反対されているとか、父と娘ほどの年の差があるとか、再婚・再々婚・再々再婚、腹ぼてでうるさい親戚やなんかには見せられない等など、そういうのがいろいろ来る。また、カップルが若くてお金が無いので、ひとつ海外で安くやってしまいたい、というのも多いパターンだ。


 そうした若い新郎新婦の名前にはキツいのが今、ものすごくよくある。私が二週間前に送り出した十九と十八の新郎新婦は「真修」と「樹理亜」というコテコテの関西人だった。その若さを以ってしてもかなりきびしい二人だったというのに、このままええ年のオッサンオバハンになったとき、一体どういうおとしまえをつけるんだろうと他人事ながら心配になったものだ。こういうのはいわゆるキラキラネームとはまたスジというか部門が微妙に違う。「良琉風」、「麻里凛」「詩絵奈」、「翔夢」、いったいなにじん? と言いたくなるのがそらもう山ほどいた。こっちの方が単なる名前負けより深刻な何か(植民地根性?)を抱えているように私には思われ、その子の親をつかまえて本当によく考えたのかと聞きたくなる。これだったら持鍋仁恵子の方がまだマシかもしれない。でもそういう名前が天下の大勢を占める、つまり「普通」になると、そんな心配は無用になるのだろうか。現在二十六歳の私の年でも、まだ、半々とまでいかないと思うのだけれど。


 とにもかくにも、名前は一生つきまとう。


 岡勝の一件から数日後に知るところになったのだが、私の「茉莉」というのは祖父の古い知り合いの神主さんに命名してもらったらしい。お祖父ちゃんは私が生まれた翌日に、その人の住む奈良の葛城というところまで出向いて名付けを頼んだのだと言っていた。近畿の全域に記録的な大雪が積もった日で、道中ものすごく往生した、と。四日後名前の決まったときには、

「おだまり、ですか」

「そうや、余計なことは言わいで生きていくのが結局は人間かしこい。わはは」

 というようなやりとりが、祖父と神主さんの間にだか、祖父と両親の間にだか、あるいはその両方にだか、あったと聞く。


 岡勝に関して言えば、彼は今のところ別段オカマにも猿にもならず、幼い間に親を亡くす子が一人でも減るように自分が役に立ちたい、というものすごくまっとうな志を持って今は医大に通っているけれども、それにつけても名前のはなしと言って思い出されるのは、臼井先生と、それから何よりも、順君のことだ。

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